2.守りたいものと壊したいもの

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2.守りたいものと壊したいもの

数日後。二十時すぎて仕事を終え、電車に揺られている千広のスマホが、ブルッと振動した。ポケットから取り出すと、凛からのメール。どうやら腰の痛みはすっかりよくなったらしい。あの日、寮に帰ると市瀬の追求が激しかったらしく、大変だったと書いてある。その様子を想像しながら、千広は思わず笑ってしまう。 『この前相談したいことがあったのに、言い忘れてた』 その凛の言葉に千広は眉を顰めた。 『何? あとで電話しようか?』 『そんなに重い話じゃないからメールでも大丈夫。前言ってた音楽会社の人からのダイレクトメールがまた来てたんだ。それを相談しようと思ってさ。今から転送するから見てもらっていい?』 以前、ピアノの配信サイトのダイレクトメールに音楽活動を始めないかと誘いの連絡が入ったのだと凛に聞いたことがあった。たいして本気にしていなかったのだが、その後もまたメールが入るようになったという。そのメールに書いてあったのは、凛一人に対してではなく千広も一緒に活動しないか、というものだった。千広はスマホから少し目を離し、電車の車窓から街の灯りを見る。 (……変なやつじゃないといいけど) 配信している動画は凛一人がピアノの前で弾いているものだ。恋人だから、というひいき目でみなくても、凛は整った顔をしている。もしかしたらストーカーみたいな奴が凛に近づこうとして言ってきているのかもしれない、と千広は疑っていた。だが自分も一緒に、というところが解せない。配信の人気度から考えてもしかしたら本当に音楽業界の人かもしれないのだが……。何にしろ、千広も音楽業界には詳しくない。果たして素人相手にこんなスカウトなんてするのだろうか。 そう考えているうちに、凛から例のメールが転送されてきた。ビジネスに慣れているメール文章で、署名に書かれている会社名も検索してみると実在する会社で、まあまあの大手だ。それだけに何だか胡散臭くも思えてきて……。 (あいつに聞いてみようかな) 堂々巡りの思考になってしまい、ふと千広は大学時代の知り合いのことを思い出した。友人の友人、という間柄だったが何度か飲みに言ったこともあるし連絡先も知っている。確か数年前に広告代理店を立ち上げたと聞いていた。それなら千広よりも断然、詳しいはずだ。 『でもこれが本当なら千広さんとやりたいな。そうしたら一緒に居られるようになるね』 凛から続きの返信が届いて千広が目を見張る。 きっとこれなら一緒に居られる、と凛は単純に思ったのだろう。だけど、と千広は厳しい顔つきになる。音楽だけで食っていけるわけない。今の仕事もある。無責任に投げ出すことなんて出来ない。今日だって日中忙しなく鳴る電話とデスクワークに明け暮れてた。今担当している案件は複数ある。それをどうやって…… 凛には悪気がないのは分かっている。だからこそ、年上である自分がしっかりしなければ、と千広はため息をついた。そしてスマホに返信を打ち込んでいく。 『少し冷静になったほうがいいよ。配信が当たってるからってそんなすぐに上手いようにはいかない』 凛の甘い妄想を千広が一刀両断、ピシャリと言い放つ。凛に対してあまり反対意見を言わない千広だが今回ばかりは無理だった。 そしていつもならすぐ届く凛からの返信は来ない。ようやく返信が来たのは二十分後。 『一緒に居たくないの?』 (完全に拗ねてるな) そう千広は思ったがあとにひけない。自分がしっかりしなければ。
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