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「さ、まずは食べましょう。
お腹がすいてると、ロクなことにならないわよ。」
どこかで聞いたセリフだと思いながら、母は自分のイクラを私の桶に入れてくれた。
母は早々に食べ終わり、私の湯呑みに追加の煎茶を注いだ。
私はどうしても食べきる事が出来ずにラップして置いておく事にした。
湊がお腹をすかせて帰ってくるかもしれないし。
「どこまで話したかしらね。」
煎茶を啜りながら母がまた話し出した。
妊娠が分かって、それを伝えようとした矢先の事だった。
桐生さんとその婚約者が会社の非常階段で抱き合っているのを見てしまったという。
「きっとね、彼女が一方的に抱きついたのね。
彼は突き放すなんて出来ない人だったからそのままになってしまっていたのかもしれないわ。
でも私は許せなくなってしまったのよ。
『突き放せないなんておかしいじゃない。
私の事が好きならやめろって言ってよ』って。」
それから母は桐生さんに別れを告げて会社を辞めた。
相手のいない妊娠を、両親は許してくれなかったという。
母は逃げるようにこの街にやってきた。
「貴方を育てながら働くのはさすがの私もすぐに限界がきてしまってね…病んでしまったのよ。産後な事もあって体調も悪かったのもあったのね。そんな私を支えてくれたのがパパよ。」
母の目が一気に優しい目になった。
「パパはね、本当に私のスーパーマンだったわ。優しくて明るくて仕事も文句も言わずにこなすしね。私はホッとしたの。これでようやくあなたを幸せにできるって。
でもね、そんなうまい話なんて、ないのよ。」
母にべたぼれだった父は両親を説得して直ぐに結婚した。
その直後、桐生さんが母の前に現れたという。
「帰ってくれって言っても帰らないのよ。
しかたないからあなたを彼に見せたの。
あおいは夫の子供だって言ってどうにか帰ってもらったの。迷惑だって。
でももしかしたら気づいてしまったかもしれないわね。あなた、彼にそっくりだったから。
パパは物凄く怒ったわ、私にね。
ずっと桐生さんと繋がっていたと思ったのね。私もちゃんと伝えておけば良かったのに、逃げてしまったのよ。
パパだけを愛している、一言で良かったのにね。」
「私、今でも桐生さんに似てる?」
「うん、ほんとそっくり!
DNAって怖いわねぇ〜あははっ。」
母のこの底抜けの明るさに、今まで私は何度も救われてきたが、今もまた引き上げられた気分だ。
「パパはね、そんなあなたを本当に大切にしてくれたのよ。
私が2人の子どもについて話したらね、あおいに兄弟は作らないって。
あなたがこの事を知った時の事を考えたのね。
あおいだけで、十分だって。
何度説得しても曲げないのよ。
凄い人だなって思ったわ。
でもだからこそここまで拗れてしまったのかもしれないわね。全部、私のせいなのよ。」
母の時間旅行につきあわされたようで、体験してしまえば、なんだかもう…感情をどこに持っていけばいいかわからない。
「あおいちゃん」
母に呼ばれて顔を上げた。
「もうあなたの好きにしなさい。あとは私がどうにかするし、どうにかなるわよ。」
にこっと笑った母が、「なにか甘いものなかったかしら。」と立ち上がってキッチンへ行った。
まだ食べるのか…と思いながら頬が緩んだが、最後まで私に謝罪などしない母に潔さを感じて、その大きな愛を心に受け取っていた。
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