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その刹那、黒い揚羽蝶が僧侶の身体をすり抜けて、池の中央に舞って行くのが見えた。風に池の水面が波立つ。
すり抜けた?
いや、黒い衣に止まっていたのかもしれない。
蝶の行方を追ったが、一度目を離したら花の色に飲み込まれて、蝶も僧侶の姿も見失ない、其処には、連なる枝垂れ桜が思い思いに風に揺れいるだけだった。
呆然とその場に座り込んでいると、何処からともなく、また黒い揚羽蝶がすぐ目の前に現れて、ゆっくり舞って行く。
風の中に読経が聞こえているような気がした。
桜の樹の下の僧侶。
黒い揚羽蝶。
池に映る一面の桜色。
残像が眼の裏側に貼り付いていた。
家に戻ると、直ぐに今日写した写真のデータを見直す。
コマ送りしながら愕然とした。
あの、ひときわ大きな桜の樹も、僧侶の姿も、一枚も撮れてはいなかった。
波立つ池と黒い揚羽蝶だけが点のように浮かんでいる。
確かに何枚も撮ったはずなのに、何度見直しても同じことだった。
鼓動が速くなり、僅かに寒気を覚える。
そして、何か口惜しい。
空の水色、池の緑。桜色のグラデーション、若い僧侶の黒い法衣…。
確かに見た筈の絵を思い浮かべ、桜が散る前にもう一度行かなくてはと思った。
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