2016・1

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2016・1

  2016年1月1日  📺和歌山県が津波観測情報を2回誤配信。  俺は大学時代のダチと久々に飲んだ。吉新克也(よしあらかつや)先生恭平(せんじょうきょうへい)だ。吉新は栃木県日光市出身、先生は静岡県静岡市出身だ。  場所は宇都宮駅ナカにある餃子屋だ。🥟  俺は栃木県下野市出身、最寄りの駅は小金井駅だ。「宇都宮線」の愛称区間に含まれており、上野駅発着系統と、新宿駅経由で横須賀線に直通する湘南新宿ライン、上野駅・東京駅経由で東海道線に直通する上野東京ラインが停車する。  首都圏で行われた年末年始の終夜運転は2014年は当駅までの運転となっていた。2015年以降は手前の小山駅までに短縮となった。  俺と吉新は野州餃子、先生はしそ餃子をつまみに生ビールを飲んでる。🍺 「今年はどんな年になるかな?」  吉新が言った。彼は医者をしている。  去年は「爆買い」、「トリプルスリー」が新語・流行語大賞の年間大賞を受賞した。  2015年の漢字 「安」・・・人々がこれからの平安について考え、また社会や生活に対する不安の増大により安心を求めたことから一年を象徴する漢字として選ばれた。  戦後70年を迎え、安倍晋三首相が新たな談話(安倍談話)を発表。また、安倍内閣による安全保障関連法の成立では人々が賛否に別れ、これからの国の平安について考えた。  世界で頻発したテロ事件などによる社会不安の増大、さらに旭化成のマンション傾斜問題などによって暮らしに対する不安も大きくなり、とにかく明るい安村の「安心して下さい」のフレーズが流行るなど人々が安心を求めた。 「そんなこと俺に聞くなよ?」  俺は東武宇都宮エリアを管轄とする、東武警察署刑事課で働いていた。 「警部になったんだろ?おめでとうさん」  吉新が生ビールを一気に飲んだ。 「そんなに飲んだら体に悪いぞ?」 「タバコを十六から吸ってるおまえに言われたくない」  ケンカにナンパ、尾崎豊の歌に出てくるような青春を送っていた。 「病院にゃ可愛いナースがたくさんいるんだろ?紹介しろよ」 「赤広(あこう)を殺してくれたら海子をやるよ」  赤広ってのは奴の宿敵の外科医だ。吉新は辺春海子(べはるうみこ)って美人ナースとつきあっていた。 「俺はシティーハンターじゃねーよ」 「布袋田って何で刑事になったの?」  吉新が訊いてきた。  布袋田篤史(ほていだあつし)、それが俺の名だ。 「『あぶない刑事』のファンだったから」 「『またまたあぶない刑事』の長峰(ながみね)はキャラが濃いね?」    長峰は伊武雅刀(いぶまさとう)演じる、青年実業家、悪の親玉だ。  俺はここに来てから一言も言葉を発しない先生を横目で見た。 「話に加わらないの?」 「まるで背後霊みたいだな?」  吉新がお品書きを読みながら言った。 「仕事辞めてしまった」 「………」  俺は唖然とした。無口になるのも無理もない。偉くなった俺のことを心の中じゃ妬んでるかも? 「『金八先生』目指して先生になったんじゃなかったのか?」と、吉新。  俺たちの世代は上戸彩や中尾明慶、本仮屋ユイカ などが生徒役で出ていた。 「現実は金八みたくうまくはいかないよ」  先生はため息をついた。 「金八もあれはあれで大変だけどな?鶴見辰吾と杉田かおるとか……」  俺は金八の大ファンだ。昔のもレンタルビデオ屋で借りて見た。 「先生先生、面白い響きだな?」と、吉新。  俺は気になってることがあった。静岡出身の先生がなんでワザワザ、宇都宮にある東武大に来たんだ?  この日は午後8時くらいにお開きになった。  3日  埼玉県本庄市の化学メーカーの工場で、硝酸を使った洗浄が行われていたタンクが爆発破損し、4人が病院に搬送され、うち2名が死亡。      俺は、弁護士の吉新を通じて謎めいた院長・赤坂一郎から人探しを依頼される。人気があった歌手の宇佐美エミは、神経症を病んで精神病院に入院していた。吉新の下へは証明書が送付されておりエミの生存は確認されていたが、赤坂を伴って病院を訪れたところ、エミは病院にはいなかった。赤坂は事を荒立てずにエミの生死を確認するため、調査を依頼したのだ。  依頼を受けた俺は、エミが入院していたという赤坂記念病院を訪れるが、看護師に去年の12月に転院したとの書類を見せられる。しかし、転院日付の文字が明らかに別の筆跡で、しかも一般的ではなかった万年筆で書かれていたことに俺は違和感を覚えた。  俺は続いて、エミの担当医だった大杉克也医師と連絡を取ろうとするが果たせず、電話帳から住所を調べ、雀宮の大杉医師宅へ忍び込んだ。冷蔵庫の中にモルヒネを不法に所持しており、自身が中毒になっていた大杉を問い詰め、2万5千と引き換えに男女にエミを引き渡した上で入院中のように擬装を行ったことを聞きだすと、さらなる証言を引き出すべく、禁断症状を起こしかかっていた大杉医師からモルヒネを取り上げ、監禁、放置。一旦、医師宅を出てファミレスで食事を採り戻るが、大杉は右眼を銃で撃ち抜かれた死体となっていた。