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車が停まるやいなや、俺はコウさんを置き去りにしてこの間カメラを構えた場所に走り出した。
ファインダーを覗くと、あの大きな桜の樹の下に僧侶は座って居た。
あの日と同じ場所に同じように、確かに座って居た。
桜はもう僅かに花を残すだけ。
風が吹く度に、ひとひら、また、ひとひらと池に舞い落ちる。
夢中でシャッターを切る俺の隣にコウさんが腰を下ろした。
「何事?」
「コウさん、見て。見えますよね?見えるでしょ?あの桜の樹の下。俺、一寸行って来ます。シャッター押してて下さい」
俺はカメラを押し付けると、桜の樹に向かって走った。
全速力で、最短距離を。
池の半周とはいわない。200メートルか、
300メートルか、それなのに、走っても、走っても辿り着かない。
蝶のように飛べたら…そう思った瞬間、俺は押し出されるように、桜の樹の下に居た。
みっともなく前のめりに倒れ込み、花が一つふわりと落ちるのを捕まえた。
掌をゆっくり広げると、読経が止み、
すぐ目の前の若い僧は、閉じていた瞳を開けると、俺を見て僅かに微笑んだ。
「それが、最後のひとひら。初花の日からせめて、美しく花の咲く間、傍らに。また、花の春に… 」
声は胸の内に聞こえた気がした。
「シューウ」
コウさんの声に身体を反転させた刹那、もう桜の巨木も、若い僧の姿も消え、ただ、掌には掴んだ桜のひとひらが残されていた。
二匹の黒い揚羽蝶が、戯れるように池の上を舞っているのが見えた。
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