3.アイボリー

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3.アイボリー

姫野は名刺を出して千広に挨拶をする。千広も名刺を出して挨拶しようとした時、仕事ではないことを思い出して赤面する。その様子を見て、姫野が少し笑った。 「船澤さんは、真面目なお方なんですね」 「真面目というか、職業病ですね……」 釣られて千広も笑う。初対面だというのにスッと人との会話に滑り込める姫野はやはり営業上がりなんだな、と感じた。  飲み物をオーダーすると早速姫野が資料をテーブルに広げて千広に見せる。これからのこと、契約についての注意事項など結構な量だ。こんなにたくさんあるのか、と正直ウンザリした。内容を一通り聞きながら千広が眉間に皺を寄せる。 「突然たくさん持ってきてしまってすみません。せっかくお会いできるならと思って。でも船澤さん。ぜひ、契約させていただきたいんです。配信を拝見させていただいてこれだって思ったんです。作曲担当と演奏担当。この二人が色んな音楽を紡いでいってくれたらいいなって。え? いますぐ決めるべきかって? いえいえ、そんなお願いはできません。ピアノを演奏している子は高校生ですよね。僕としても学業は優先していただきたいなとは思ってます。ただ、いつまでも待つことは申し訳ないのですが出来かねます」 姫野は一気にまくし立てるとふう、とため息をついた。 「僕らも、計画をしてお二人を迎えたいんです。できるなら早目に実現していただけたら、ありがたいです」 「それは、凛が……、あのピアノ弾いてる子が高校卒業するまでは待っていただけたりしますか?」 「一年後、でしたっけ。それくらいであれば、大丈夫ですがそれ以降を待つのは難しいです。本当であれば半年後くらいでもお願いしたいです」 「えらい急ぐんですね」 「この世界はスピードが命ですからね。それにデビューとなると多少のレッスンは必要となります」 優しい声なのに姫野の芯のある口調に、千広はタジタジだ。だが、潔いその口調に千広は好感を持っていた。 一息ついて、姫野が千広に聞いてくる。 「以前、メールは差し上げたのですが、ご連絡がなかったので戸惑っておられるかなあと思ってました。本日はどうしてお会いいただけることになったのですか?」 「実は、私の友人から一度、話だけでも聞いてみろと言われまして。こんなチャンス誰にでもあるわけじゃないからと」 「ああ、それはありがたいですね、僕らにとっては」 苦笑する姫野。そしてじっと千広の顔を覗き込んできた。 「船澤さん。僕があなたたちの運命を変えてしまうかもしれません。良い方に転ぶか、悪い方に転ぶか不安とは思いますが、信じてください。僕はあなた達をスターにします。ねえ、ピアノの世界にどっぷり首まで浸かってみませんか? もうプライベートで名刺を出すような癖は無くしましょうよ」 断言する姫野の瞳が千広を射る。千広はふうとため息をついた。 「……分かりました。凛に打診してみます。彼の両親にも話をしなければと思いますので、返事はそれからで良いでしょうか」 「もちろんですよ。ありがとうございます」 「それにしても、姫野さんはこの仕事お好きなんですね。とても自信に溢れてらっしゃる」 「いえそれが僕、この会社入ったのは偶然で。あ、ここだけの話ですけどね」 こそっと姫野が小声になるものだから、千広は思わず身を乗り出して聞く姿勢になった。 「学生時代から好きだった子がいまして。大学卒業して家に転がり込んで同居させてもらってね。同じ会社に就職しただけなんです。入社してみたら仕事が面白くなりまして」 「若いなあ。青春じゃないですか」 「勢いってあるじゃないですか。あの時、勢いで家に転がり込んで、就職したから今の僕がいる。だから満足してるんです。ね、船澤さん達も勢いで契約、お願いしますよ」 ニッコリと姫野は笑いながら、会計をしようと席を立ちレシートを持った。 「その彼女とは今、同棲しているんですか」 レジを済ませ、店を出て千広が聞くと姫野はクスっと笑って答えた。 「ええ。一緒に住んでますよ。彼なんですけどね」 「へ」 「僕、ゲイなんですよ。驚きました? そういえば初対面でこんなことお聞きしたらまずいかもですけど。聞いていいかな」 驚いて目をパチパチしている千広に、追い討ちの言葉を告げる。 「凛くんと船澤さん、恋人同士ですよね?」
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