行き止まりのドアより

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 少しして、客人は雪を払い、ようやく敷居を(また)いだ。枠だけになった玄関が、雪明かりの高原を四角く切り取り、小さな人影を寄り添わせて、仄白い絵画のようだった。タイトルにはきっと「無情」などの言葉が使われる。凍てつく夜をついて歩んだ子どもを温めも得ない、寒くて暗い空間の入り口を表すのには。  もちろん、ドアとしては「安息の始まり」とか呼ばれるのが理想だ。今はなき玄関ドアも、現状を嘆くに違いない。かといって、どうしたらいいのだろう。火を焚いたり、水や食べ物を供したりはもとより、風を閉め出すことも満足にできない体たらくなのに。    悲観すればきりがない。ドアはとりあえず、声をかけることにした。  ――こんばんは。ようこそいらっしゃいました。寒かったでしょう。ここも暖かいとは言えませんが、あなたのために、雪も風もできるだけ通さないよう尽くします。どうぞ遠慮なくお休みになって。    ドアは本来の役割と裏腹に、分け隔てしない主義だった。どんな来訪者にも礼儀正しく接する。いらっしゃいと迎え、行ってらっしゃいと送り出すのは、ドアの大切な仕事だと心得ていた。その成果として、人が喜んでくれたら最高だ。言葉も通じず、自力で動くこともでずに立ち尽くしておきながら、大それた目標だとは思う。それでも諦めきれない。小屋唯一のドアという重圧に耐えられるのも、望みを失っていないからこそだった。  そんな仕事への熱意から、ドアは誰にでも「あなた」と丁寧に呼びかける。わざわざドアに向かって名乗る人間はいない。人同士の会話から名前が分かったときでも、生真面目なドアは、自分に対して名乗られていない名前を勝手に呼ぶことを自制していた。たとえ、自分自身は望まない名前で呼ばれても。いや、その不愉快さを知っているからこそ、はっきり許された呼び方でしか相手を呼びたくなかったのだ。  ――あなたも「行き止まりのドア」を見にいらしたの? 玄関が空っぽなのでお分かりでしょう。私がそのドアですよ。    外よりも濃い闇の中、幼い客人は足元を確かめるように、小屋の真中で立ち止まった。合わせた両手に息を吐きかけながら、目を細めている。  なぜだか黙ってはいけない気がして、ドアは話を続けた。    ――私の(うわさ)を広めたのは、玄関ドアを持ち去ったあの人たちだと思います。  この小屋は昔、狩猟者の休憩所として建てられました。今は禁猟区だそうですが、それでも人の出入りはあったのです。密猟者ですね。  あの日も、ここで鹿撃ちの支度をする人が三人おりました。一人が銃に弾をこめる傍ら、二人はリンゴを(かじ)ったり、私から出て裏手を散歩したりして、のんびり過ごしていましたよ。  そう、もともとはね、私は「行き止まり」なんかじゃなかったのです。海に臨む崖までは、ナナカマドの木立を縫って、大人が何十歩と歩くだけの距離がありました。それがあの日、崖の下に大きな客船がぶつかって、衝撃でこの小屋の、私の目の前まで地面が崩れてしまったのです。散歩に出ていた二人に、私がおかえりなさいを言った瞬間でした。  夏の青空と、突然大地を呑んで差し迫った黒煙棚引く真下の海との、不釣り合いなこと! 私も混乱していましたが、密猟者たちはもう恐慌状態。二人が不意打ちの揺れに転倒し、たった今立っていた場所を顧みて、血の気を失い叫びました――「木が消えた。地面が消えた。行き止まりになっちまった!」と。  恐るべき「行き止まり」から離れようと這いずった彼らは、指先を血潮に濡らしてやっと、もう一人の仲間の悲劇に気が付きました。暴発した銃で、太腿を撃ち抜かれていたのです。  動けなくなった彼を連れて行くために、二人は玄関ドアを外して担架を作りました。本当は私を使うべきだったのです。行き止まりにドアなんて不要でしょうから。けれど彼らはもう、私に近づこうとはしてくれませんでした。  かくして玄関にドアはなくなり、私は「行き止まりのドア」と呼ばれるようになったのです。
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