俺は、大杉が自殺したかのように擬装し、部屋の中に残っている自分の指紋を拭きとって、医師宅を後にする。  レストランでピザを食べていた赤坂にこれまでの調査結果を告げ、自分が大杉の殺人容疑者になることを理由に依頼を打ち切ろうとした俺だが、赤坂の提示した10万の即金に、調査を継続することにした。  俺は、東武ジャーナルに勤める女性に依頼して、エミの情報を得た。エミが所属していた事務所、友人の木下邦夫、婚約者の毛塚光一、愛人の坂田翔といった情報を得る。調査を続ける俺は栃木市へとおもむき、そこで今は占い師をしている鈴木聖子に会う。占いにかこつけて情報を得ようとした俺だが、分かったのは宇佐美エミと大杉が同じ年に産まれたことだけだった。  5日  13時15分頃、大阪(伊丹空港)発青森行き日本航空2153便(ボンバルディア製)の主翼フラップに不具合が発生し、仙台空港に着陸。    東武署の上層部は、俺の勝手な行動に寛容だった。  署長の橘忠次(たちばなちゅうじ)は午後3時、署長室に俺を呼び出し、コーヒーやマカロンを振る舞ってくれた。 「甘いものには目がなくてね?若い頃はマカロンって呼ばれていたよ」   署長室の電話が鳴り響いた。橘が受話器を耳に当てた。何やらヤバい空気だ。   俺は、部下の轟夏男(とどろきなつお)警部補と、新見沼男(にいみぬまお)巡査部長を率いて東武市のメインストリート、オリオン通りに向かった。新見の運転の仕方は荒かった。  ホテル屋上で女性が、何者かによって射殺される。被害者は東武ジャーナルの記者、月島哲子(つきしまてつこ)だった。  「俺に協力したから殺されたのかな?」    俺は罪悪感に苛まれた。  狙撃地点に残されたメモで犯人はキキーモラと名乗り、東武警察署に1000万を要求。応じなければ、次は弁護士か医者を殺すという。橘は支払いを拒み、次の犯行を防ぐために市内の高層ビルに多数の警察官を配置する。警戒中のヘリコプターが不審人物を発見するが、犯人を逃がしてしまう。    吉新、赤坂、赤広、坂田、木下があぶない。吉新・赤坂・赤広は説明するまでもないが、坂田は東武病院の副院長だ。赤坂記念病院とは比較にならないぐらいレベルが高い。木下は東武記念病院で働く外科医だ。  俺は署の食堂でカレーうどんを啜っていた。  もう20時だ。  橘が入って来た。彼はカツ丼だ。 「麺類は事件がのびるから縁起が悪い」  橘は迷信を信じるタイプの人間のようだ。  俺は食堂を出て喫煙所に入り、ラークを咥えた。  スマホにラインが届いていた。相手は先生だった。彼はオカルト関係に詳しく、キキーモラについて相談していたのだった。 『ロシアの怪物。家の中に出没する女の妖怪で、その名前は雄鶏の鳴き声を表す『キキー』と古代スラブ神話に登場する死神『モラ』を組み合わせたものだ。キキーモラは雄鶏の泣き声を上げて人の死を悼む。キキーモラが現れるのは災厄の前触れで、クリスマス週間の夜に現れる。糸紡ぎや機織りが好きで、これを片付けずに寝ると続きをするが、台無しにする。家族に不幸がある場合は、直前に現れ糸を紡いで知らせる。🐓』 「ケッ、くだらねー」  俺は鼻で笑った。  21時  犯人は坂田翔を、戸祭(とまつり)にある彼の自宅前で射殺した。   戸祭は、栃木県宇都宮市の市街地北西地域、八幡山および戸祭山の西麓一帯の地名である。明治初期までの戸祭村の村域で、その後戸祭上組は宝木村や野沢村、新里村等と合併し国本村大字戸祭となるが、太平洋戦争終結後の1952年(昭和27年)6月1日までに旧戸祭村全域が宇都宮市に統合された。中央部を釜川が南に向けて流れ、その沖積平野部(田原台地)と宝木台地東端地区の一部から成る。  釜川沿岸にあたる南部地区(戸祭町、戸祭元町、東戸祭)と宝木台地東端部にあたる中部地区(戸祭、中戸祭一丁目、中戸祭町西端部)は、早い時期から宇都宮市街地北部の住宅地として造成され市街地化された地域である。戸祭山西麓部の釜川沿岸地区(下戸祭、中戸祭町中東部、戸祭台)および北部地区(上戸祭)は、昭和後期まで戸祭田圃の田園風景が見られたが、その後宅地化が進められ、現在では戸祭山や八幡山を除き、ほぼ全域が住宅地となっている。  明治時代、戸祭地区(当時は国本村大字戸祭)には旧日本陸軍の第十四師団が駐屯し、太平洋戦争後にその跡地は公共施設として転用された。このため戸祭地区には公共施設が多い。栃木県体育館(体育館本館、別館、プール館、武道館、弓道場、管理棟)や国立栃木病院は第十四師団練兵場および師団司令部の跡地に開かれた施設であり、激化する空襲を避け同司令部が移駐する予定だった地下壕のあった八幡山には八幡山公園や宇都宮競輪場などが開かれた。  道路は、西部の宝木台地東端部を日光街道が縦断するほか、中南部には桜通り、和尚塚通り、競輪場通り、戸祭台通りが、また北部の新興地には宇都宮環状道路(宮環)や宇都宮北道路が通り、宇都宮の道路網の一大要衝地となっている。公共交通もJR宇都宮駅から旧市街地(本庁管内の宮島町、馬場町、県庁、東武宇都宮駅前など)を経て戸祭・細谷・宝木団地・戸祭台・ろまんちっく村・徳次郎・石那田・篠井・船生・日光方面を結ぶバス路線が通過するほか、戸祭タクシーの本社事業所がある。  