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「善は急げって言うじゃん。シオちゃんの隣空いたって聞いた日に決めたんだよ」 「はぁ……」  果たしてこれは善なのか? と塩見は思う。少なくとも塩見にとっては、善で悪だ。どちらともつかない。戸川と二人三脚でやってきた5年間。気がつけば塩見は、良くも悪くも自己中心的でがさつともいえる戸川に、恋焦がれるようになっていた。自分とは真逆のベクトルを持つ戸川は眩しく、そして一緒にいて心地がいい。  塩見の神経質さは相手の一挙一動が気になるというものではなく、HSP故の光や音に対する過敏反応であったり、感受性と共感能力の高さからくる他人の感情への気疲れのようなものだ。だから、打たれ強そうな戸川が相手だと塩見は言いたいことが言えて楽なのだ。  しかし、だからといって四六時中一緒にいられるかといえば、そうではない。HSPはひとりの時間を好む。ひとりは寂しいという感覚が塩見にはない。ひとりでいる時間は、塩見にとって『塩見直と一緒にいる時間』であり『塩見直と接している時間』でもある。要するに塩見は自分のことすらも持て余してしまうのだ。それなのに他人と長く時間を共用することは苦痛でしかない。だから塩見には、戸川がお隣さんになることは善とも悪ともつかない微妙なものだった。 「この青いやつ、シオちゃんみたい」  空き缶を灰皿代わりに煙草を吸いながら、戸川がガラス水槽を眺めている。唯一、塩見と長時間過ごすことを許された相手、グッピーが水槽の中で優雅に泳いでいる。戸川の言う『青いやつ』とはグッピーの中で最も人気のあるブルーグラスのことだ。メタリックブルーのボディに、スポットと呼ばれる斑点がある大きな尾ひれ。塩見も戸川の横に並び、なんとはなしにグッピーを見つめる。ひやりと冷たそうなガラスの向こうで水草がゆらゆらと揺れ、ガラスにはふたりの顔が映っている。
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