3人が本棚に入れています
本棚に追加
/13ページ
探偵とクリスマスプレゼント《前編》
都心から急行電車で一五分ほど行ったところにある街、五が丘。駅前の大きめのデパートの前でベビーカーを押している人や、パンパンのエコバッグを抱えながら慎重に歩く人がいる、いわゆるベッドタウンだ。
普段は観光客も来ない地味な街だが、たまに賑やかになるときがある。
例えば、クリスマス――
クリスマスイブの夜、また一つ事件を解決した俺は五が丘の大通りを歩いていた。ある人に誘われたのである。
いつもは主婦や地元の学生などが歩いているだけの道だが、今日は歩道に植えられた木々に色とりどりの電飾が付けられ、そこに建つどの店もサンタクロースやトナカイの恰好で客を呼び込んでいる。そして今も、台車にプレゼントらしき箱をたくさん乗せたサンタクロースとすれ違った。
「どう? 五が丘のクリスマスイベントは」
捜査で疲れ切った俺を五が丘に呼び寄せた張本人の探偵が、サンタクロースに道を譲りつつそう言った。
俺が「探偵」と呼んだメガネの彼女は竹井希杏と言って、警視庁捜査一課の刑事である俺とコンビを組んでいる女子大学生の探偵だ。大学生と言っても、その腕は確かで、俺の上司の話によると何度も捜査一課の捜査に参加して結果を残しているらしい。「らしい」というのは、俺がまだその場面に遭遇したことがないからである。
「毎年ちょっとしたコンサートをやったり、サンタクロースが駅前で子供たちにプレゼントを配ったりしてるの。まあ、プレゼントと言っても中身はお菓子だけど」
探偵はそう言いながら、懐かしいなあ、とプレゼントを抱えて横を通る子供たちを見ていた。
結構大人びた彼女だけど、そんな可愛い時代があったのか、と俺は思った。……おっと、可愛かったなんてうっかり声に出したものなら、絶対に誰にも解けない方法で殺される。
俺は喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。まだ結果を出したところを目撃したことはないけれど、彼女はきっと俺の数百倍頭の回る人だということを、俺はもうすでに知っていた。
「根津さん、どうかしたの?」
気が付くと、探偵がそう呼びかけながら、不思議そうな顔で俺の顔を覗き込んでいた。
「ううん、何でもない」
俺はできるだけ平然とした顔を心掛けて、そう答えた。彼女は顔を見ただけで嘘を見抜くことだって、きっとできてしまうからだ。
俺は表情を読み取る隙を与えないように「このあとはどうするんだ?」と彼女に訊いた。
「ホテルに泊まろうと思ってる」
探偵はそう答えた。
「帰らないのか?」
「うん。実は今日の捜査が明日も続くと思って、事前にホテルを取っておいたの。それなのにいきなりキャンセルするのは、申し訳ないでしょ」
「確かにそうだな」
「それに、今日泊まるところは、私の友達のお父さんが経営しているところなの」
「ほう、友達の」
「それが、すごいの。腰抜かさないでね」
腰を抜かすほどすごいところなのか。俺の気持ちは少々浮き上がったが、こういうときは決まってそうでもないのだ。俺は無駄に落胆しないよう、意識的に冷静になった。
しばらく大通りを歩くと、大きなロータリーが見えてきた。真ん中には電飾をまとった大きな木があり、それを囲むようにコンクリートの太い道が敷かれている。そこには高級そうな外車ばかりが何台も停まっていた。入り口の壁には『ホテル佐々木』と金色の大きい文字が掲げてある。
まさかここじゃないよな、と俺が思ったと同時に探偵は足を止めた。
「ここね」
そう言うと、彼女はまるで自分の別荘にでも入るかのように、慣れた風に建物の中に入っていく。俺も建物を見上げる暇もなくついていく。
両開きの自動ドアをくぐると、きれいな大理石の大きな階段が俺たちを迎え入れた。手摺は金色、天井からはダイヤモンドもどきが垂れる、巨大シャンデリアがつられている。絵に描いたような一流ホテルだ。
