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一瞬の出来事ではあったが、そこに在るものがなくなっていた時点で状況は把握は出来ていた。なにより部屋を調べて、現物までは見られなかったものの現場写真を確認出来たことでも検討がついていたお陰で余計にわかりやすい。「そうか、やはりそうか」とは思ったが、「やられた」と言葉が浮かんだのも確かで、少々苛つきもした。だが、結果あちら自ら手口を明らかにした。後は、見つけてやるだけだった。
まず、一日目は「この状況」を把握する努めから始めた。思っていた通り、「反転した」世界は頭で理解していても慣れた体が反応し難い。注意しようと考えた側から通常の動きをして更に苛ついてしまう。
その一日目で、自分以外の生命体がなにもいないことがわかった。その所為か、夜になっても一つの明かりもつかない、音すらもない世界であった。
夕方からのほんの暗がりすらも照らすものがなく、幸い持っていたライターで雑誌を燃やす程度は出来たが、そんな明かりではたかが知れているのも察して、日が暮れた時には調査を止め、体を休めた。
二日目は異変、変化、「反転」以外のおかしなものを探して歩いたが、正直これと言って見つけることは出来なかった。強いて言えば、やはり陽の昇りも「反転」していた。その程度で行き詰まった。恐らく、「反転」に体が慣れるのに時間がかかっていた。「反転」の反面、時間だけは正しく過ぎて行き、けれど夕方にはもう、行動が狭まる。じっとしている時間が長すぎて、慣れるまでに時間がかかっているのがわかった。
三日目の朝、この時点で異変を感じた。考えればこうなってから、生理現象の一つもない。腹も減らず、水分も欲しいと思わなかった結果、ここまでなにひとつ口にして来なかった。慣れる時間を待ったのは間違いだったかもしれない。
徒歩で移動出来る距離に自宅はない。俵武尊の家へと戻り、窓を割って部屋を借りた。残っていたペットボトルの水だけでも飲むべきかと思ったが、それも利口ではないのだろうと決した。
起点に戻り、俵武尊の自宅を調べ直したが、これと言ってなにも残っていない。「反転」した世界だとしても家自体に変化というものはないはずで、こちら側になにか残っていないものかと考えたが、まるでなにもない。だが、それが証拠のようだった。つまり、なにも残らない。恐らく吐き出すのだろう。取り込んだ生命体が死んだ時点で全てを吐き出す。俵武尊と、その同時に部屋に起きたことを考えれば、そう納得出来た。
やられた直後は呪いの類であると考えていたが、吐き出すとなれば呪いのような感情の部分ではなさそうだ。生き物か、或いは外から人工的に行われている、機械にも似たものかもしれない。
ならば尚更早く出る必要がある。死ぬまで出すつもりはないのだろうが、では何故、知るはずもない自分をこうしたのかが理解出来なかった。いや、知るはずがないからこそ、警戒したのだとしたら。だとしたらあの日の自分たちの行動は、見られていたはずではないか。
調べる必要がある、けれどまた、夕方になった。時間の過ぎる感覚がおかしく感じた。体に影響が出始めていたのだろう。順応する為にも体を休め、朝を待った。
四日目、目覚めた時には随分と明るく、時計を確認した所既に昼に近かった。まだ体が慣れない、腹立たしさを感じたが、同時に、わかったことの方が大きく、平静でいられた。恐らく、俵武尊も時計を見て発信可能な番号に気が付けたはずだ。
四日目で漸く気付く程、思考力が落ちている。自然と舌打ちをしたその口に鉛の味がして、拭うと血が付いていた。暫くなんのことか頭がついていかなかったが、なんとか追いついた頃に洗面所へと向かい、極自然に鏡を見て、鼻血を確認し、同時に、わかった。
俵武尊の時に、この部屋にはなく、今はあるものが。
拭っても拭っても、鼻血は止まらない。洗面ボウルに落ちる血が、反時計回りに流れて行く。
「成程、理解した」
恐らく、このままいけば俵武尊のようになるのだろう。内臓が徐々におかしくなり、最後には反対になる。あれが最後かどうかは本当の所わからないが、人体がそれに堪えられるわけがない。その証拠に生理現象の低下、思考能力の低下、鼻血、この後になにが来るのかは知らないが、良い現象ではないのは明らかだ。
なんであれ、ああなる。俵武尊がなったように。
けれどそれは、対象が「生命体であれば」の話しであろう。
「じゃあ、問題ねえな」
洗面ボウルに落ちた血を左手のひらに塗りたくり、鏡に文字を書き込むが、血の量が多すぎてすぐに判別出来なくなる。構わずに繰り返している間も鼻血は止まらずに流れ、衣服の胸元にまで染みを作っていった。
「あぶり出してやる」
手のひらで押し込むように鏡を突くと、鏡面が波打ち、揺れた。
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