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探偵とクリスマスプレゼント《後編》
クリスマスイブの夜、五が丘の一流ホテルで起きた殺人事件。その捜査に参加することになった警視庁捜査一課刑事の俺、根津圭一と、五が丘の探偵、竹井希杏は朝から関係者の聞き込みにあたっていた。しかし、情報は思うように得られない。そんな中、俺たちに衝撃的な情報が届いたのだ。
「どうして急に被害者の妻である真由美さんが逮捕されたの?」
「俺たちが事情聴取したあと、倉石さんに自首したらしい」
「自首……」
探偵は眉間にしわを寄せた。
「凶器はマフラー、動機は夫の不倫が許せなかったから。倉石さんたちは裏付け捜査に入ったが、真由美さんの素直な供述のおかげで、今のところ捜査は上手くいっているらしい」
「じゃあ、捜査は終わり?」
「そうなるな」
そして、部屋に戻るぞ、と俺はエレベーターに向かって歩き出した。
しかし、探偵はついてこなかった。
「ちょっと待って」
振り向くと、探偵は渋い顔をしたまま、その場から動いていなかった。
俺は彼女のもとに戻った。
「どうしたんだよ」
「まだ謎が残ってるわ。現場が綺麗だったってこと」
「あれは、ただの綺麗好きだろ」
「それでもやっぱり気になるのよ」
すると、探偵がこちらを向いた。
「ねえ根津さん。もう一度現場に行っていい? 犯人が逮捕されても、まだ片付けられてないでしょ」
探偵が気になると言ったら、行くしかない気がした。
「ああ。分かった。じゃあ先に行っててくれ。倉石さんに連絡する」
さすがに報告はしないといけない。
「了解。すぐに来てよ」
探偵はそう言うと、俺の横を通り過ぎてエレベーターに乗り込んだ。
一方の俺は懐からスマートフォンを取り出した。通話履歴から倉石さんの名前を見つけ、かけようとしたとき。
「根津様」
俺は呼び止められた。
振り向くと、そこにはホテル佐々木総支配人の佐々木真以奈ちゃんがいた。当然、ホテルマンのコスチュームである。
「希杏は?」
真以奈ちゃんはあたりを見まわした。
「現場に。俺はあとから行くって言ったんだ」
「そうでございましたか」
すると、真以奈ちゃんはすっと一歩俺に近づいた。
「……えっと、探偵に何か。伝言があるなら伝えるけど」
「いいえ。そういうわけではないのです。お聞きしたいことがございまして」
「聞きたいこと? 事件のことだったら、今はまだ……」
「いいえ。聞きたいのは希杏のことでございます」
「探偵?」
まったくの予想外だ。
「はい。昨日、わたくしが両親の話をしたあと、何か言ってませんでしたか?」
「いや、何も」
戸惑い気味にそう答えた。あのあと何かを言ったどころか、話題にも上がらなかった。
真以奈ちゃんはそうでございましたか、と半歩後ろに下がった。
「どうしてそんなことを?」
俺はたまらず聞いた。何も意味が分からなかったのだ。
すると、真以奈ちゃんは目を丸くして、上目遣いで俺を見た。
「もしかしてご存じないのですか。希杏に両親がいないこと」
「……え?」
俺は声を出すのがワンテンポ遅れた。眉間にしわを寄せた。
そういえば探偵の両親については聞いたことがなかった。仕事上の付き合いだからと言ってしまえばそれまでだが、彼女は大学のことや趣味については話してくれる。そう考えると、両親の話だけしないのは不自然だった。
それに思い出せば、彼女は大学でもらった保護者宛のお知らせを自身が所属しているエメラルド探偵事務所の所長である緑川(みどりかわ)綾子(あやこ)さんに渡していたのを見たことがある。事務所に住み込んでいるからだろうと思っていたが、理由はそれだけではなかったらしい。
「わたくしも詳しいことは知らないのですが、両親がいないことを希杏が気にしていたらと思って……昔から彼女は自分が辛くても表に出さない人だから」
確かに。それは彼女に比べて付き合いが浅い俺ですら、それを感じる。
