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 その古ぼけた旅館に入った時に奇妙な甘ったるい香りを感じた気がした。  ド田舎の山村にある小さな、それこそ、誰も寄り付かないような隠れ家じみた場所をわざわざ選び。ベストシーズンでも何でもない極めてステレオタイプなド田舎で、ささくれた心を癒し、一人でゆっくりと羽を伸ばそうと思っていただけなのに。 「おはようございます。キノウはステキなバンサンカイでしたね」  こちらが体を起こすと同時に、隣の煎餅布団で寝ていた、顔も知らなければ名前も聞いていない女性は、カギカッコを思わせる見事な姿勢で、正面を向いたまま窓の外を見つめてそう言った。  ──キノウ? んん? 確か、まだ、エントランスに入ったばかりで・・・どちら様ですか?  元来、ただでさえ人の顔を覚えられない不便な脳みそではあったが、肝心の耳も女性の素性に関して覚えがなく、五感が全く仕事をしていない。  しかし、呆気にとられたのも束の間で。女性の大まかな年齢をする時間さえ今はどうでもよく。女性が見ているであろう部屋にたった一つの大きな窓の、開かれた障子と磨かれたガラスの先の雄大な景色は恐ろしく奇妙であった。  滝が流れている。ナイアガラほど莫大な水量ではないが、那智の滝よりは緑が豊かでけたたましく。小さくて可愛らしい虹が、映えを狙ったカップケーキに添えられたご機嫌なプラスチックピックの如く斜めに弧を描いている。  太陽は虹と同じ方向にサンサンと輝いており、心無しかいつもよりふた周りほど大きくて自己主張が激しい。切り立った岸壁から落ちる滝の周囲に無作為に生い茂る、サバンナにでも生えていそうな下部がつるっパゲの木々は青々と。  遥か下に見えた小さな滝つぼの周りには、群がるブロッコリーじみた低木。The田舎の清流と言わんばかりの巨大な岩石の隙間を、透き通った水が穏やかにサラサラと流れている様が見えた。  その場から動かずとも、上から下まで自分には全て見えていた。 「ハヤくしなければ」  女性は下半身に被さったままだった真っ白なシーツを手早く払い除け、着ていたマキシ丈の白いワンピースを躊躇いなく脱ぐと。産まれたままの姿でパイプベッドから降りて、安っぽい簡素なそのワンピースをマットレスに放った。 「アナタをミナラわなければ」  こちらが既に白い下着上下まで着用し、同じく真っ白な簡素なシャツとスラックスに着替え終わった状態だったのを確認すると、そう言って無機質な笑顔を見せる。
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