「真以奈!」
探偵はホテルに入るや否や、階段の前で構えていた女の子に向かって走り出した。その女の子は他のスタッフと同じようなホテルマンの恰好である。
「希杏! いらっしゃい!」
まいな、と呼ばれたその女の子は胸の前で手を振りながら探偵を迎えた。
「今日もお仕事の帰り?」
「そうなの。事件の捜査」
「お疲れ様。ところで、あの方が予約のときに言ってた刑事さん?」
女の子はそう言って綺麗に指をそろえて俺を指す。
俺は駆け足で探偵の横に並んだ。
「そう、こちらが警視庁捜査一課の根津圭一さん」
「初めまして」
俺はまいなちゃんに会釈する。
「それで、こちらが佐々木真以奈。昔からの友達で、このホテルの総支配人の娘」
探偵は、今度はまいなちゃんの方を紹介した。
「初めまして。この度は当ホテルにお越しいただき、ありがとうございます」
真以奈ちゃんは両手を体の前で組み、丁寧に頭を下げた。大学生とは思えないホテルマンっぷりだ。
俺が彼女に感心していると、探偵はエントランスをきょろきょろと見渡した。
「ねえ、真以奈。ご両親は?」
その問いかけに俺もエントランスを眺める。いくらかのスタッフは見かけるが、確かに総支配人らしき人は見えない。
「ああ……実は、喧嘩してるの」
「喧嘩?」
「きっかけはお父さんの浮気疑惑」
「へえ、珍しい。真以奈のお父さんとお母さんは、とても仲がいいイメージだったから」
「私もあんなの初めて見た。お母さんなんて、いつもはフロントに立っているのに、お父さんの顔は見たくないって、今日はずっとバックヤードにいるの。反対に、お父さんは案内係。接客している方が喧嘩を忘れられるんだって」
真以奈ちゃんは半ば呆れ顔で、そう愚痴った。大人顔負けのホテルマンっぷりを出会って数秒で発揮した彼女も、中身は親の喧嘩の行方を案ずる大学生らしい。
しかし、「あ……」と彼女はすぐに俺に気付いた。
「申し訳ございません! お客様の前で……」
真以奈ちゃんは俺の方に向き直ると「ごっほん」と咳払いをしてから、「お部屋にご案内致します。お荷物は先にお運びしておりますので」
「おう、そうか。じゃあな、探偵」
俺は泊まる予定などない。真以奈ちゃんに会釈して出口に向かおうとしたとき、突然ジャケットを掴まれた。
「何言ってるの。根津さんの分も予約してあるんだから。ねえ、真以奈」
「はい。根津様のご用意もございます」
そう言うと、真以奈ちゃんはくるりと体の向きを変え、エレベーターの方に向かった。俺と探偵も彼女に続く。
まさか、俺の分まで用意しているとは。探偵は案外気が利いている。……ああ、「案外」なんて言ったら、こいつは怒り出すかな。探偵は意外と地雷が多い。
さて、乗ったエレベーターは黒を基調としたシンプルな作りで品があった。
また、俺たちが降りた客室棟三階の廊下もベージュを基調とした床と壁で、高級感を醸し出す絶妙なライティングが、かすかに壁の模様を浮き出させている。
「こちらが本日ご宿泊いただく三〇一号室でございます」
真以奈ちゃんはそう言って、探偵にルームキーを差し出した。キーと言っても鍵の形状ではなく、カードキーだ。さすが、一流ホテル。
探偵は「ありがとう」とそれを受け取る。
しかし、気になる点が一つ。
「俺の部屋は、隣?」
「いえ……ご予約はツインを一部屋のみです」
「本当?」
「ちょっと、真以奈を疑わないで。間違ってないから」
そう言うと、探偵は慣れた手つきで解錠して中に入った。俺は締め出されないようにドアを抑える。
さっきの言葉は訂正しよう。案外気が利くとは言い過ぎた。あくまで普通。
「何かありましたら、お部屋の中の内線電話でお知らせ下さい」と、定型文を言うと、真以奈ちゃんは頭を下げて、来た道を戻っていった。