また、観光地ではないが、戸祭山は宇都宮市水道の発祥地で、その由来となった戸祭配水場(宇都宮市水道局配水場)があり、大谷石製の旧配水塔は「宇都宮市水道戸祭配水場配水池」として国の登録有形文化財に登録されている。ほか大塚古墳や水道山瓦窯跡などの古代遺跡もある。    6日  犯人はさらに宇佐美エミの婚約者である毛塚光一を誘拐し身代金を要求する。  ちょうどそのとき、俺は署の食堂で朝飯の目玉焼き定食を食べていた。電話がかかってきたのは、8時8分。  橘は1000万の支払を決意、金の引渡しを俺は命ぜられ、轟が車で後をつけることとなる。    戸祭山でドクロの仮面をかぶった奴に襲われた。  犯人は銃を捨てた俺を殴打し殺そうとするが、そこに轟が駆けつけて銃撃戦となる。  轟は腹を撃たれて負傷するが、俺が隠し持っていたナイフを腿に突き立て、犯人は足を引きずりつつ逃走する。  犯人が傷の手当を受けた東武病院の木下医師の話から、俺は犯人の居所を突き止めて追いつめ、刺し傷と銃創の上を踏みつけて毛塚の居場所を吐かせたが、大塚古墳のなかで毛塚は眉間を銃で撃たれて既に死んでいた。  病院に搬送された轟の容態が急変し、亡くなってしまった。轟は12月に息子が生まれたばかりだった。  俺は無線を持ったまま立ち尽くした。  犯人に強い憤りを覚えた。ドクロの仮面を強引に剥がした。正体は赤広だった。  赤広は5人殺すたびに魔法を覚える魔界の住人だった。『回復』の魔法を取得した赤広は、足の傷を治して逃走した。  6日の夜遅く、赤広は壬生町にある酒屋で拳銃を強奪し、タクシーをハイジャックする。橋の上からタクシーの屋根に飛び乗った俺に対して、赤広はバスを捨て採石場に逃げ込み銃撃戦となる。採石場を出て近くの公園でドリブルの練習をしていた少年を人質に取った赤広だったが、俺の撃った弾丸は少年をかすめて肩に命中。拳銃を落とし、いよいよ赤広を追い詰める。  赤広は落とした拳銃に一度手を伸ばすも躊躇する。それに対し挑発する俺。結局、赤広は拳銃を取り俺を狙うも、一瞬早く銃口を向けた俺に胴体を撃ち抜かれ絶命した。  「俺に歯向かうからだ」  7日     埼玉県戸田市の工事現場でコンクリートが落下し、土木作業員が下敷きとなり意識不明の重体。  現場近くに背中の曲がった老婆が立っていたらしい。体は小さく、髪を振り乱していたそうだ。  夜遅く、先生が俺のアパートに来て酒を飲んだ。 「今どき畳かよ」  先生は途中で買ってきたブラックニッカの瓶をビニール袋から出した。 「文句あるのかよ?」 「そーいや、事故現場近くにいた老婆ってキキーモラに容姿が似てるな?」 「そうなのか?」  俺はマントをかぶったドクロだとばかり思っていた。  8日    厚生労働省、熊本市にある血液製剤やワクチンなどのメーカー「化血研(化学及血清療法研究所)」が国の承認を受けていない方法で40年以上にわたり血液製剤を製造していた問題で、医薬品医療機器法(旧薬事法)に基づき化血研に対して製薬会社に対する処分の期間としてはこれまでで最も長い110日間の業務停止を下す。なお、代替品が無いとの理由で全35製品のうち処分対象は8製品に限られ、それ以外の製品は引き続き出荷を認める。  東武市役所HPの問い合わせフォームに、1月8日15時34分に市役所を爆破する旨の書き込みがあり、警察が威力業務妨害容疑で捜査を始め、東武市が1月8日の不要不急の市役所利用を控えるよう呼びかけた。なお、爆破予告は前年6月と10月にもあり、6月には市役所の施設が一時閉鎖され、職員が避難した。     吉新は海子と東武市内のラブホで交わった。  ピンクの膣は何度も中出しされて精子でドロドロだった。  交わったあと、海子は布団の中で震え出した。 「妊娠するのがそんなに怖いか?」 「そうじゃないの。ワタシ、悪魔から電話をもらったの」   昨夜、スマホにかかって来たナンバーは14桁だったらしい。 「普通は11桁だよな?」 「相手は男で、昔人を殺したことがあったと言ってた。このまま通話を続けるとスマホがウィルスに感染して爆発すると脅された」            👁  深夜の東武市郊外の廃墟。証拠不十分で無罪となったギャングのボス、矢島祐介(やじまゆうすけ)が喉を鋭利な刃物で切り裂かれ、白昼殺害される。俺はいち早く現場に駆けつけるものの、銃を使わないことを誇りとし、将来も期待されている目黒桃太郎(めぐろももたろう)刑事に現場から追いやられてしまう。目黒は先日殉職した轟警部補の後任だ。 「轟さんを死に追いやったのは他でもない布袋田さん、アンタだよ」  俺は危うく目黒を殴りそうになった。  その後も、法の網をかいくぐるチンピラなどが喉を切り裂かれて殺される事件が続いた。  犠牲者は矢島も含めて3人。     9日には横田蘭丸(よこたらんまる)という詐欺師、10日には力竹塁(りきたけるい)という粗暴犯が死んだ。2人とも35歳で、力竹は17歳のときに同級生をカッターナイフで刺し殺している。  手詰まりとなった目黒は、俺に協力を求めてきた。土下座させ、生ビールをごちそうしてもらった。 