すると、真以奈ちゃんは両手を体の前に重ねて、頭を下げた。
「捜査の途中に、申し訳ございませんでした。何も言っていないならいいんです。失礼致しました」
真以奈ちゃんは綺麗に頭を下げると、バックヤードの方に帰っていった。
そのあと、俺は現場に行った。しかし、そのとき探偵はちょうど現場から出てきたところだった。
「探偵、もういいのか?」
俺は探偵に声を掛けた。
「うん。あの現場は綺麗すぎた。やっぱり変よ」
「それは最初に現場に来たときも聞いたよ」
「でもね、今見て、一つの仮説を思いついたの」
「仮説?」
「園城さんは別の場所で殺された」
「別の場所……」
確かにあり得ない話ではない。事実、さっきの倉石さんからの報告でも、真由美さんが殺害場所について何か言ったということは聞いていない。
「でも、そうすると、運んだのは真由美さんということになる。被害者は男だぞ。無理があるんじゃないのか」
「そう。だから、犯人はもう一人いるんじゃないかと思うの。真由美さんが園城さんを殺したあとに、その遺体を運んだ犯人が」
「それは一体……」
俺は腕組をした。ミステリードラマの主人公のように格好をつけた。
しかし、探偵にさらりと悩む必要はないわ、と言われてしまった。
「見当は付いているんだから。根津さん、防犯カメラの映像って見られる?」
「ああ、多分」
俺は組んでいた腕を解くと、それじゃあ、と探偵に引っ張られた。現実はそう上手く格好良くできないものである。
そんな俺たちは防犯カメラの映像を管理している地下の管理室にやってきた。そこには警備員が一人いて、俺が警察手帳を見せると、さっと事件現場になった三〇四号室の前の防犯カメラの映像を出してくれた。
警備員がプレーヤーにディスクを入れると、探偵は警備員が座っていた事務椅子に座った。
複数の中の一つの画面の映像が切り替わった。画面の左上の端を見ると、昨日の夜一一時を示していた。死亡推定時刻である。
探偵は手を組みその上に顎を乗せて、眉間にしわを寄せながら画面を注視している。そして、しばらくすると、探偵は「止めて!」と叫んだ。警備員は慌ててリモコンの停止ボタンを押した。
「ねえ」
探偵は真剣な目で俺の方に振り向くと、顎で画面を示した。
画面をよく見ると、そこには不思議な人物が映っていた。台車に大きなプレゼントの箱を乗せた、赤と白の暖かそうな服を着ている人である。
「……サンタクロース?」
「ええ。その人が遺体を運んだの」
「じゃあ、サンタクロースを捕まえるというのか? もう寒い国に帰っただろ」
「いいえ。こいつは偽物よ。サンタクロースの皮を被った悪人」
そのとき、探偵がニヤリと笑った。
「根津さん、警視庁に行って取り調べの状況を確認してきて。サンタクロースを自白させるのに必要なの」
「おう、分かった。君は?」
「私は、ちょっと確認したいことがあるの。集合場所は後で連絡する」
そして、俺たちは警備員に礼を言うと、それぞれの行くべき場所に向かった。
俺は警視庁の捜査一課倉石班に戻った。取り調べで誰もいないと思ったが、班長の倉石さんがいて、ソファに座っていた。煙草休憩中らしく、携帯灰皿に灰を落としたところだった。
「倉石さん、お疲れさまです」
俺が声を掛けると、倉石さんは振り向いた。
「おお、根津。希杏ちゃんとは一緒じゃないのか」
「今は別行動です。取り調べの状況を確認してこいと指令が出まして。倉石さんこそ、取り調べは?」
「さっき代わったんだ。人間、そう何時間もぶっ通しで取り調べはできないからな」
そう言うと倉石さんは「座れよ」と隣の席の座面を叩き、自分は席を立った。
俺はその言葉に甘えてそこに座った。
しばらくすると、倉石さんは缶コーヒーを持って戻ってきた。
「お前、コーヒーは甘くしないと飲めないんだったよな」
そう倉石さんが差し出した缶コーヒーには大きく「甘め」と書かれている。
「はい、ありがとうございます」
