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過酷な運命と冒険
ハリーポッター、天空の城ラピュタ、千と千尋の神隠し、若おかみは小学生、ブレイブストーリー、鬼滅の刃…… 。
物語の少年少女には親がいない、または途中から親と離れる設定が多くあります。
オカルト研究部シリーズ主人公の母親も行方不明になっています。今回初めて小説を書き、そのような設定にする心苦しさを感じてしまいました。書くほうにも抵抗があると思うのですが、皆さんはどうなんでしょう?
にも関わらず親がいない設定が多いのはなぜか? ちらりと検索したかぎりでは、物語の進行上都合がいいとのことですが……。
私の場合は私がシングルマザーだからです。自分に何かあって急にいなくなったら子どもはどうなってしまうの? 不安が常にあります。例えそうなったとしても、子どもには逞しく周りの人に頼りながら生きていって欲しいと願っています。
思春期に親と離れる設定には、私の個人的な願いとは別の理由があるようです。
親から離れた主人公は、頼れる人を失い自分で考えて行動するようになります。初めてのことにチャレンジし失敗し、1人では生きていけないと仲間をつくります。親以外の大人の力も借ります。そしてまた新たなことにチャレンジし成功し成長して帰ってきます。
親のいない設定は、親からの自立を表現したものだと思います。
親と離れる設定は同じでも、チャレンジに成功する話ばかりではありません。
誰にも頼らず子どもだけで生きると決めた火垂るの墓。自立というより無謀な行動は後に悲劇を招きます。
グリム童話なら好奇心のままに行動した子どもはあっという間に容赦なく命を失います。
現実世界で物語のような冒険をしていたら命がいくつあっても足りません。親もそんな危ないことさせませんよね。物語では安全に冒険を擬似体験できます。
“肝試し”は、イニシエーション(通過儀礼)のひとつだそうです。子どもから大人になるための通過儀礼です。
昔、墓地は集落のはずれにありました。集落の中は整備され安全ですが、一歩集落を出れば容赦のない自然が待っています。
墓地に行って帰ってくる“肝試し”は、安全圏ギリギリのところで出来る冒険だったのでしょう。肝試しを終えて帰ってくる子の顔は誇らしげです。
冒険物語を読み終わった子どもの顔もどこか誇らしげに見えます。本の中で何かを発見し、少しだけ成長してきたのかもしれません。
映画ロードオブザリングに印象的なシーンがあります。追っ手から逃れ、慣れ親しんだ村を旅立つ純朴な少年2人。
「ここです。ここから一歩踏み出せば行ったことのない土地になります。」
未知への恐怖で立ち止まるサムに主人公フロドが声をかけます。
「来いよサム。
ビルボがいつも言っていたな。
家から一歩外に出ることは危険なことだぞ。道に踏み出せばしっかり立っていないと、どこまで流されるか知れたものじゃない。」
ビルボはフロドの親戚で冒険慣れした人生の先輩です。しかしこのセリフは大冒険の心構えというより、日々を生きる心構えに聞こえてきます。
今、コロナ禍で子どもたちの未来や大人の行末さえ不透明な時代になりました。
この先どうなるんだろう? そう思って開いた本に栞がはさまっていました。
「世界は今、大きな変わり目にあります……。」と印刷されています。2013年に買った本です。
コロナ禍の今だけでなくずっと世の中は変化していて、いつの時代も変化に恐れと不安を感じるものなのかもしれません。
未来が不透明なのは昔も今も同じ。
いつの時代も何歳になってもしっかり立っていないと、どこまで流されるか知れたものじゃありません。
オカルト研究部シリーズでも不透明な未来を描きました。少年少女は未来に怖気づきながらも一歩を踏み出していきます。
時代も境遇も平等ではないけれど、子どもたちには逞しく賢く生きていってほしいと願っています。
おまけのオカ研みち草まで、お付き合いありがとうございました。
2021年も発見に満ちた冒険の1年になりますように!
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