俺はそれを見送ると、部屋に入った。入って正面に大きな窓、右側に二台のベッド、左側にテレビとドレッサーが備え付けられている。ちなみにドア付近のドアの奥にはお風呂とトイレもある。実に立派な部屋だ。今回の捜査で特に手柄を取っていない俺には豪華すぎるご褒美である。
「あー、疲れた」
バサッと音がしてそちらを見ると、一通りボストンバッグから荷物を出した探偵がベッドにダイブしていたところだった。窓側のベッドである。どっちのベッドにするかはよく相談して決めるものじゃないのか。
俺はさっきの「あくまで普通」というランクまでも取り下げようと決めた。
「よし」
探偵はある程度ベッドを堪能したようで、起き上がった。
「私、お風呂入ってくる。ここは露天風呂が最高なの」
そう言うと、探偵は用意した洗面用具を持ち、部屋を出ていった。
そうだ。夕飯まで時間があるし、買い物に行ってこよう。
俺は部屋を飛び出した探偵を見てそう思った。
俺は探偵のような大荷物は持ってきていない。もちろん、洗面用具も着替えもない。確か、駅前にそういうのを売っているスーパーがあった。
俺は自分のコートに財布とスマートフォンが入っているのを確認してから、ルームキーを探す。
あれ。ない。探偵め、持っていったな。持って出るなら声を掛けるぐらいしてもいいんじゃないのか。本当に身勝手なところがあるんだから。
まあ、面倒だけど、ここに戻るときは連絡を一本入れよう、そう思って俺は部屋を出た。
明日はどうせ書類を整理するだけだから、のんびり起床して、普段より遅めに本庁に向かおう。そんなことを考えながら、俺はふと腕時計を見る。
捜査一課に配属が決まったときに買った高級品だ。まだ新品同様で、正確に夕方の五時を過ぎたのを知らせている。この時間なら家庭の夕飯係はもう料理を作り始めているころだから、きっとスーパーはあまり混んでいない。俺はスイスイとカートを押せるスーパーを想像した。
しかし、こんなのんびりしていていいのかな、と少し罪悪感も覚えた。
「お客様、お客様!」
今横を通った女性スタッフは、ある部屋のドアを頻りに叩いている。
まったく。自分から呼んでおいて返答をしないなんて、ただでさえ忙しいスタッフの仕事を増やしてあげるなよ。
もう夕方ではあるが、本来はこうやってまだ額に汗して働いている時間だ。
それに比べて俺は一仕事終えて穏やかな時間を過ごしている。何だか、彼女に申し訳ない気分だ。
しかし、このときの俺はそんなのんびりとした時間は長く続かないことを知らなかった。
翌朝。俺は激しく揺さぶり起こされた。
「ねえ、起きて、根津さん!」
眠い目をこすりつつ、目を開けると目前には探偵が立っていた。昨晩就寝するときに見たパジャマからすでに着替えている。
「何だよ……おうおうおう……」
俺は大あくびをしながらゆったりと起き上がる。
「事件が起きたの! 殺人事件!」
「何だって!」
俺は一変、布団を投げてベッドから飛び出した。どれだけ眠くても、「殺人事件」と言われて飛び起きない刑事はいないだろう。
俺はさっさとスーツに着替えた。もちろん、歯を磨く時間などなかったが、少々気になるのでさっと顔を洗うタイミングで口を漱いでおく。
探偵を少し待たせ、俺たちは廊下に出た。昨日まで静かだった廊下は、警察関係者が行き来して騒々しい。
「被害者は園城弘樹さん、ヒルズジュエリーの社長。現場は被害者が宿泊していた三〇四号室。検視官の話によると、死因は首を絞められたことによる窒息。これが被害者の写真よ。あ、スクロールして他の画面にしないでね」
そう言われて俺は探偵のスマートフォンを受け取った。さまざまな角度から撮られたご遺体の写真が映っている。首にはかきむしった痕と絞殺痕があるが、その他に傷はないようだ。
なるほど。人が死んだという前で不謹慎かもしれないが、変死体ではないようで一安心だ。
……というか、待て。検視官だって!