俺は頭を下げつつそれを受け取った。缶はほんのり温かく、熱が手にじんわりと伝わってくる。外が寒かったからちょうどいい。俺はカイロ代わりに缶を両手で包むようにして持った。
「俺も若いときは砂糖をこれでもかという程入れないと飲めなかった」
倉石さんは笑いながら、俺の横に座った。
「ところで、まだ希杏ちゃんは調査を続けているのか」
「はい。ずっと現場が綺麗すぎる、それは別の場所で殺した遺体をあの部屋に運んだからなんじゃないかって」
「なるほど。今回逮捕された園城真由美にはそれが難しいから、協力者がいたはずだ、というわけか」
さすが捜査一課の班長だ。一を言っただけで一〇を理解している。
「はい」
「それで、希杏ちゃんが知りたいのは取り調べの状況だったよな。ちょっと待ってろ」
倉石さんは席を立つと、書類を持ってきて俺に差し出した。俺はそれを見て目を丸くした。
「これ、取り調べの記録ですよね。いいんですか? まだ終わってないんですよね」
「ああ。希杏ちゃんが言うんだからな。もし何かあっても俺が責任を取る。ただし、今日中に返してくれ」
「はい、もちろん」
「班長!」
そのとき、廊下から班員の一人の声がした。
「交代か」
倉石さんは、短くなった煙草を携帯灰皿の中に押し込み、スーツのジャケットのポケットに突っ込んで立ち上がった。
「じゃあ、希杏ちゃんによろしく」
「はい!」
俺の返事に振り向かず手を上げて部屋を出て行った倉石さんはドラマに出てくるベテラン刑事そのもので、とてもかっこよかった。
そのあとすぐ、探偵から集合場所の連絡があり、警視庁を出た俺は真っ直ぐそこに向かった。
その場所に着くと、そこにはビルの壁に寄りかかって暇そうに待っている探偵がいた。
「探偵!」
俺は彼女の姿を見つけると、そちらに駆けた。
「遅いわよ。どこで道草食ってたのよ」
着いたとき、探偵はそう言って俺を上目遣いで睨んだ。
「ひどいな。真っ直ぐ来たよ」
「じゃあ、たくさん信号に引っかかったのね。それだったら仕方ない」
「悪かったよ。ところで、どうしてここを集合場所にしたんだ? ヒルズジュエリー本社」
俺は天高く伸びるビルを見上げた。綺麗なガラス窓には周りの建物や月の出ている夜空が映っている。
「ここに犯人がいるからよ」
「サンタクロースに化けた悪人」
「そう。さあ、化けの皮を剥がしに行くわよ」
そう言うと探偵は、堂々と胸を張って巨大なビルに入って行き、俺も追うようにして戸をくぐった。
探偵は社内を歩きながら、俺が借りてきた取り調べの記録を読んだ。まともに前を見ていないはずなのに、角に肩をぶつけることも、階段に躓くこともなく、彼女はすいすいと進んでいく。俺なんて、目的地すら分からないのに。
そして、探偵はある扉の前で取り調べの記録の書類をパタンと閉じ、ピタリと立ち止まった。急に止まるから、俺は思わずぶつかりそうになって、彼女との距離が十センチのところでブレーキをかけた。
無事に止まり、探偵から取り調べの記録を押し付けられるようにして返された俺は扉の上を見た。そこには部屋の名前が書かれている。社長室、である。
「ここ?」
もう社長はいないはずだ。
「ええ」
しかし探偵はいたずらっぽく言い、扉を三回ノックした。
「ホテル佐々木でお会いした、竹井です」
そうすると、すぐに「お入りください」と声がした。
探偵がドアを開け、「失礼します」と中に入ると、そこには園城さんの秘書の高岡さんがいた。社長のデスクの脇に立っている。
「竹井様、根津様、お待ちしておりました。こちらにおかけください」
高岡さんはそう俺たちに応接スペースのソファを勧めると、一旦奥に入った。
…ん? ちょっと待てよ。高岡さん、「お待ちしておりました」って言ったか。
俺は探偵に顔を寄せた。
「なあ、いつの間にアポイント取ったんだよ」
「さっきよ。根津さんが来るまでに」
これもまた聞いていない事実だ。
「先に言っておけよ!」