「許してやるよ」  11日・21時30分宇都宮駅の居酒屋での出来事だ。  事件の真相はギャングの抗争と睨む警察は連城六郎(れんじょうろくろう)若狭雁十郎(わかさがんじゅうろう)といったマフィアの大物の監視を行うが、俺は現場の状況から新見沼男が犯人だと推理していた。  新見はことあるたびに犯罪者の抹殺を口にしていた。俺は橘に報告するが、北一の沢町にある彼のアパートで死体で見つかった。彼もまた喉を切り裂かれていた。矢島殺しから数えて4人目だ。もし真犯人が赤広みたいな魔法を使える人間の犯行だとしたらヤバいことになる。  地震とか洪水を操れる奴もいるかも分からない。  北一の沢町は宇都宮市中央部の一区域。宇都宮市街地西部の大谷街道北側に広がる住宅街で、北部に宇都宮文星女子高等学校がある。西は陽西町、北は戸祭四丁目、東は戸祭二丁目、南は桜四丁目・西一の沢町と接する。  現在の住居表示施行前は一ノ沢町・和尚塚町のそれぞれ一部であり、このうち「和尚塚町」は現在の北一の沢町・戸祭2丁目・桜4丁目を区域としていた旧町名であり、1933年(昭和8年)に祥雲寺を開いた良訓和尚の墓が発見されたことから現在の戸祭2丁目付近を「和尚塚」と呼んだことに由来する。北一の沢町の東端部にある五差路を起点とする「和尚塚通り」はこの頃の町名を由来としている。  俺は死体を見下ろしながら嗚咽を噛み殺した。轟に次いで彼もまた死んでしまった。  真犯人は新人白バイ隊員の銀角郡司(ぎんかくぐんじ)源田剛(げんだごう)財前丈(ざいぜんじょう)逗子善吉(ずしぜんきち)の4人であり、俺も認めるほど、その銃器の腕前は高かった。俺は矢島殺しの現場にいたという銀角を疑うが、目黒は若狭が犯人であると決めつける。  13日  アイドルグループ・SMAPのメンバー5人のうち木村拓哉以外の4人(中居正広、稲垣吾郎、草彅剛、香取慎吾)が、所属事務所のジャニーズ事務所を退社することにより、SMAPが解散する可能性が出てきたことが報道される。     先生は気分転換に旅行に出かけた。静岡県にある雲見温泉に前から行ってみたいと思っていた。  烏帽子山(標高163mの山。雲見の象徴的な山。)、雲見浅間神社(烏帽子山にある神社。)、 牛着岩(雲見海岸から正面に見える2つの岩。また2つの岩が寄り添うように見えることから夫婦岩とも言われる。晴れた日には富士山が正面に見える。ダイビングスポットとしても有名。)、千貫門(海上にある大きな岩の中央に穴が開いている。遊覧船のコースになっている。)、想い出岬(雲見港の波止場から坂を上った場所にある。)、高通山(雲見の南側にある高い山。春は集落が一望できる場所に山桜とツツジが綺麗に咲く。)など見どころがたくさん。   温泉は格別だった。泉質はカルシウム・ナトリウム。  夕方、バスに乗り烏帽子山を降りて松崎の街に向かった。『飛び降りろ』という幻聴が聞こえた。先生は両手で耳をふさいだ。  14日  東武交番で警察官が男に拳銃を奪われ、肩を撃たれて重傷を負う事件発生。  夜遅く、吉新は海子とオリオン通りをデートした。サイレンの音が聞こえた。オリオン通りは、栃木県宇都宮市にあるアーケードのある商店街で、同県内で最大の繁華街である。  東武宇都宮駅から東側(JR宇都宮駅方面)、宇都宮二荒山神社前のバンバ通りに向かって約500mにわたってアーケードが伸びており、オリオン通り商店街とその東側のオリオン通り曲師町商店街の店々が軒を連ねる。その業種はカフェ、飲食店、食料品店、衣料品店、レコード店、宝飾品店、薬局、映画館など多岐にわたる。さらにアーケードの東の端にはパルコとMEGAドン・キホーテ、西の端には東武宇都宮百貨店が位置しており、地域の集客力を支えている。また並行する大通り沿いには「池上町商店街」と「馬場町通り商店街」が形成され、大通りとオリオン通り間の界隈には「東武馬車道通り商店街」「二荒通り商店街」「鉄砲町商店会」「馬場南通り商店会」「宇都宮中央通り商店会」が、また周辺には「バンバ通り商店街」「日野町商店街」「みはし通り商店会」など多くの商店街群があり、栃木県内で最大の繁華街を形成している。宮っ子はこの界隈を「マチ(街)」と呼ぶ。また、この東武宇都宮駅周辺の商店街群を合わせた繁華街全体をオリオン通りと呼ぶ場合もある。  土日祝日・連休には県内外から訪れる多くの購買客により賑わうほか、平日午後は栃木街道周辺や大通り沿いに立地する大学や専門学校・高等学校の学生が立ち寄る姿が目立つ。さらに、宇都宮Festa内のオタク系ショップの効果から、最近ではオタクやコスプレイヤーなどの新規の客層が現れているなど、シャッター通り化する地方商店街が多い中、宇都宮市の中心市街地は比較的健闘しているといえる。  それでも2000年代には、衰退傾向が目立ってきた。要因としては従前から続く車社会化のほか、足利銀行の経営危機による栃木県の経済活動の停滞、JR宇都宮駅前にララスクエア(現・トナリエ宇都宮)、商店街周辺にパルコなどの大型商業施設が続々出現したことによる客層の分散や上記施設内への店舗の移転、湘南新宿ライン開業による東京副都心への購買客流出などがある。