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部屋には蕎麦をすする音だけが響いている。つい5分ほど前の出来事はなんだったのかと、塩見は戸川の顔を見ることも出来ない。もしインターホンが鳴らなかったら? そう考えるだけで胸がいっぱいになり、喉ごしがいいはずの蕎麦もなかなか喉を通っていかない。
「惜しかったな」
ひとりごとのように戸川がぽつりと呟く。
「もうちょっとでシオちゃんとキス出来たのに」
「え……」
恐る恐る顔をあげた塩見の目に、いつもと変わらない戸川が映る。ただからかわれただけかと塩見はなんともいえない気分になる。残念なような、なにもなくて良かったような。
「シオちゃんさ、繊細なくせにわかってねぇだろ?」
「なにがですか?」
煙草に火をつけ煙を深く吸い込み、ため息のように長く長く吐き出してから戸川が言う。
「俺、シオちゃんのこと好きだよ」
真面目な顔と真面目なトーン。ふざけているのではないとわかっても、塩見にはいまいちピンとこない。
「……それは、どうも」
「ほら、わかってねぇじゃん」
少しむくれたような顔をして、まだ半分ほど残っている煙草を空き缶に落とすと、戸川はやおらテーブルに手をつき塩見のほうへと身を乗り出してきた。えっ? と塩見が戸川を見た瞬間に、もうくちびるは煙草の匂いに包まれていた。
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