「もうちょっと早く着いてくれたらきちんと説明するつもりだったのよ」
まったく、まだ遅く着いたこと根に持っているのか。事件が解決したら、クリスマスケーキでも買って機嫌を取ろう。
そんなことを思っていると、高岡さんがトレーに湯飲みを乗せて戻ってきた。
「すみません。お忙しいのにお会いしたいだなんて」
高岡さんが湯飲みを配り終わると、探偵がそう切り出した。
「いいえ。事件が解決したとのことだったので。しかし、先ほど警察の方から真犯人として社長の奥様を逮捕したとお聞きしました」
「実は、彼女の他にもう一人犯人がいるということが分かったんです」
「もう一人、ですか」
「はい。実は、ずっと現場である園城さんの部屋が綺麗だったことに引っかかっていて、調査を続けていたんです。そして、その結果、園城さんは別の場所で殺されて、あの部屋に運ばれたということが分かりました。しかし、真由美さん一人で遺体を運ぶことは困難です。そこで、遺体を運んだ犯人が別にいると考えたんです」
「そうだったんですね。でも、遺体を運んだその犯人は怪しまれるんじゃないですか」
「ええ、普通なら。でも、昨日なら、怪しまれず運ぶことができます。クリスマスイベントのサンタクロースになればいいんです。それなら、大きな荷物を運んでいても何とも思われません」
「なるほど」
「実際、昨日のホテルの防犯カメラの映像には大きな荷物を運ぶサンタクロースが三〇四号室の前を通っている姿が映っていました」
「でも、サンタクロースが雪の国から来て、社長を殺したというのですか。ファンタジックですね」
そう高岡さんが言うと、探偵は若干俯き、ふっと笑った。
「真面目な方だと思いましたが、冗談もお上手なんですね。犯人はあなたでしょう」
本来ならうんとためてから言うべきである衝撃的なセリフを、探偵はクールにさらりと言いのけた。俺は思わず探偵の方を向き、目を丸くした。
そして、すぐに高岡さんを見ると、彼の方は若干眉間にしわを寄せていた。
探偵はそんな彼の表情の変化に気付いたのか、こう続けた
「証拠ならありますよ」
すると、探偵は着ていた上着のポケットから一枚のチラシを出して、テーブルの上に広げた。それはこの冬、五が丘で死ぬほど見た赤と緑を基調としたチラシである。
「これって、五が丘のクリスマスイベントの……」
俺がそう呟くと、探偵はそうよ、と頷いた。
「このイベント、主催はヒルズジュエリーで、サンタクロースは社長の秘書が務めることになっているんですね。つまり、今年はあなたが?」
「はい」
高岡さんは短く答えた。
「じゃあ、サンタクロースの衣装はありますね。出してください。何かしら証拠が付着していると思います。警察で鑑定してもらえば、すぐに分かるんですよ」
そんなの無茶だ、と俺は思った。いくら彼がサンタクロースに扮していたとは言え、犯人だなんて妄想もいいところだ。ここで高岡さんが怒り出したら探偵の腕を引っ張って逃げよう。
そう俺が膝の上に置いていた右手を探偵の方に動かしたとき、高岡さんは大きく息を吐いた。
「やはり隠し通すのは無理でしたね」
高岡さんは俯き加減でそう呟くように言った。
「あなたの言う通り、社長の遺体をあの部屋に運んだのはわたくしです」
「どうしてそんなことを?」
探偵は訊いた。
「あの日、クリスマスイベントの業務中に、突然奥様からお電話がありました。出てみると、彼女は家に来てほしい、どうしたらいいのか分からないのと言うのです。とても早口で、声だけでもただ事ではないということが分かりました。そこで、わたくしは急いで社長の自宅に向かいました。鍵は開いていて、わたくしは中に入りました。すると、奥様が広いリビングの真ん中に座り込み、その前に社長が倒れていました。社長が亡くなっていることは、一目で分かりました。座り込む奥様は震えていて、平常心でないことは確かでした。そこでわたくしは奥様に、警察には知らぬ存ぜぬで通してくださいと言って、別のお部屋でお休みいただき、遺体をそこから運び出しました。そのあとはあなたの言った通りです。遺体をプレゼント箱の中に入れ、サンタクロースの扮装をして堂々とホテルに運びました。あのとき、運んだ場所があのホテルのあの部屋だったのは、社長が愛人と会う約束をしていたのを思い出したからです。咄嗟にその愛人に罪をなすりつけようとしました」
