1 慌ただしいイチニチ

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  「──段取りは以上である。各位、手元の注射器を早期に己に使用しろ」  壇上に佇むのは、いかにも教祖です。もしくは、大魔道士ですとでも言わんばかりの、自己主張が激しい人間だった。 「えー・・・? また注射ですかー?」  即座に反応し、不満そうな言葉を吐いた声は紛れもなく自分のものだった。しぶしぶ床から小箱を拾い、蓋を手際よく開ける。中に収められている容器と針がまだ小分けにされていて、小袋を破って組み立てなければいけない。 「は? 『また?』 貴様何を言って・・・」  一部声を裏返しながら、近づく人間の気配を感じた。 「おい! 待て射つな! 一度待機しろ!」 「すみませーんもう射った後でーす。ははは」  おどけて笑ってみせると、どうしてだか、物理的ではないが確かに冷ややかで電気を帯びたようなピリリとした空気を感じた。  何がどうなってこういった状況になったのかはさておき。自分は現在、非常に愉快な気分だった。  なにせ、扉を開けて、真っ白な光が見えたような気がしたと思いきや。次に気付いた瞬間には、沢山の人間とコンクリートの床に正座をしていて、真っ黒なローブを着た意味の分からない格好の教祖じみた人間を見上げながら、何かよく分からない話を聞いていたなんて。  世にも奇妙な、すっとんきょうな状況を目の当たりにしたのだ。きっと今は夢でも見ているのだと、針の痛みや異様な倦怠感を棚にあげて言い張ってみせる。 「どういう事だ!? 検品係! 緊急事態だ! とにかく、今すぐ再初期化エリアに持っていけ!」 「あははは昔から注射されるの慣れてるからついやっちゃいましたー。いやぁー注射って慣れるともうある種快感というか・・・」 「お前は今すぐ口を閉じろ!」 「いだぁ!?」  怒鳴りつけるツナギ姿の男性に左腕を引き上げられ、思わず間抜けな悲鳴を上げる。耳は、ローブ姿のいかにもな人間が、注射を止めるよう指示している風な言葉や、待機を指示する強い口調の声を聞いた。 「いーたいいたいいたいってちょっと注射ウったアトの手はもうちょいテイネイにっははは」 「おい早く! こいつ、指示も通じないぞ! これまでどうやって検査を抜けてたんだ!」  よくよく見渡せば、ツナギの男性は耳にインカムのようなイヤホンのような、穴を埋めて顎の関節まで部品が伸びた小型の物体を左耳につけている。おそらくそれで誰かと会話をしているのだろう。  自分が居たのは、集団の大体真ん中辺りだったのか。同じ白の上下を着て正座をしたかなり若い人間の群れが、360度全ての方向に満遍なく存在しており、みな、同じ、全く同一の仕草と角度で注射器の箱を開封した姿勢のまま、まっすぐにローブ姿の人間を見つめて固まっている。  なんて非日常的で、なんて愉快な仲間たちだろうか。 「うっははははウケる。ナニこれウケる・・・ウケ・・・うはっ」  ツナギの男性に引き上げられ膝立ちになったまま、時に辺りをうかがい、時に、注射痕がいくつか残る、袖をまくりあげた自身の左腕から垂れる血を眺め、それでもなお気分が良くて笑っていた。  周りがより一層騒がしくなって、人の気配が増えてきたような気がする。    情けない話ではあるが、空気を呼んで黙ろうにも、どうしてだか感情も、はたまた四肢も、今からこうしてやろうと思いつくことは多々あるのに、コントロールが上手く出来ずにやがて考えが頭から消えていく。
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