「君、もう検視官と話したのか?」
「うん。と言っても、倉石さんの横に立っていただけだけど」
倉石英一郎。警視庁捜査一課倉石班の班長で、俺の直属の上司だ。もう臨場しているのか。てっきり昨日の事件解決の祝杯を上げて、二日酔いでもしていると思ったが。やっぱり、班を率いるベテランは違うな。
いやいや、感心している場合ではない。
俺はスマートフォンを探偵に返して、腕に捜査一課の赤い腕章を付けながら、早足で現場に向かった。
俺と探偵は三〇四号室の前に到着した。そこのドアは開いているが、規制線が貼られている。中では刑事や検視官が捜査を進めているようだが、もうご遺体は運ばれたあとらしい。
その刑事の中にはもちろん、倉石さんもいた。俺と同じ腕章を付けている。
俺と探偵は規制線をくぐった。
「倉石さん、お疲れ様です」
「おう、根津」
近くの制服警官と話をしていた倉石さんがこちらを向いた。すると、制服警官は軽く頭を下げ、さっと外してくれた。しかし、俺の横に立つ見知らぬ若い女の子に怪訝な顔である。
「おお、今日は希杏ちゃんと一緒か」
「はい」
答えたのは俺ではなく、探偵である。彼女は遠慮をしない。
「今日はここで一緒に泊まっていたんです」
「そうだったのか。仲が良いことで結構、結構」
倉石さんは満足そうだ。
しかし、そんな付き合いたての恋人を見るような目で見ないでほしい。仲が良いのは否定しないが、俺と探偵は恋人どことか友人でもない。それなのに、まるで進展しろ、と願われているようで、俺は心地が悪い。
横を見てみると、探偵も苦い顔で受け流していた。おうおう、俺も同感だ。
「ところで、倉石さん。捜査の状況は?」
探偵が尋ねる。
「検視官の話によれば、死亡推定時刻は昨夜の一一時ごろ。そして、今朝の七時半に被害者の秘書の高岡敦也さんがご遺体を発見した」
倉石さんが答えた。
「なるほど。その秘書さんが第一発見者というわけですね。ちなみに、その方は今どこに?」
「隣の部屋だ。もう我々は聴取を終えた」
「分かりました」
あとはご自由に、というわけらしい。
そのあと、倉石さんは「くれぐれも現場を荒らさないように」と言うと、規制線の外に出ていった。一つの班を抱える倉石さんは忙しいのだ。
一方、そこに残った探偵はぐるりと現場を見渡した。俺も一緒になって観察する。
現場になったこの部屋は俺たちの泊まる三〇一号室と同じ作りをしている。しかし、ここにあるのは一人分の荷物だけだ。被害者は一人でツインルームを使っていたようである。……まったく。社長は贅沢だな。
俺は次に床を見る。ベッドの横にはボストンバッグが置かれ、ベッドとドレッサーとの間に縦に人型に白い線が敷かれている。ご遺体があった場所である。しかし、その形に違和感はなく、特に手がかりになるとは思えなかった。
「特に手がかりになりそうなものはないね」
一通り見終わってそう言う探偵も困り顔である。
しかし、「でも」と探偵は言った。
「違和感があるの」
「違和感?」
「部屋が綺麗な気がする」
「そりゃあ、社長が綺麗好きなんだろ」
「うーん、そうかな……」
探偵は納得できない様子だ。
俺は改めて部屋を見渡した。確かに言われてみれば、殺人現場にしては綺麗な気がする。しかし、気のせいだと考えればその通りだとも思えた。
二人でうーん、と考え込んでしまったそのとき。突然、廊下で騒ぎ声が聞こえた。
「あなた! あなたー!」
女性の声だ。