……有り得ないほど素直な自供だ。探偵が触れていないことまでペラペラと。
俺はとんでもないレアケースを目の前にし、動けなくなった。
ふっと横を見ると、探偵は先ほどと何ら変わらない様子で、話を聞いていた。流石、一流探偵だ。
しばらくの沈黙のあと、再び高岡さんが声を発した。
「竹井様の方が先にいらっしゃるとは、警察はこの事件のことをきちんと調べていないのでしょうか」
俺は警察だ、と思ったが、とても言い出せる雰囲気ではなかった。
高岡さんの言葉に答えたのは探偵だった。
「いいえ。警察は頑張って取り調べをしていますよ。さっき記録を読んだんですけど、みっちり書かれていました。凶器のマフラーを使って背後から首を絞めたとか、動機は夫の不倫が許せなかったからとか。相当しっかりとした記録でした。そして、相当口の堅い犯人だということも分かりました」
探偵の言葉を聞いた高岡さんは少し顔を上げた。
「真由美さん、あなたのことを一言も喋っていないんです。すべて自分がやったと。優秀な警察が、あなたを一切疑えないほど、完璧に黙っているんです」
探偵が静かにそう言うと、高岡さんはそうですか、と息を吐くように言った。
そのあと、高岡さんは駆け付けた警察官に連れていかれた。そしてすぐに鑑識官が社長室に入った。探偵が言っていたサンタクロースの衣装が見つかるのも時間の問題だろう。
一方で探偵と俺は、宿泊先であるホテル佐々木の部屋に戻った。部屋は朝のまま、着替えや身の回りのもので散らかっていた。
俺は手始めにベッドに脱ぎ散らかしたパジャマを畳み始めた。
「まさか本当に解決できるとは思わなかったわ」
隣のベッドでスマートフォンの充電器を鞄にしまいながら、探偵は言った。
「自信なかったの?」
俺は手を止めて訊いた。
「そういうわけじゃないけど、まさかあんな推理で……推理とは言えない予測で、自首にまで持っていけるなんて思わなかったの。今回のポイントだったサンタクロースの衣装のことだって、クリスマス当日なんだからその衣装を着ている人は他にもいたはずだって言えたはずよ。それなのに高岡さんは否定しないであっさり認めた。どうしてかしら」
探偵はそう小首を傾げていたけれど、不思議と俺には答えが分かった気がした。
「早く見つけてほしいって思ってたんじゃないかな」
「どういうこと?」
探偵はこちらを向いて尋ねる。
「もともと高岡さんは真由美さんを庇って、先に逮捕されるつもりだったんじゃないかな。でも、真由美さんが罪悪感に負けて自分が捕まる前に自首してしまった。そうしたら、庇い続ける意味はもうないだろう」
「それだったら、高岡さんだって自首を……」
俺は探偵の呟きに首を横に振る。
「彼は、自ら警察に行った真由美さんが、そのあとの取り調べで自分を庇うことを何となく分かって、その気持ちを蔑ろにしたくなかったんだと思う」
「そんなめちゃくちゃな。どうして、そんな……」
「俺がここから予想したのは、一つ。高岡さんと真由美さんは特別な関係だった」
「それは愛人?」
「そこまでは分からない。これはあくまで俺の想像だからな。でも、それに近い、もしくはそういう関係だったんだと、俺は思う。そうでなきゃ、一瞬で庇おうなんて思わないからな」
「つまり、高岡さんも、真由美さんも、お互いを守りたかったんだね。まだ子供のわたしには、そんな気持ちよく分からないけれど」
探偵は静かに言った。
探偵、分からないと言ったけれど、俺にだって分からない。もし分かっていたら、こんな事件、すぐに解決できただろう。
しばらくしんみりした空気になった。俺も探偵も、作業の手が止まってしまった。