そこで、地元大学との産学連携、地域住民の商店街運営への参画促進に取り組んだほか、アーケード内の一角に市民広場「オリオンスクエア」を整備してイベントを実施するなどの各種活性化事業を実施し、来街者を増加させる努力を重ねている。2014年には中小企業庁のがんばる商店街30選に選定された。  オリオン通りの西側起点となる東武宇都宮駅前は宝木台地と一段低い田原台地の境界に位置し、大通り朝日坂に並行する坂道がユニオン通りの東口から真っ直ぐオリオン通りに伸びている。このような地理状況から、東進する自転車利用者による速度オーバーなど自転車の運転マナーの悪さと交通上の危険が関東ローカルや全国のテレビニュースでも報じられ、商店街と学校・行政が一体となって指導した結果、以前よりは改善されつつある。  吉新はアパートでアルバムを見ていた。「大学時代は楽しかったな」  4年の夏休み前、海子から思わぬ誘惑を受ける。  一度は拒んだ吉新だったが、いま目標を失っている彼に示された道は他になかった。大学院への進学を期待されながらもどこに進学するか決めないでうつろな夏休みが始まる。夜ごとの逢瀬。それでもぬぐい去れない虚無感。心配した両親は、同時期に北海道にある大学から帰郷した幼なじみの月島哲子をデートに誘えという。一度きりのデートでわざと嫌われるようにし向けるはずが、吉新は哲子の一途さに打たれ、二度目のデートを約束してしまう。  二度目のデートの当日、約束の場所(宇都宮駅東口)に来たのは海子だった。彼女は吉新に哲子と別れるように迫り、別れないなら吉新と交わした情事を哲子に暴露すると脅す。  焦燥した吉新は公園で哲子を犯そうとした。そうすれば嫌われると思ったからだ。 「サイテー!」  吉新は哲子から強烈ビンタを喰らわされた。  哲子を忘れられない吉新は、北海道にブルートレインで帰るという彼女を追いかけ、宇都宮駅へと走った。ホームで哲子を見つけた。そして吉新は哲子が同じ大学にいる秀才と結婚することを知る。遠ざかるブルートレインのテールランプが涙で滲んだ。    仕事から海子が帰ってきた。夕飯は彼女が作ったロールキャベツがメインディッシュだった。食後、リビングでエッチをした。激しいオモチャ責めで濡れまくるアソコに極太チンポを奥まで挿入した。  エッチのあとニュースを見た。  政府は翌年のUNESCOの世界文化遺産候補に、福岡県の「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」を推薦することを決定。  15日  午前2時頃、長野県北佐久郡軽井沢町の国道18号碓氷バイパスの入山峠付近で、前日に東京・原宿を出発し、長野県飯山市の斑尾高原に向かっていた乗員・乗客計41人が乗った夜行バスが崖下に転落、15名が死亡し、26人が負傷。バスの乗客は、東京の旅行会社が企画したスキーツアーの客だった。  目黒に言われたとおり、俺が轟を死に追いやったのかも知れない。罪の意識に苛まれた俺は刑事を辞めた。気分転換のためにブータンに旅行に出かけた。  インドとは東をアルナーチャル・プラデーシュ州と、西をシッキム州と、南を西ベンガル州とアッサム州で接しており、その国境線は605kmに達する。また、北の国境線470kmは中華人民共和国のチベット自治区と接している。中華人民共和国との国境の大部分はヒマラヤ山脈の上を走っており、国境線が確定していない部分が多く、国境画定交渉が現在も進められている。  ヒマラヤ山脈南麓に位置し、ブータン最高峰は標高7,561mガンカー・プンスム。国土は、南部の標高100mから、北部の標高7,561mまで、7,400m以上の高低差がある。  気候は、標高3,000m以上の北部ヒマラヤ山脈の高山・ツンドラ気候、標高1,200mから3,000mの中部のモンスーン気候、標高1,200m未満の南部タライ平原の亜熱帯性気候が並存する。  殺生を禁じている宗教上の理由と、資源保護の観点から、川で魚を取る事を禁じており、食用の魚は川の下流にあたるインドからの輸入に頼っている。  ブータン国内に鉄道は通っていない。地方には悪路が多く、自動車事故は衝突事故よりも崖下への転落事故が多い。転落事故に関しては、シートベルトを着用しているほうが救命率が低くなるという考えから、着用は法で強制されておらず、民間では着用を勧めていない。  ブータンは、気候・植生が日本とよく似ている上に、仏教文化の背景も持ち合わせており、日本人の郷愁を誘う場合も多い。これはモンスーン気候に代表される照葉樹林地帯(ヒマラヤ山麓-雲南-江南-台湾-日本)に属しているためで、一帯では類似の文化的特徴をみいだすことができる。  食文化においては、ブータンの主食は米。トウガラシの常食と乳製品の多用という独自の面を有しつつ、赤米を中心に、パロ米(日本米)、プタ(蕎麦)の栽培、リビイッパ(ブータン納豆)、酒文化(どぶろくに似た醸造酒「シンチャン」や焼酎に似た蒸留酒「アラ」)などの日本人の琴線に触れる習慣も多い。また、伝統工芸においては漆器や織物などの類似点もある。  習俗の面では、ブータン東部では最近まで残っていた「夜這い・妻問婚」や「歌垣」などが比較的注目される点であろう。