当然探偵も気付き、俺たちは揃って廊下に出た。
すると、そこでは一人の女が規制線のぎりぎり手前で騒ぎ暴れていて、それを若いスーツの男がしがみついて押さえていた。女の方はよく整えられた髪や服の感じから一見若く見えるが、よく見ると中年だ。被害者よりも若干年下という感じである。男の方は髪型がピシッと整えられていて、ジャケットのボタンはきっちり留められている。一言で言うと、生真面目な雰囲気である。
「奥様、落ち着いてください!」
「顔を見せて!」
女は両手両足を暴れさせながら、ヒステリックにそう叫んだ。
女の暴れる力は弱まらず、男の力は確実に消耗されている。このまま彼が彼女を抑えられなくなって現場に入られでもされたら大変だ。
俺たちは規制線をくぐり出て、男とともに女を抑えた。暴れる足に脛を蹴られつつ、俺は何とか彼女の腕を制した。一方、背の低い探偵は振り上げた腕に手が届かないのか、服をつかんでいた。
「どうしたんですか!」
俺は思わず、男にそう訊いた。
「奥様に社長が亡くなったとお伝えしたら、『顔が見たい』とおっしゃって……」
男は女を抑えながら必死にそう答えた。
なるほど、彼女は夫の遺体を見るためにいち早く駆け付けた妻というわけか。
ところが。
「もうご遺体は現場にはありません! 警察署に運びました!」
俺は彼女の耳にもきちんと届くように、そう叫んだ。
検視官がさっさと調べて、もう運び出されたのである。今ごろは安置所で白い布がかけられているはずなのだ。
「えっ……」
俺の言葉は女にようやく届いたようで、彼女はようやく力を抜いた。そして、膝から崩れ落ちていった。男は慌てて彼女を支える。
探偵と俺も彼女から手を離した。
そして、しばらく背中をさすられる女を見た探偵が「これは少し休んだ方がいいね」と言った。
「そうですね。それだったら、先ほど刑事さんたちの聴取を受けたお部屋に行きましょう。きっと空いていると思います」
男はそう言うと、脱力しきった女を何とか立たせて、その部屋に向かった。女とは言え、それなりに体重はあって、男はときどきよろけたので俺も手を貸した。
部屋に入ると、俺と男は女をベッドに寝かした。横たわった女は静かに寝息を立てている。
それを確認した俺たちは部屋の奥にあるソファに座った。探偵は俺の隣、男は対面である。
「わたくしは園城の秘書をしております、高岡と申します」
男は俺に名刺を差し出した。そこには「株式会社ヒルズジュエリー社長室秘書 高岡敦也」と書かれている。
「高岡さん……もしかして、第一発見者の?」
警察官にしては間抜けな質問だ。
しかし、高岡さんはそれを気にすることもなく、ただ「はい」と答えただけである。
俺は探偵にも見せてあげようと名刺をちらっと彼女の方に向けた。しかし、なぜか反応は薄かった。よく「第一発見者が最も怪しい」なんて言うが、優秀な探偵はそんな迷信を信じないのかもしれない。
俺はもらった名刺をスーツのポケットにしまった。
「高岡さん、ご遺体を発見されたときのお話を伺ってもよろしいでしょうか」
「え?」
高岡さんは聞き返した。しかし、その顔は嫌というわけではない。むしろ、不思議そうである。
「……面倒くさいですよね」
「いいえ、そういうわけではないのですが、先ほど竹井様に同じお話をしたので……」
「え?」
今度は俺だ。
俺はすぐに隣を見る。探偵はにっこり笑っている。
にっこり、じゃない! 会ったなら一言言ってくれればいいのに!
