行き止まりのドアより

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 待ち人は、何十もの冬を越えた春先にやってきた。    「行き止まりのドア」はほとんど人に忘れ去られていた。たまに迷い込む旅人以外に冷やかされることはない。海へ花を手向けにくる人も少なくなった。一度観光地になった影響か、密猟者も姿を見せない。寂しいほど静かに流れる時間に、ドアの体は(むしば)まれ、(こけ)むし、ひび割れ、歪んでいった。  しかしドアは平気だった。日々に散りばめられた、ごく小さな幸せと隠れん坊に興じ、鬼ばかりやるうちに時間は矢のごとく過ぎる。見つからないときは執着せず、いつか来るだろう幸福に思いを馳せた。それはあの日見送った、幼い子どもの姿をしていた。    だから、洒落(しゃれ)たステッキを突いて現れた老人が誰か、すぐには分からなかった。(しわ)だらけの手が、春の嵐が運び込んだ枝を持ち、クモの巣を取り払う。それを窓から外へ捨て、老人は――ドアの取っ手を両手で包み、額を寄せて微笑んだ。    ――まあ……おかえりなさい。お待ちしておりました。ええ本当に、我ながらよくぞ長いこと、疑いもせずお待ちしたものですよ……。    ドアは親しみを込めて、ずっとしたかった挨拶をした。老人の、瞼に埋もれそうな瞳の中で、懐かしいあの光がきらきらしていた。      老人は数人の若者を連れてきており、ドアは彼らの手で慎重に、裏口から取り外された。布を巻かれて周りが見えなくなったが、道中、昔の客の愚痴どおりにひどく揺れたので、山道を町へと下っているのだろうと推測できた。    次に老人と顔を合わせたのは、様々な木材が並ぶ工房らしき場所の一角。そこで汚れを落としてもらい、割れ目の補修を受けながら、ドアは老人に尋ねた。    ――どうしてこんなことまで? 会いに来てくれるだけで充分だったのですよ。こう見えて、あなたより長生きしているというのに、私を磨き立ててどうするのです? あなたのお家に飾ってくださいますか? いえ、本気になさらないで、冗談ですからね……。    一度思いの通じた仲とはいえ、人間に聞こえないドアの声に、昔から無口な老人が答えるとは思えない。それでも厚かましくなりきれず、ドアは嘘をついた。そろそろドアとして立ち続けるのは限界だと感じ始めたところだった。せっかく綺麗にしてもらっても、またすぐに不具合が出るだろう。それよりどこか邪魔にならないところから、老人を見ていたいのが本音だった。   「……私は年を取った」    一瞬、老人に心を読まれたのかと、ドアは呆気に取られた。しかしすぐに我に返り、老人の言葉に聞き入った。老人が自分に語りかけるのは――人間がこんなにも真摯(しんし)な口調で、対等に話してくれるのは――長いドアの生においても、初めてだ。   「あなたは私を生の道に引き戻し、未来へと開いてくれた、かけがえのないドアだ。私の生涯を閉ざし、いずれ次の生へと開け放つドアもまた、あなたであってほしい」    老人とドアの願いは一致した。  一人と一枚は、その後しばらく離れて暮らし、冬が来る前にまた一緒になった。老人は白百合の敷き詰められた箱の中で、ドアを待っていた。  ドアはそこへ赴く前に、望むべくもなかった贈り物を受け取った。ドア自身に彫り込むよう、老人が工房の仲間に依頼したという一文だ。   「このドアを誰より愛した者が眠る」  老人は最後に、特別な名前をドアに名乗ったのだ。ドアはそれを口にするときを待ち侘びながら、大切な人の眠る箱に蓋をして、共に土の下へと居場所を移した。
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