ブータンの男性の民族衣装「ゴ」は日本の丹前やどてらに形状が類似していることから、呉服との関連を指摘する俗説もあるが、「ゴ」の起源は中央アジアとされており、日本の呉服とは起源が異なる。男性の民族衣装がチベット系統であるのに対して、女性の民族衣装「キラ」は巻き衣の形式を取り、インド・アッサム色が濃い。北から流入したチベット系文化と元来存在した照葉樹林文化が混在しているといえる。  伝統的な競技としては国技の弓術が代表的である。子供はダーツのような「クル」、石投げなどで遊ぶ。武器の扱えない僧侶は石投げに興じることが多いが、近年では聖俗問わずサッカー人気も高い。特に、サッカーや格闘技は、ケーブルテレビの普及以降、爆発的に人気を獲得した。  近代化の進むなか、チベット仏教は現在でも深くブータンの生活に根差している。ブータン暦の10日に各地で行われるツェチュという祭は今でも交際の場として機能している。その他、宗教的意匠が身近なところにあふれ、男根信仰も一般的である。宗教観や古い身分制度に基づく伝統的礼儀作法(ディクラム・ナムザ)は厳格で、国家公務員の研修や学校教育に取り入れられている。公的な場所に出るときは正装が義務付けられる。    俺はブムタン県というブータン王国北部にある県にやって来た。  古代の寺や聖域の多い、深い歴史を持つ県である。  ウラ、チュメイ、タング、ブムタンの4つの谷を含むが、まとめてブムタン谷と見做す事も有る。 「ブムタン」は「美しい平野」を意味する。  黄昏の寺の前にやって来たときだった。毛むくじゃらの怪物が現れた。木陰から現れた僧侶は、クルでネコルパを倒した。 「大丈夫ですか?」と、僧。 「なんとか」  僧侶はネコルパという怪物であると教えてくれた。人間に害をなす霊で、病をはやらせたり、作物の育成を阻害したり、天災を起こしたりするそうだ。 「昔、ネコルパのせいで多くの仲間が犠牲になった。高僧を呼んで金属の箱に閉じ込めて川に流したんだが、俺の弟が騙されて箱を開けてしまった。悪いことは言わない早く帰ったほうがいい」    18日  アイドルグループ・SMAPが解散する可能性が出てきたという一連の報道を受け、フジテレビ系列で放送された『SMAP×SMAP』(関西テレビ・フジテレビ共同制作)は内容の一部を急遽生放送に差し替え、放送ではメンバー全員が生出演し、今回の騒動について謝罪した上で、グループの存続を発表。    俺はコタツの中でミカンを食べていた。スマホが鳴った。  先生からだった。大河ドラマで『真田丸』ってのがやってるらしい。先生は歴ヲタで、各地の史跡を巡るのが好きらしい。 〈堺雅人がいい味出してるよ。『新選組!』のときの山南敬助(やまなみけいすけ)もよかった〉  先生が言うには山南は気の優しい隊士だが、土方歳三とライバルで、近藤のやり方に不満を抱き新選組を離脱。組のルールで離脱することは死刑に値し、切腹に追い込まれたそうだ。 〈今度、上田に行かないか?〉 「刑事辞めたんだ。時間はありあまってる」 〈それじゃ来月あたり行ってみるか?宿の手配とかはこっちでやっとく〉  19日   第154回直木賞に青山文平の『つまをめとらば』、第154回芥川賞に滝口悠生の『死んでいない者』と本谷有希子の『異類婚姻譚(いるいこんいんたん)』をそれぞれ選出。  1815年のナポレオン戦争終結によって、イギリス海軍はジブラルタルや地中海艦隊の軍需品の供給源としてのバーバリ諸国をもはや必要としなくなった。そのため、バーバリ諸国に対して、それまで抑えてきた、キリスト教徒を奴隷にする習慣を終わらせるという政治的圧力が高まることになった。  1816年初め、エクスマス卿はチュニス、トリポリおよびアルジェの太守に対して、キリスト教徒奴隷を廃止させるため、戦列艦の小艦隊の武力を背景とした外交工作を展開した。チュニスとトリポリの太守は抵抗なしで同意したが、アルジェの太守は反抗し、交渉は難航した。それでもエクスマス卿はなんとかキリスト教徒奴隷の制度を止めるという条約の合意が出来たと信じてイギリスに帰国したが、命令の混乱により、条約締結直後にアルジェ軍がイギリスの保護下にあったコルシカ島、シチリア島、サルディニア島の漁民200人を虐殺するという事件が起こった。イギリスとヨーロッパはこれに大いに憤激し、エクスマス卿の交渉は失敗したとみなされた。  そのため、エクスマス卿は再度海に乗り出し、アルジェを罰して任務を完遂することになった。彼は5隻の戦列艦と1隻の50門艦、それに4隻のフリゲートからなる戦隊を組織した。旗艦は100門艦「クイーン・シャーロット」であり、副将のデイヴィッド・ミルン提督は98門艦「インプレグナブル」に座乗した。この戦力については多くの者が不十分であると考えたが、エクスマス卿は密かにアルジェの防備を調査しており、町の状況を詳しく把握し、港湾防衛用の砲台が弱体であることに気づいていた。より大きな艦を使うことは、敵に向けるべき砲火をお互いに邪魔しあうだけだった。主力艦隊の他には、救い出された奴隷を運ぶ数隻の輸送船と、補助的な役割に用いる数隻のスループが用意された。  