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現場は二階建てアパートの二階、階段から一番遠い角部屋だった。
正面にあるアパートの駐車場に車を停め、鏡が先に降りてマチがすぐに部屋に入り込めるよう扉を開けて待機した。マチとヒムラが車を降りたその足で走り、部屋に滑り込むと後は千葉と鏡が処理して続いた。
部屋の作りはよくある単身用の小さな1DKで、玄関の狭さがなんとも言い難い。小柄なマチであろうと部屋に上がらなければ続いたヒムラはその場に立っているのも難しい。先に入って察していたマチが既に部屋に上がり込んでいたお陰でごちゃつかずに済んだのは救いだった。
玄関から左手に洗面脱衣所と浴室、その正面にトイレ、ほんの僅かな廊下を進むと扉が遮る先に右手がダイニングキッチン、左手に寝室が続いていた。
聞いていたよりも多少、部屋は綺麗に思える。この数日間の関係者の出入りで変化しているのだろうが、男の一人住まいにしては物も少なく整頓されている。
「遺体はその、寝室のベッド付近、ここだね。ここに本当は小さなカーペットが敷いてあったんだけど、それは調べるのに持って行っちゃった。必要はないよね?」
千葉の言葉に、マチは部屋を調べながら頷き、千葉もまた、そのまま言葉を続けた。
「死んだのはいつになってた」
「その通報があった日。つまり、行方不明になってた九日間は生きていたんだよね。どこにいたのかはわからないけど。でも、ね、鏡くん」
「はい。俵武尊は食事をとっていました。胃の中に消化されきらないものも残っておりまして、その、食べたものがこの部屋の冷蔵庫にあったものと一致しています」
「戻って来てここで食事をしたってことですか? 食事の後に、亡くなった?」
「いやあ、そうでもないんだよねえ。冷蔵庫にあったものと彼の胃の内容物、この部屋に突然現れた生活感の状況から、なんかどうも、ここで生活していたみたいな状況なんだ。おかしいよね、行方不明がわかった時点でここには関係者が入った時も誰もいなかった。でも、あたかもいたみたいなんだ」
行方不明として捜査が進んでいた俵武尊、彼の姿がどこにもなかったのは関係者だけでなく両親、管理人も確認済のことであった。その彼を探していたのだ、部屋の中で見逃すわけもない。だが、急に、ずっとこの部屋にいたかのように、〝彼ら〟は姿を現した。
「水道とガス、電気のメーターは」
「勿論動いてなかったよ。解除の連絡もいってなかったね」
「つまり、水もガスも電気も使わずにいたってことですよね? えーと、ここで」
待ってました、とばかりに、千葉は長い腕を広げ、その勢いのまま手のひらを叩き合わせた。
「そうなっちゃうよね? で、冷蔵庫の中身になるんだよね。どれも火を通さずに口にしていたみたいなんだ。だから、一致したんだよねえ」
「水分については買い置きのミネラルウォーターやペットボトルのお茶などがありまして、恐らくそれらを飲んでいたものと思われます」
「え、食べていたってことは、トイレはどうしてたんですか?」
「もしかしたら元々回数の少ない方だったのかもしれません。水道は止められていましたが、トイレのタンクの水でどうにかなっていたようです」
「ええ……九日間もですか?」
キッチンにもたれ掛かる千葉と、マチの邪魔にならないよう都度移動しながら答える鏡、彼らの話を聞きながらもマチはずっと部屋の中を調べ歩いていた。
ヒムラの目にはおかしな部分は見つけられず、話に聞く程の不自然さも感じられなかった。この、当たり前の日々を過ごしてそこにあったのであろう部屋に、人が亡くなるような薄暗いものも感じられない。
けれど、だからこそマチの専門なのであろう。「そんなはずがない」ものは、その殆どがマチの専門、生業なのだから。
「鏡はどんな状況だった」
「鏡ね、気になるだろうと思ったから写真持って来たよ」
一瞬、名を呼ばれたのかと嬉々とした表情を見せた鏡を除けて、千葉が長い腕で洗面所のマチに写真を手渡した。ヒムラも同じく鏡を除けてマチと共に写真を覗いてみたが、酷いものだった。大きな鏡が中央から割れたのだろう、四隅のほんの少しだけが独立洗面台に残ったのみで後は全て砕け、洗面ボウルや床に破片が飛び散っている。
