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2.守りたいものと壊したいもの
「長峰、何かあったのか?元気ないようだけど」
放課後、帰宅準備をしていた凛に市瀬が話しかけてきた。いつもなら凛をからかって遊ぶ市瀬が優しくしてくれるとは、と凛は苦笑する。心配される程、落ち込んでいたなんて。
「千広さんとちょっと、喧嘩みたいになってるんだ」
少し口を尖らせてそう言う凛に、市瀬は理由も聞かず笑った。
「あの優しそうな千広さんが怒るなんて、何したんだよお前」
笑うなよ、と凛がブツブツ言うものだから市瀬はまあまあ、と凛の頭を撫でていたところに、ちょうど田辺が教室に入ってきた。
「おー、待ってたぜ。」
市瀬が田辺を見ながらそう言うと、田辺は凛の頭にある市瀬の手を少し睨んだ。
「まあ、そんなに妬くなって。長峰が彼と喧嘩中らししくて、理由を聞いてやろうと思ってさ」
市瀬が凛の頭から手を離し、田辺の頭を撫でようとするが田辺はその手を払いのけた。
「……別に妬いてないから。どうして喧嘩したの」
怖い怖い、と笑いながら市瀬が椅子に座り、凛の方を見た。田辺も隣に座る。心配して聞いてくれるのか、単に面白がってるのか。凛は内心、モヤモヤしたがとりあえず二人の意見も聞いてみようと思い事の次第を話した。
「そりゃあ、怒っているって言うより……」
「長峰がまだまだお子ちゃまってことだな」
田辺と市瀬がそれぞれ、そう言ってきた。二人の意見は『お前の方が悪い』だった。
「え、でも……」
思わず凛が口を尖らせて反論しようとしたが、市瀬が言葉を遮る。
「だってよ、千広さんは会社員なんだぜ。俺らと事情が違いすぎるだろ。生活もかかってるだろうし」
それは凛にもわかっている。だけど即答で答えて欲しくなかった。あんなにきつい言葉をかけられるなんて思わなかったのだ。
「あとさ、千広さんは長峰のことを心配してるんじゃないの。高校中退してさ、音楽やってもしダメだったら人生変わっちゃうじゃん。音楽をせずに、このまま大学行って社会人になれば……って。千広さんの一言でお前の人生も変わるんだから、そりゃ慎重になるだろうね」
田辺が諭すように凛を見ながらそう言う。市瀬もウンウン、と頷く。真面目な千広のことだ。きっと、色々考えているのだろう。
「せめて高校卒業して、大学通いながらとかでもいいんじゃねえの」
「今すぐじゃなくてもいいって、相手の人も書いてくれてたんだけど……」
届いたメールには確かに学業を優先して欲しい、と書かれていた。ただ、数年も待ってくれるような話ではないだろう。何よりも、凛は今すぐ一緒にピアノを弾きたい。一緒に居たいのだ。数年先なんて考えられない。黙ってしまった凛に市瀬と田辺は顔を合わせてため息をついた。
「まあ、お前の気持ちも分からないでもないよ。俺らみたいに一緒じゃないんだもんな」
そう言う市瀬の顔が優しくて、凛は目をパチクリとさせた。市瀬と田辺はこのまま一緒に大学に行ってそのまま一緒になるのだろうか。ふと気になって凛が聞く。
「二人はこの先、どうするの? 同じ大学行くの?」
「いや、俺が県外の大学行って、市瀬は市内の専門学校に行くよ」
「え……?」
市瀬と田辺は寮生だ。今まで一緒だったのにわざわざ別のところで暮らすなんて、と凛は驚いて何故かと聞いた。
「俺がやりたいことと、こいつがやりたいことが別々だから。だけど週末は一緒にいようと思ってんだけどな。ねえ? 田辺くん」
「週末のとこは別に言わなくていいだろっ」
田辺が赤くなって市瀬に食ってかかる。どうやら市瀬は美容関係に進むために専門学校へ行き、田辺は経済学を学ぶために県外に出るのだと言う。それなら同じ県内にあるだろうに、と凛が言うと市瀬は少し笑った。
「逆にさ、俺ら今まで近すぎたからさ。期間限定のお別れってやつよ」
期間限定、と言うことはまた一緒になると言うことか、と凛はホッとした。それにしてもわざわざ別離するなんて甘えん坊の凛には到底出来ない。
「お前らみたいに、やりたいことが同じで一緒の方向に進めるなんて、奇跡だぜ。だから、急がなくてもいいんじゃねえの」
田辺がポツリとそう言い、そろそろ帰ろうぜ、と席を立つ。窓から入る夕陽の光に照らされた田辺と市瀬が何だか眩しく見えて、凛は目を細めた。
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