艦隊がジブラルタルに到着すると、5隻のフリゲートと1隻のコルベットからなる、ヴァン・カペレン中将の率いるオランダ戦隊が加勢を申し出てきた。エクスマス卿は、彼らを陽動部隊として利用することにした。  戦列艦は単縦陣で攻撃することになった。それらはアルジェ軍の大砲の大半の射程距離外の区域に侵入することになっていた。そして、錨を下ろし、突堤にある砲台と防壁を砲撃し、防御を無力化する作戦だった。それと同時に、50門艦「リアンダー」は港口の外側に錨をおろし、突堤の内側の艦船群を攻撃することになった。「リアンダー」を沿岸の砲台から防護するためには、2隻のフリゲート「セヴァーン」と「グラスゴー」が岸近くを行動し、砲台を攻撃する手はずだった。 「クイーン・シャーロット」のペリューは、アルジェ軍の大砲に面した、突堤からおよそ80ヤード外側の位置に錨泊した。しかし、その他の船の多く、特にミルン提督の乗った「インプレグナブル」は投錨の位置を誤り、お互いを妨害し、かつより激しいアルジェ軍の砲火に自艦をさらすことになった。数隻は「インプレグナブル」の位置を通り過ぎて、当初の計画に近い位置に投錨した。  事前の交渉で、エクスマス卿とアルジェの太守は、お互いに先に発砲しないことを約束していた。太守の計画は、まず軍艦の投錨を許しておいて、その後、小型ボートに乗せた大勢の部隊を敵船に乗り込ませるというものだった。しかし、アルジェ軍の規律は緩く、砲の1つが午後3時15分に先に発砲してしまった。エクスマス卿はすぐさま砲撃を開始した。アルジェのボート隊は乗り込みを図ったが、33隻が沈められた。1時間後には突堤の大砲は沈黙させられていた。エクスマス卿は港内の船舶の破壊に目標を転じ、午後7時30分までにはそれも破壊された。艦隊は都市も砲撃したが、鉄の球に過ぎない砲弾は建物の壁に小さい穴を開けるだけで通り抜けてしまい、与えた被害は大きくなかった。 午後8時、ミルンは爆弾船「ベスビアス」を、彼の艦を打ち破りつつあった砲台に対して使うよう要請した。しかし爆弾船の指揮官は航法を誤り、間違った砲台のそばで爆発したため、求めた効果が得られなかった。  しかし、アルジェの砲台はもはや砲撃を続けることができなかった。午後10時15分、エクスマス卿は艦隊に対し、敵の抵抗を抑えるために砲撃を継続する「ミンデン」を残して、抜錨して港外に出るよう命令した。午前1時30分、艦隊は港外に錨を下ろし、負傷者の手当てとアルジェの砲撃による損傷の修理を行った。イギリス側の死傷者は全体の16パーセントにのぼった。  コルシカ島の王女マリアは、魔術を行なったかどで処刑されたが、その際にアルジェ軍に永劫の呪いをかけてやるという恐ろしい言葉を遺した。  それから約200年後、医師のアーサーとその助手ジェームズは医学会に出席するため栃木県にある東武大に向かっていたが、道中でレンタカーが故障するアクシデントに見舞われ、立ち往生する。  修理を待っていた2人は、何やら狼の鳴き声のような音に誘われて、その奥にある古びた館の中へ入っていく。2人はそこで石棺を発見、中を見ると生きているかのような美しい美女が横たわっている。  その時、突然大きな蝙蝠が飛び出してきた。驚いたアーサーは思わずピストルを発砲、その拍子に棺の上の十字架が倒れて棺ののぞき窓が割れ、アーサーは手を負傷、その血が棺の中の美女の唇に滴り落ちた。  その瞬間、棺の中の美女が甦った。その美女こそ、200年前に処刑されたマリアであった。マリアはわざわざ遠く離れた日本で二人を殺そうとした。  アーサーの祖先はエドワード、ジェームズの祖先はゴードン、エドワードとゴードンはアルジェ軍の猛者だ。  急いで逃げようとした2人は、屋敷の入口でマリアにそっくりの美女と出会う。彼女はマリアの曽孫でエミと名乗った。  マリアの死霊はエミになりすまし、自分を処刑させた一族に次々と復讐していく。ジェームズはエミをマリアの魔手から助け出そうと立ち向かう。  20日   東京地検特捜部と公正取引委員会、震災で被害を受けた東北自動車道や常磐自動車道・磐越自動車道などを管理する東日本高速道路(NEXCO東日本)の東北支社が2011年夏、“震災復旧工事”として発注した東北地方の高速道路12件の工事の入札などにおいて、20の道路舗装会社が談合により落札企業や入札価格を調整した独占禁止法違反(不当な取引制限)容疑で、工事に関わった道路舗装会社(日陽(にちよう)道路・後藤(ごとう)道路・大丸(だいまる)ロケット・阿東(あとう)道路工業など)の本社や東北支社などの家宅捜索を行い、強制捜査に着手。  午後8時、目黒桃太郎は東武署の会議室にいた。矢島組殺人事件の捜査本部が同署に置かれた。  14日に起きた銃撃事件の被害者、雑司ヶ谷弾(ぞうしがやだん)が退院した。  会議室の電話が鳴り響き、陣頭指揮を執っている橘署長が出た。  目黒は事件に関する手がかりが見つかったのかと思っていたが東武大近くの洋館で殺人事件が起きたようだ。  目黒は覆面パトカーを飛ばして現場についた。  到着したときには午後9時を回っていた。   