いや、そんなことはあとだ。俺は一瞬失った理性を取り戻した。
今はとりあえず。
「お手数ですが、もう一度お願いしてもいいですか?」
「はい、承知致しました」
高岡さんは快くそう言ってくれた。
俺はポケットからメモ帳を取り出した。
「園城は今日、朝から会議に出席する予定でしたので、わたくしは朝の七時三〇分に園城の部屋に迎えに参りました。大体、わたくしが到着するころには、園城はすべての支度を整え終わっておりますが、今日は珍しくドアをノックしたり呼び鈴を鳴らしたりしても返事がありませんでした。寝坊したのかと思い、携帯電話でも呼び出しましたが、やはり応答はありませんでした。何か良くないことが起きているのかもしれないと思い、わたくしはホテルの方を呼び、マスターキーでドアを開けていただきました」
「すると、園城さんが倒れていたと」
「はい、その通りです」
なるほど。裏を取る必要はあるが、高岡さんの話を聞く限り不審な点はない。
俺はメモ帳の次のページをめくった。
「では、犯人の心当たりはありますか?」
園城さんは社長という立場だから、一人や二人嫉妬や恨みを持たれていても不思議ではない。ところが。
「いいえ、まったく」
高岡さんは考える間もなく、そう首を横に振った。
「本当に一人も?」
「はい。園城はどんな方に対しても丁寧で心遣いを忘れない人です。よく自分の地位が上がるとふんぞり返る方がいますが、園城は違います。部下の手柄を褒め、ミスを自らのものとするような人です。そのため、社員からも社外の方々からも厚い信頼を得ていました。恨みや憎しみなど、殺される理由などあるとは思えません」
話し終わったとき、高岡さんは若干前のめりになっていた。表面は冷静を装っているが、その中身は犯人を許せず興奮しているみたいだった。
そのあともさまざまな話を聞いたが、高岡さんは園城さんのプライベートにまでは干渉していないらしく、有力な情報は得られなかった。また、ベッドで寝ていた園城さんの妻の真由美さんも目を覚ますことなく、話を聞くことは叶わなかった。
俺と探偵は高岡さんに礼を言うと、部屋を出た。しかし、捜査員が少なくなった廊下で話す内容は専ら事件の考察、というわけではなかった。
「なあ探偵。先に第一発見者に会ったんだったら、事前に言っておいてくれよ。高岡さんに手間をかけさせてしまったじゃないか」
「でも、根津さんも会いたかったでしょ」
「そうだけど……」
「それに会ったと言っても、ここでも倉石さんの横に立ってただけだよ。別に言うほどのことじゃないでしょ」
俺は言い返すことができなかった。
探偵はこうやって勝手なことをするが、俺は彼女以上の実力を持っていないから、いつも反論することはできないのである。
俺たちは規制線の外に出てエレベーターに乗った。すると、探偵は迷わず一階のボタンを押した。
「結局、園城さんのプライベートなことは分からなかったね」
探偵はため息交じりに腕を組んだ。
「ああ。仕事上はとても懐が深くて、信頼のおける人だったみたいだけどな」
「でも仕事とプライベートは別人ってことも大いにあるからね。それに今回は実際に殺人が起きてるわけだから。プライベートに問題があった可能性は十分に高いわ」
確かに。問題がなければ事件は起こらない。事件捜査の大前提である。
「……じゃあ、その問題って?」
俺は試しに探偵に訊いてみた。
すると、彼女は一瞬考えて、「ギャンブル、とか?」と答えた。どうやら、まだそこまで推理できていないようである。流石に優秀な探偵でも情報が少なかったら、十分な推理はできまい。
ピンポーン、という音とともにエレベーターは一階に到着した。昨日、ここへ来たのは夜だったけど、透明で綺麗なガラス窓から朝日が入るエントランスもとても美しかった。
エレベーターを出ると、探偵は真っ直ぐフロントに向かった。
そのまま受付係に声をかけるのかと思ったとき、探偵はフロント前の柱の前で立ち止まった。
「探偵?」
「事件のことで話を聞くのに、一般人が話しかけるわけにいかないでしょ」