遺体に外傷がないと聞いた通り写真にも血痕は見当たらない。何かを投げつけて割ったのだとしたら、本当にタチが悪い。
「どっちから割れてた」
「え?」
ヒムラと千葉が同時に、腑抜けた声を上げてマチを見た。
「鏡面から衝撃があったのか、鏡の裏面から衝撃があったのか、どっちだ」
「ええー……そんな、ええ? 裏からとかあるー?」
「あるんだよ」
低く平坦な声が抑揚なく繋ぐと、マチは写真を凝視した後、洗面台を睨みつけた。
普通は考えない。鏡が割れていれば鏡の表面に衝撃があったのだろうと判断しやしないか。マチの専門である所以がそこにあるのだろうが、時にマチのそうした言葉はなにかの頓智のようでヒムラは頭を抱えそうになってしまう。
「すみません、その現象についてはなにも情報がありません。一度戻った時に相談してみます」
「まあ、なんだそれって言われない限りは、なんかしら調べてくれるとはおもうんだけどねえ」
千葉と鏡があからさまに肩を下げて萎れてしまう。準備万端でマチを案内した自信があったのだろう。思いもよらぬ質問に返せるものがなく、鏡に至っては落ち込んで俯いてしまった。
行方不明、悪戯通報、遺体、部屋の生活感、割れた鏡、そして、左右が逆になった、内臓。ヒムラの頭の中は既に情報過多でその処理さえ諦めてしまっていた。
「ん? 待ってください。悪戯の通報は結局誰からのものだったんですか?」
相次ぐ警察への悪戯通報、そもそも通報が言う住所がこの部屋だったお陰で俵武尊の遺体が発見出来たことになる。では、その人物がなにか知っているのではないか。ヒムラは素直にそう思えたのだが、千葉と鏡はどういう感情の表しなのか、互いに唸って、見合っている。どうしてこの二人は逐一こうも胡散臭いのだろうか、ヒムラは真面目に取り組んだことを発した直後に疑問に感じた。
「いやあ、ね。確かに何度も通報はあったんだよ。何度もね。そう、何度も悪戯だったから、まあ彼のもそうだろうと思われたわけだよ。思われちゃったんだけど、彼本人からのものだったね」
「この部屋の住所を伝えるもの以外は悪戯であると処理されています。ですが、この部屋の住所を伝え、出られないと助けを求めたのは、どうも俵武尊本人であったと思われます」
情けない声を上げるヒムラに続いて情けない声で「でしょう?」と同調する千葉の後、鏡が更に続けた。
俵武尊の遺体が発見されたのと同時に悪戯通報で処理されかけた電話内容も調べ直された。勿論、俵武尊のスマートフォンの中身も共に確認されたのだが、警察は更に頭を悩ませることとなった。
行方不明であった俵武尊のスマートフォンには、彼が姿を消したその日から、友人、両親と各方面への発信履歴が残っていたのだ。そのどれもが繋がってはいない状態で発信のみであったが、最後の発信、警察への通報だけが、繋がっていたのだ。それが、あの悪戯通報の正体であるようだった。
だが、どれも辻褄が合わない。彼が行方不明でなかったのなら可能であろうが、俵武尊はスマートフォンを持たずにその部屋から姿を消しているのだ。使用出来るはずもない。だが、証拠が残っている。
そう、どれも成り立ちはしない。成り立たせる為には絶対に必要な彼だけが、その場にいなかったのだから。
「ね? 行き詰まるでしょ?」
「流石に我々もどう処理するのか不明なものがあります」
唸り合う三人を他所に、マチだけが未だに鏡と写真を睨み続け、それは俵武尊の部屋を後にするその瞬間まで続いていた。立場上そう長居もしていられなかったが、それでも持ち時間いっぱいまでマチは鏡と睨み合ったままであった。
「もうそろそろ」と千葉が切り上げた所で鏡を先頭に入る時と同じ戦法で部屋を出た。――が、階段を降り、車に乗り込もうとしたヒムラの視界がアパートの二階廊下と階段を捉えた時には既に、マチの姿が、なくなっていた。
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