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※  夜二十時過ぎ、予定はしていたが急に現れたその人物達に、慣れたとはいえヒムラはやはり驚いてしまった。様々な理由はあるが、最もヒムラを驚かせるのはその奔放さからかもしれない。嬉々として上がり込む様に遠慮はなく、手土産の紙袋は毎度甘い物が入っている。  そしてマチを見るなり奇声一歩手前の声を上げ、本当に諸手を上げて喜ぶのだから毎度驚く。彼らが、エリートの刑事であることに。 「なんだかマチ君に会うのも久しぶりになっちゃったなあ。最近変な事件も起こらなかったし、もの凄い退屈だったんだけど、良かったー今日は首突っ込んで正解だったねえ(かがみ)君」 「はい! 正直、千葉(ちば)さんが仕事をするだなんて面倒だなあとは思いましたが、日昏(ひなき)さんにお会い出来るのでしたらどんな面倒事にも首を突っ込める気しかありません!」 「正直なんだから(かがみ)君たら。ヒムラ君もなんだか大人びて来た気がするよねえ。まだ十代だもん、伸びしろしかないしねえ」 「ここに来てまだ二年しか経ってないですし、そんな変わらないですよ」 「そうかなあ。あれかなあ、マチ君がずっと変わらないから、ヒムラ君の成長が著しく見えるのかなあ?」 「はい! 日昏(ひなき)さんは常にいつもお美しいですから、凡人のように細胞単位で退化することすらありません!」 「帰れ」  よかった、ヒムラは正直にそう、思った。  夕食時に上がり込んで来たこの二人は、黒いスーツで長身の男が千葉司(ちばつかさ)、チャコールグレーのスーツで小柄な男が鏡総一郎(かがみそういちろう)と言う。  この、なんとも言えないコンビで性格の二人がこれでもエリートの刑事であることを、ヒムラは未だに信じ切れてはいないが、けれど好き放題にやり続けている様子を見ると、信じる以外にはなくなってしまう。  マチとカケルからの話では千葉(ちば)がどこかのお偉い人物の息子で、その見張りとお付きにされているのが(かがみ)らしいのだが、この様子を見ると(かがみ)を選んだのはなによりの間違いである。暴走が輪をかけて乱反射しているではないか。  彼等はヒムラがマチと出会う以前から交友があり、聞けばカケルよりも先にマチとこうした仲であったらしい。つまりは、仕事上の関係ということになる。警察に入った、どうにもならなそうな件の横流しである。  今回もそうした内容でわざわざマチの自宅にまで訪れたはずなのだが、彼らは既にダイニングで食卓を囲み、マチはキッチンからその、見たものの体温を奪いきるような視線を送っているのだ。手元ではこの二人の分の夕食も、作りながら。 「やだなあ、帰らないよーマチ君」 「仕事の話じゃないなら帰れ」 「仕事の話じゃなくてもご飯食べてから帰るよー」 「本当でしたらなにかお手伝いをさせて頂きたいところなのですが、ミリも雑味が混じることもなく日昏(ひなき)さんが作った夕食にありつきたいばかりにお手伝いを放棄させて頂いております!」  千葉(ちば)についてはこの際悪手だろうと良しとしても、この、(かがみ)はマチを前にすると完全に機能が低下してしまう。ヒムラとカケルはこの状況を「バグる」と表現しているが、やはりそれは間違いではなさそうだった。(かがみ)の釣り目がちな大きな猫目は、最早瞳孔がよろしくない状況でマチしか見えていない。 「まあ、でも正直。食事の前にする話でもないから、本当にまずはご飯を食べよう。食べてしまえば、戻したとしても次の日の朝か昼まではもつでしょ」  そんなにも酷い話なのか。ヒムラはつい身構えてしまうが、だからこそ、その仕事を持ってきたのが千葉(ちば)(かがみ)で安心もした。  それだけ酷い話でもマチ単体で仕事をするよりも彼らがいるだけで十二分にマシなのは確かで、マチが危ない仕事を請け負ったとしても、そこに権力や法律が少しでも加われば、少なくとも生身の人間から受ける被害は抑えられる。  生業にしているものがものだけに、正直都度不安が絶えない。マチを守る存在だって必要だと、ヒムラは言葉に出さずとも、内に秘めていた。  千葉(ちば)(かがみ)から聞いた話はなんとも不可解で、奇怪な内容であった。  この所、警察には不可思議な通報が相次いでいた。内容はいつも決まって「出られない、助けてくれ」くれというものだったが、伝えられた住所に向かってもそこには誰もいない。