行き止まりのドアより

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 自己紹介がひと段落するころ、はっきりと視線を感じた。闇に慣れたらしい客人が、細めていた目をむしろ見開き、ドアを注視している。そのまま、動かない。    ――ええと……そう、寒いものね! 「行き止まり」を見物するのなら、もう少し風が落ち着いて、温かい陽が出てからの方がいい。あなたは正しいわ。休んでと勧めておいて、私ときたら……。    ドアは戸惑っていた。実のところ、人間はここへ着いたらまず、自分を開けてみるものと決めつけていたのだ。    誰もがドアの向こうに地続きの行先を求めているから、「行き止まり」とはどういうことかと興味を引かれて、この小屋へ来る。そして裏口を開け、絶壁を見下ろしては、「本当だ、ドアがあるのに行き止まりだ」と(わら)う。それが楽しいらしいので、縁が欠け、筒状の取っ手が緩んでも、ドアはあえて文句を言わなかった。  時折、嘲笑や暴力をもたらさず、終始厳かな表情で、海へと花を投げ入れていく人がいる。彼らのおかげで、人間に対する評価が下がらないのだと言ってもいい。とはいえドアは主義に従い、贔屓(ひいき)したりはしなかった。何よりも、花を投げる人々はドアのことなど眼中になく、海にばかり見入るのだ。すると無遠慮な接触が恋しくさえ感じ、現金な自分が嫌になる。  ……というように、客が何を望んでいて、自分にどんな影響を与えるのかを、ドアは熟知しているつもりだった。    なのに今、レリーフの一つもない、土と苔と手垢で汚れた体に留まる眼差しの意図を、ドアは図りかねていた。そしてそれだけのことで、大いに動揺していた。    数知れない客人を迎え、送り出してきた。せめて失礼のないよう徹底し、声掛けをやめないことで、無力感に何とか折り合いをつけて。  それが継続できたのは、ただ熱意ゆえではなかったと、ドアは気づかされた。今までに訪れた誰もが、からかいの対象、あるいは追悼の機会として、暗に「何もない」を求めていたからだったのだ。取っ手を掴んであざ笑う人は、行先を持たないドアを。花を持つ人は、大切な人がこの世にいないという現実を。  結果的に悪路を往来するに見合わないと判断されようと、求められたものは用意できていた。それが重要だった。ドアはそこに在るだけで、まったくの無力ではなかった。    そのごく細い自己肯定の糸が、脅かされている。真っ直ぐな視線で断ち切られそうになっている――そんな予感を否定してはもらえないかと、ドアは問いかけた。    ――ねえ、あなた……私で遊ぶか、誰かに祈りを捧げるかして、充分体を休めたら、満足して帰ってくださいますね? まさか私に何か――期待――なんて、してはいませんよね?    客人が口元に当てていた小さな手を下ろした。薄く開いた唇は、震えるばかりで言葉を発しない。しかし揺るぎない眼差しと、ざらりと床を擦ってドアへ近づこうとする歩みは明らかに、「何もない」が目的ではないと語っていた。
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