なるほど、確かに。そういえば、検視官や第一発見者に話を聞いたときも倉石さんの横に立っていただけと言っていたな。
俺は納得して、フロントの前に立った。
「すみません、ちょっとお伺いしたいことがあります」
俺は受付係に警察手帳を見せながらそう言った。
「今朝、マスターキーで三〇四号室を開けた方はどちらにいらっしゃいますか?」
すると、受付係は「確認致します。少々お待ちください」と『関係者以外立ち入り禁止』のドアの向こうに下がっていった。
しばらくすると、受付係が一人の女性スタッフを連れてフロントに戻ってきた。
「お待たせ致しました。こちらが今朝三〇四号室を開けたスタッフの今成です」
今成と紹介された彼女は手を前で組み、丁寧に頭を下げた。髪は綺麗に後ろで束ねてあって、小ぶりな耳にはさりげなく一粒の宝石が付いたピアスを着けている。
俺はそんな彼女を見て「あれ」と思った。どこかで見かけたような気がしたからだ。どこで見かけただろう。
一方の探偵はいつの間にか俺の横に立っていて、「話、聞かないの?」という顔で俺を見上げている。
俺は今成さんの方に顔を向けた。
「では、あちらの方でお話伺ってもよろしいですか?」
俺がそう言うと、受付係も止めず、今成さんも「はい」と言ってくれた。
俺たちは今成さんを連れてロビーのソファに座った。異常にふわふわと柔らかい白いソファである。
「今朝七時半ぐらいにフロントにお客様がいらっしゃって、とても焦っているご様子でしたので、三〇四号室をマスターキーで開けました。すると、そこに園城様が倒れていらっしゃったので、通報致しました」
今成さんは至って冷静にそう言った。まあ、今は業務中なのだから当然か。
とりあえず、高岡さんとの話とすり合わせても矛盾する点はない。しかし、他に気になる点がなければこれで聴取は終わりだけど、やっぱりどこかで……。
そんなことを思っていると、隣の探偵が口を開いた。
「今成さん。着けているピアス素敵ですね。確か、ヒルズジュエリーの商品ですよね」
「ええ、よくご存じで……」
「この間店舗で見かけたんです。でも、ご自分で買うには結構お値段張りますよね。プレゼントか何かですか?」
こいつ、ジュエリー店とか入るんだと、のんきに思っていた。しかし、冷静に考えると、探偵が考えもなしに発言するわけがなかったのだ。
「ええ、まあ……」
「どなたから?」
「……そのようなことも捜査の一環ですか?」
今成さんが口ごもる。
しかし、探偵は「言いたくないような方なんですか?」と追撃を止めない。
「ホスト、セフレ、愛人とか……」
「結婚していません!」
その言葉を聞いて、俺は今成さんの左手薬指を見る。アクセサリーが禁止のホテルマンでも結婚指輪は着けていて良いと聞いたことがあるが、彼女の指には何もなかった。
「じゃあ、恋人からですか」
「だから何だって言うんですか」
今成さんは少し早口になった。探偵の攻撃に苛立ち始めているようだ。
「こんな高価なピアスをくれるなんて、だいぶ経済力のある方なんですね」
「ここで恋バナをするつもりはありません。仕事に戻っていいでしょうか。今日はフロントの人数が足りないんです」
今成さんはとうとう完全に苛立って席を立ってしまった。
「ちょっと」と言おうとして、左手を上げかけたとき。探偵が即効力のある言葉を言った。
「どこかの社長なら、経済力がありますね。例えば、ヒルズジュエリーの社長、とか」
すると、今成さんは魔法にかかったみたいにぴたりと立ち止まった。
「あれ、もしかして社長とはお知り合いでしたか?」
今成さんにそう訊く探偵は「ビンゴ」とでも言いたそうな顔である。
しかし、今成さんは黙ったままである。
「そうだ。実は社長はプライベートで問題を抱えているようなんです。わたしは愛人かな、とか思ってるんですけど、その正体はあなたではありませんか? 自分が愛人になるならご結婚されいなくてもできますよね」
おい、それはまだ推測の段階だ。それに愛人なんて出まかせを……。なんて言えるわけない。
しかし、言わなくて良かった。
「じゃあ、容疑者だって言うの!」