辺りは薄ら寂しく、灯りが全く見当たらない。  被害者は2人いて、両方外国人男性。1人は鎧兜の前で、もう1人はソファに横たわり死んでいた。  2人の体には槍が突き刺さっていた。  イエスの脇腹を突き刺した兵士の名はロンギヌスであると伝えられ、その槍はロンギヌスの槍として有名であるが、いずれも福音書には直接的な記述は無い。ロンギヌスはイエスの死の確認の際に血が目に入り、白内障が治ったとも伝えられる。新約聖書外典のニコデモ福音書第16章には下記のように記述されている。  にがりをまぜた酢をのませられ、ロンギノスという名の兵隊がイエスの脇腹を槍で突きさした。  イエスと共に十字架に磔にされた2人の男の名は、デュスマスとゲスタスと呼ばれる罪人である。ニコデモ福音書第10章には下記のように記述されている。  一緒に十字架につけられた悪党の一人が悪態をついてイエスに言った、「もしもお前がキリストならば、自分で自分を救い、また俺達を救ってくれればいいだろう。」デュスマスという名の男の方が相手を叱って言った、「お前は同じ刑を受けていながら、神を恐れることをしないのか。俺達には当然のことさ。俺達は自分のやったことにふさわしい罰を受けているのだからな。しかしこの方は何の悪いこともしておいでではないのだぞ。」そして言った、「主よ、汝の御国にて私を思い出して下さいますように。」イエスは彼に言った、「まことにまことに汝に告ぐ、今日汝は我と共に天国にいるであろう。」  同じ場面の記述が同書第26章にもある。  このように彼らが話していると、そこに、もう一人、肩に十字架を背負った卑しい人が来た。この人に聖なる父祖達は言った、「あなたは強盗のように見えますが、それに肩に十字架をかついでおいでですが、いったいどなたですか。」その人が答えるには、「あなた方がおっしゃるように、私は世の中にいた時は強盗、盗人でした。それでユダヤ人達は私をつかまえ、十字架の死刑に処したのですが、それはちょうど私達の主イエス・キリスト様と同時でした。主が十字架にかけられ給うた時に、いろいろな奇跡がおこり、それを見て私は信じました。私はキリスト様に呼びかけて言いました、主よ、あなたが王として支配なさる時、どうぞ私のことをお忘れにならないで下さい、と。するとすぐに主は返事をして下さり、まことにまことに汝に言う、今日すでに汝は我と共に天国にいるであろう、と言われたのです。それで私は自分の十字架をかついで天国に来たのですが、そこで大天使ミカエル様にお会いしましたので、申しました。十字架につけられた私達の主イエス様が私をここにつかわし給うたのです。ですからエデンの園の門の中に私を入れて下さい、と。すると(入り口にある)燃えている剣が、十字架の徴を見て、開き、私は入ることができました。そうして、大天使様か私におっしゃいました、しばらく待っているがよい、人類の始祖であるアダムが義人達と共に来て、彼らもまた中にはいって来るから、と。というわけで今、あなた方をお見受けしたので、お迎えに参ったところです。これらのことを聞いて聖者達はみな大声で叫んで言った、「我らの主キリストは偉大なるかな。その御力は偉大なるかな。」  目黒は見立て殺人かも知れないと思った。  童謡や言い伝えなどある特定のもののに見立てられて、死体や現場(発見現場ないし殺害現場)が犯人に装飾させられている殺人事件のことである(殺人にまで及ばないこともある)。筋立て通りに殺人が行われるという異様な不気味さを狙ったもので、トリックというよりもプロットに属するが、アガサ・クリスティの『ABC殺人事件』や横溝正史の『八つ墓村』のように、見立てることがトリックという例も少なくない。  江戸川乱歩は「類別トリック集成」の中で「童謡殺人」「筋書き殺人」という名称で見立て殺人を取り上げている。この中で乱歩は故人の言葉や古文書などの筋書き通りに恐ろしいことが起きるという着想は日本の古い物語や、オラクル、亀卜のような占い、また聖書などにも見られ、それら同じ恐ろしさを探偵小説に応用したものと解説している。  上記のように推理小説(ミステリー作品)における見立て殺人の目的は、読者に異様な不気味さを与えるというものである。他方、それを実行する犯人の理由は様々であり、基本的には先入観を与えることで次の標的候補、犯行順序、犯行現場、凶器を予測させて探偵役(ひいては読者)を欺くことにあるが、ヴァン・ダインの『僧正殺人事件』のような異常な心理が主因という場合もままある。ただし、トリックに関係しない場合でも、見立てられないままに起こった殺人などをきっかけにして、犯人の糸口をつかむということはある。  推理小説の歴史における最初期の見立て殺人はイギリス推理小説における童謡殺人であり、後述するようにマザー・グースを題材にした作品がよく見られる(ただし、乱歩は1919年発表の谷崎潤一郎『呪われた戯曲』を「筋書き殺人」の例に挙げている。この年にはフランスのモーリス・ルブランが、孤島に伝わる詩に沿って連続殺人が行われる『三十棺桶島』を刊行している)。  
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