そうした通報が何度も重なり、タチの悪い悪戯が流行りだしたのであろうと踏んである程度はそうした見方で扱うようにもなった。  けれど、何度目かの通報を受けた際、警察はこれまで通りの悪戯であろうと高をくくっていたが、違った。伝えられた住所に向かうと、そこには男の遺体があった。それだけでも重大な事件であったが、事はそれだけではなかった。 「死んでいたのはその部屋の住人だったんだけどね、でもその男、少し前から行方不明になってて、他の人間が捜査中だったんだ。で、急に出てきて見つかったわけだけど、それもおかしなことで。その部屋はそうした事件性から誰も入ってなかったわけだよ。鍵を持っていたのは男の両親と管理人のみだけど、どちらもその鍵をきちんと保管していて紛失もしてない。関係者以外に彼らに開錠を頼む者もいない。その上、男と同時に、急に部屋に生活感が出たんだよね。何日も誰も入ってないはずが、もう何日も掃除すらしてないんじゃないかってくらい」  男と同時に現れたその生活感は、けして一日や数時間でどうにかなるようなものではなかった。けれど確実に、その部屋は主が行方不明になってから数日間、関係者以外出入りはしていない。その関係者ですら驚く程に、元の状態とはかけ離れていたのだ。 「もう一個。これは出て来る直前に耳に挟んだんだけどね、遺体の男は特に外傷はなかった。ただ、僕たちが見た時点で血は流れていたんだ。それはどうも鼻血だったことがわかったんだけど、それと同時に、男の内臓が左右逆になっていたって言うんだ。でも、彼が内臓逆位であった記録はないよ、勿論ご両親もそんなわけはないと。そんな珍しいものを、ご両親が知らないはずがないからね」  つまり、後天的ななにかで内臓が逆になったとでも言うのか。ヒムラは想像しかけて、後悔した。喉の奥に夕食が詰まる感覚がある。確かに、千葉(ちば)の言う通り食後で良かったのかもしれないが、これはこれでこみ上げるものもあった。 「警察に相次ぐタチの悪い通報、行方不明、住人が行方不明の家に本人が遺体になって現れた、そこは入れないはずの場所。マチ君の仕事じゃない?」 「本人は鍵を持って出てないのか」 「そう、本人はなにも持たずにいなくなってた。部屋から彼だけがいなくなってたようなもんだね。つまり、入れないよね?」  千葉(ちば)は仰々しくその長い腕を広げて椅子の背もたれを鳴らした。考えるマチの様子をにたついた表情で眺めながら、どこか満足そうである。 「お前、こういうの以外仕事してんのか」  頭の中の会議が纏まったのか、マチは食後の一服を開始し、煙草に火をつけた。染めたばかりのアッシュブラウンの髪を背景に、白い煙がはっきりとした姿のまま天井の換気口へ向けて伸びていく。  仕草や、それでも平坦ではあるものの僅かに晴れやかな声は、マチがこの仕事を引き受けたのであろう様子が窺えた。なにしろマチは嫌なことだけははっきりと断る。断らないということはそこに次いだ言葉が例え嫌味でも肯定なのだ。  千葉(ちば)(かがみ)はあからさまなポーズをとって喜んだ。(かがみ)に至っては立ち上がっても差ほど変わらないものを両手を突き上げてまで喜んでいる。  彼らのマチ好きには一体どんな根底があるのかは知りたくない気もしているが、毎度こうなのでヒムラは気になって仕方がなかった。問うてしまうと長そうなので都度、即、諦めているのだが。 「じゃあ、都合が付いたら現場を案内するよ、いつもの通りにね。――と、まずはおかわりしていいかなあ。おいしいねえ、マチ君のご飯。外食やめようかなあ」 「いい、通え」 「僕はだし巻き卵のおかわりを所望します!」 「今日の献立にねえんだよそれ」  この話題に関しては賛同して同調したい気持ちで山々なヒムラであったが、乗ったが最後、怒られるのはヒムラ一人な気がしていて必死で言葉を飲み込んだ。今日の夕飯は好物のひき肉丼で、千葉(ちば)(かがみ)が来るのを知って鶏むね肉を足したいつものアボカドサラダも、ツナトマトも、野菜の煮びたしも、本当にどれも美味しいからと話題に乗りたい。乗りたいが、怒られるのは避けたい。  奇妙な食卓は日をまたぐまで賑わった。その間誘惑に負けたヒムラは何度か千葉(ちば)(かがみ)に乗せられ、都度マチの体温を奪いきるような視線を浴びるハメとなった。
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