今成さんは綺麗に整えた髪を振り乱しながら、激昂したのだ。
俺たちは「そうではありません」と彼女をなだめながら、もう一度着席させた。
「もともと弘樹さんはこのホテルをよく利用してくださるお客様でした。それでサービスをさせていただいているうちに、彼の方が私の名前を覚えてくれて。それから仕事の悩みなどを相談するようになり、いつからか仕事が終わったあとにお部屋に呼ばれるようになって……」
「それで愛人に?」
「はい。でも、この間別れようって言われたんです。もうこんなことはやめたいって。それも突然のことで、『ちょっと考えさせて』と私は言いました」
「つまり、あなたはすぐに受け入れなかったんですね」
「それは当然。私は弘樹さんのことが大好きでしたから。でも、殺してはいません! 私もあのあと考えて、未練はないとは言い切れないけど、お別れした方がいいと思ってましたから……」
なるほど、話の筋は通っている。
「昨日だって呼び出されて、弘樹さんのお部屋に行ったんです」
「それでお話はまとまったんですか?」
「いいえ。お話どころか、結局会えなくて」
「あ!」
その瞬間、点と点が線になった。俺は思わず、声を上げてしまった。
「もしかしてそれって、夕方の話ですか?」
「ええ、そうですけど……」
「やっぱり! 昨日、偶然お見かけして」
「そうだったんですか。すみません、気づきませんでした」
「いいえ。あのときも通りかかっただけですから。でも、大変ですね。まだあの時間だとお仕事忙しいのに、呼び出すなんて」
「ええ、電話をもらったときは驚きました。弘樹さんも私の仕事については理解していると思ったんですけど」
被害者にこんなことを思うのは良くないが、園城さんは酷い人だ。自分から別れを切り出しておいて、仕事中に呼び出すなんて。彼はプライベートだけではなく、性格にも難ありだったようだ。
しかし、今成さんは続けてこう言った。
「でも、よく考えると、あれはわたしが時間を聞き間違えただけなのかもしれません」
「聞き間違えた?」
探偵が聞き返す。
「はい。弘樹さんは午後一七時とおっしゃったんです。でも、本当は午後一一時だったのかもしれません。あのときは別れ話のことだと思っていて、冷静じゃなかったから……まあ、電話の録音なんてしていないので、証拠はありませんが」
確かにこれから別れるというときに冷静ではいられない。普段お客さんの要望を確実に聞くホテルマンでも、聞き間違えるだろう。
そんなことを思ったとき、今成さんにお声がかかった。
「フロント入ってくれるか。人が足りないんだ」
声の方に振り向くと、さっき今成さんを連れてきてくれた受付係がいた。
今成さんは「はい、すぐに行きます」と返事をした。
「すみません、私はこれで」
忙しい仕事の合間を縫って話をしてくれたのだ。当然、俺たちは今成さんへの聴取を終わりにした。
「彼女は犯人ではない」
今成さんが仕事に戻ったあとのロビーで、探偵はそうきっぱりと言い切った。
「証拠は?」
「ピアス。私が犯人だったら、自分が殺した相手から貰ったものなんて着けないよ。警察の前だったらなおさら」
「それは状況証拠だろ」
「証拠であることには間違いないでしょ。でもきちんと物証も必要ね。真犯人を見つけるとか」
「真犯人ねえ……」
今のところ、真犯人につながるものは正直何一つない。まあ、まだ捜査は始まったばかりだから仕方ないが。
そんなことを思っていたとき、俺の携帯電話が鳴った。画面の表示を見ると、相手は倉石さんだ。
俺は探偵に断って電話に出た。
「はい、根津です」
「おう。こっちの方で動きがあった」
そう短く言う倉石さんは若干息が上がっているように聞こえた。
「……はい。……はい。ええ! 本当ですか。はい、……はい……なるほど。分かりました。すぐに探偵に伝えます」
俺は急いで通話を切ると、携帯電話をポケットにしまった。
「どうしたの、根津さん。有力な物証でも見つかったの?」
事情を知らない探偵はのんびりとした様子だ。
そんな彼女に俺は今聞いた衝撃の事実を伝えた。
「真由美さんを逮捕した」
最初のコメントを投稿しよう!