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「本当心配して損した」
お見舞いに持ってきた蜜柑の皮を剥きながら、茜は吐き捨てるように言った。目の前には、個室なのをいいことにベッドで一日中漫画を読みふける忌一がいる。
あの後、救急車で担ぎ込まれた忌一には意識がなく、ICUに入るほどの危篤状態だった。しかし、数時間で意識を取り戻した忌一は、その後みるみるうちに回復し、三日後の今となってはこの通りピンピンしている。
回復した忌一から洋館の巨大鰻を排除したことを聞くと、すぐに店へ連絡した。そして昨日無事解体工事が終了し、あの物件は更地になったと報告を受けている。
だがあの時、忌一に何が起こり、どうやって鰻が祓われたのかについては決して教えてくれず、未だに謎のままだった。
「それよりさぁ、茜ちゃん。何でもしてくれるって言ったよね?」
(やっぱり覚えてたか……)
うんざりしながらもとりあえず望みは何なのか訊ねると、忌一は入院着姿のままベッドの上に正座をし、咳ばらいを一つして、「茜ちゃんに俺と付き合って欲しい」と言った。
「嫌」
「即答!? んじゃぁ、デートして」
「嫌」
「じゃあ、ラブホで休憩!」
「最っ低!!」
バッチーーン!!
病室にありえない暴力の音が響いたが、好都合なことにここは個室だ。
「私が聞ける望みは無いってことね」
「ま、待って! じゃあ、キスで手を打とう」
「キス? 頬っぺならいいけど」
「何それ! 子供の頃と一緒じゃん!?」
そう言われ、昔忌一にねだられたのはキスだったのかと合点がいく。あの頃も唇に望んでいたのだろうが、当時はほっぺでかわしていた。今回はどうかわそうかと思案していたところ、目の前に食べかけのミカンが映った。
「じゃあ目を瞑って」
そう言うと、途端に緊張した忌一がぎこちなく瞼を閉じる。
おもむろにミカンを二切れつまみ、忌一の唇に「チュッ」と押し付けた。再びゆっくりと開いた忌一の瞳は、案の定トロンとしている。
「今度また私のお願い聞いてくれる?」
「うん」
「じゃあね」
笑顔でそう言うと、茜はそそくさと病室を去るのだった。
*
病室が静かになると、忌一の入院服の袖からニョロリと鰻のような龍が顔を出す。
「我が主よ、チョロいな……」
すると今度は、入院服の左胸ポケットから桜爺が顔を出し、
「龍蜷よ、それは言うてやるな……」
と、返答がある。二人が見上げると、そこには未だに夢見心地でだらしのない主の顔があった。
桜爺と龍蜷は顔を見合わせ、同時にフッと微笑むのだった。
<完>
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