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川の先は
川を挟んだ向こう岸の話。
オカルト研究部シリーズに登場する、御泊には小さな沢があり、川のこちら側は此岸、川を渡ると彼岸という設定です。
此岸がこの世で彼岸があの世。
ネットサーフィンは私の趣味です。はじめは目的をもって検索するのですが、気になるワードがあればそれを検索し、また次へとどんどん偶然の中に誘い込まれます。
その日は『遠野物語』の舞台、岩手県遠野市の地形にたどり着きました。
遠野の土淵村のはずれに”デンデラ野”と呼ばれる高台になった場所があります。60歳をすぎると村人は家を出てデンデラ野に移り住みます。姥捨山のような場所です。姥捨山と違うのは高台を降りて畑仕事を手伝うなど行き来ができていたことです。
畑仕事を始めることをハカダチ、仕事が終わることをハカアガリと呼ぶそうで、このハカはあの墓です。なかなかシュールな呼び名です。
村からデンデラ野に向かう途中に山口川という川が流れ、橋にはお年寄りをおぶっている人の絵が書いてあります。山口川をこの世とあの世を分ける三途の川に見立てていたのではないかと記事に書いてありました。
このように御泊の川は怖いイメージにも関わらず『虫喰いの手紙』では同じ川を”天の川”に例えたりもしています。
川は、私の現実と空想の間を流れます。
天の川のイメージの元となったのは、大阪の交野ヶ原にある天野川です。
この天野川はまさに天の川で、川をはさんで片方の岸に織機神社もう片方には牽牛石があります。
天野川の上流にあるのは磐船神社です。
アマテラスの詔をうけニギハヤヒは天の磐船に乗り交野ヶ原の哮が峰に降り立ったといいます。
磐船神社はニギハヤヒを主祭神とし天の磐船(巨石)が祀られています。
そうです。天から来た神様と巨石とくれば、オカルト研究シリーズの世界でしょう!!
私の中では川を挟んだ向こう岸は彼岸(仏教用語)というより、隠り世(神道用語)に近いのだと思います。神域のイメージです。
長くなりましたが、最後に(まだ書くか!)ユング心理学について。
人が住む町や村を意識の世界、森を無意識の世界とすると中間地点にある川は意識と無意識の接点、境界にあたります。
オカルト研究部シリーズでは、物語のはじめは人の世界と神の世界が分断されています。
意識と無意識が分断されている状態から、最終的には行き来できる状態になったわけですから、意識と無意識の間に橋がかかったことになります。
……もとい、橋がかかるのは3年後です。
この3年後というワードはおそらく私の無意識からヒョッコリ出てきたのでありましょう。
意識と無意識を行き来する小説を書くには3年は頑張ってね!と無意識の私が言っているのかどうなのか?! それすら希望にすぎないのか?
いつかはユング心理学を内在した小説が書きたいなと思っています。
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