しかし、その空気はインターフォンの音によって違うものになった。
「誰かしら。はーい」
探偵がベッドから降りて、小走りでドアの方に向かった。ガチャリとドアの音がしたあと、探偵に「根津さーん」と呼ばれたので、俺もベッドから降りた。
ドアの先に立っていたのは、探偵の友達の真以奈ちゃんだった。
俺は何だか不安になって、探偵に耳打ちした。
「……俺たち、チェックアウトの時間、忘れてたな」
すると探偵も、そうね、と眉間にしわを寄せた。
しかし、それが聞こえていたらしく、真以奈ちゃんは慌てて「違います!」と言った。
「実は、お二人にお詫びがしたくて。この度は、せっかくご宿泊いただいたのにも関わらず、十分なサービスができず、申し訳ございませんでした」
真以奈ちゃんはそう頭を下げた。それも機械のように美しい九〇度のお辞儀だ。
「頭を上げて! 事件が起こってしまったんだから、仕方ないわ」
探偵がそう言うと、真以奈ちゃんは頭を上げた。
「それでもサービスができなかったのは事実」
「大丈夫、また泊まりにくるから」
探偵はそう真以奈ちゃんの肩を叩いた。
「あ、そうそう。ご両親、仲直りした?」
探偵は話を変えた。
「えっ」
真以奈ちゃんは短く驚いた声を出した。
「うん。なんか事件でいろいろ仕事が忙しくなって、気付いたら仲直りしてた」
「それなら良かった。調査の最中、あまり姿が見なかったから」
「そっか。ありがとう、心配してくれて」
「いえいえ。元に戻って何より」
探偵がそう言うと、真以奈ちゃんは一歩下がった。
「それではフロントにてチェックアウトの手続きを致しますので、ご準備が終わりましたら一階までお越し下さいませ。お待ちしております」
真以奈ちゃんはそう頭を下げくるりと体の向きを変え、廊下をスタスタと歩いていった。
一方の探偵は、彼女を見送るとドアを閉めて、俺と一緒に部屋の中に戻った。
『両親がいないことを希杏が気にしていたらと思って……昔から彼女は自分が辛くても表に出さない人だから』
俺はふと真以奈ちゃんの言葉を思い出した。
『あ、そうそう。ご両親、仲直りした?』
そして、何ともない顔こんな言葉を言ってのけた探偵。真以奈ちゃんの言ったことが本当なら――別に疑っているわけではないけれど――両親のいない探偵は辛いけれど、俺には平気な顔をしている。
「なあ、探偵」
俺は探偵に声を掛けた。
「ん?」
探偵はやっぱり何ともない顔で、鞄の中を確認しているところだった。
「真以奈ちゃんがさ」
そうは言ってみたものの、あとに言葉が続かなかった。
もし言った言葉で彼女の傷をえぐってしまったら。そうなってしまったら、エメラルド探偵事務所だけではなく、五が丘にすら入れなくなる。
探偵は黙りこくってしまった俺の方に向いた。
「何よ」
「いいや、何でもない」
俺は瞬時に誤魔化して、自分のベッドに乗ろうとした。しかし、すぐに阻止された。
「真以奈に何か言われたの?」
流石、探偵としか言えない速度と言葉だった。俺の動きを封じれるほど速く、質問は鋭かった。
俺はベッドに掛けた足を床に下ろした。
「君の両親のことだ」
俺は今度こそは素直にそう言った。しかし、探偵の反応は思わず目を丸くしてしまうほど薄かった。
「ああ、そのことね」
「ああ、じゃないだろう! 君の両親は本当にいないのか?」
「いないわ。それがどうしたの?」
俺が語気を強めて言ってみても、やっぱり探偵の反応は薄かった。ところがそれは別に早くその話を終わらせたいからわざとそんな反応をしたという感じではなかった。まるで昨日の夕飯を尋ねられたときのように、特に気にもせず、ただ過去にあったことを言っただけという感じだった。
探偵は「さあ、さっさと部屋を片付けるわよ」と何もなかったかのように、荷造りを再開した。
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