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3 灰色の結婚式 3
メノムの言ったとおり、二日後の正午、二人の女官と四人の男達が大きな道具を抱えて離宮までやってきた。
二人の女官は出迎えたリザにおざなりな挨拶をすると、男達を指揮して風呂を用意させた。大きな道具は浴槽だったのである。
今まで風呂といえば、たまにオジーの家で入れてもらうか、沸かした湯で体を清拭するだけだったリザは非常に驚いてその様子を見ていた。
女官達は話しかけられたくないように、リザの方を見ようともせず、風呂の用意ができると男達を返し、呆然自失のリザを風呂に入れて洗いたてた。その態度はいかにもぞんざいで、いかに世間知らずの自分でも、そこに敬意が微塵も含まれていないことがわかる。
彼女達は髪と肌に何か良い匂いのものを擦り込むと、やや煤けたような白色のドレスを着付ける。
それは多分誰かが着たものだったのだろう。ごてごてした装飾は美しくはあったが、いかんせん十三歳にしては小柄で痩せっぽちのリザには大きすぎた。
女官は無言で身幅を詰めると、今度は髪と化粧にとりかかった。
リザの黒い髪は貴婦人のように長くはない。長いと手入れがしにくくなるから、肩より少し長いくらいだ。それを無理やりきつく結い上げられ、生まれて初めての化粧をされた。べったりと様々なものを塗りたくられたが、鏡も見せてもらえないので、自分がどんな姿になったのかわからない。
「結構です」
それだけ言った女官に連れられてホールに向かうと、さっきの男達が立派な輿を用意して待っていた。
「ひ、一人で行かなきゃならないの?」
心細さの極みでリザの声は震える。しかし、女官の一人が素っ気なく「さようでございます」と言っただけだった。
問答無用で輿に乗せられ、視界が高くなる。普段とは違う風景と、揺れて頼りない感覚にリザは急に怖くなった。
「やめて! やっぱりやめます! 下ります、下ろしてください!」
リザは叫んだ。しかし、誰も聞こうとはせず輿はゆっくりと動きだす。
「嫌! 結婚なんかしない! ニーケ! オジー!」
高さに怯えたリザは手すりにしがみついて、心配そうに見上げているニーケとオジーを振り返った。
「……リザ様!」
「リザ! 早く帰ってこいよ! 俺が迎えに行ってやる」
オジーが言うのを慌ててニーケが止めている。二人の姿が滲んで遠くなった。
「下ろして……帰りたい、帰りたいわ。兄上なんか嫌いよ。ずっと放っておいたくせに!」
泣いているリザに声をかけるものは誰もいない。
そして、やがて王宮の壮大な本宮が見えてくる。
輿に乗せられたまま、リザは宮の門まで連れてこられた。一年ぶりの白蘭宮は全く親しみがわかず、恐ろしい人たちがいる場所なのだ。
物言わぬ女官達に案内されて廊下を進み、知らない部屋に案内された。歩いた距離からして、そんなに奥まではきていないだろう。
部屋は豪華だったが、火も炊かれておらず誰もいない。そのまま女官はどこかに行ってしまった。
古ぼけた花嫁衣装のまま、リザが一人で立ち尽くしていると、扉の向こうから「こちらでございます」という声がして、ノックもせずに男が入ってきた。こちらも一人だが、見事な金髪で豪華な服を身につけていた。
兄王、ヴェセルだった。
「久しいな、カラス」
ヴェセルはにやにや笑いながら横柄に言った。中背だが、小さなリザからすれば見上げる背丈である。
「……」
「挨拶もできんのか。カラスだけに」
「……あ、兄上様……お久しゅう、ございま……す」
慌ててリザが頭を下げる。この兄も十七歳も年が離れたリザのことを、いつもカラスと呼んだ。金髪の王家に相応しくない、黒髪を持って生まれたがゆえだろう。
「兄ではない、陛下と呼べ。カラスの分際で」
「……」
返事の代わりにリザはますます深く頭を下げた。しかし、乱暴に上を向かされる。
「ふむ……痩せてはいるが病気などはしておらぬようだな。お前の母親も顔だけは見られた女だったから……これならいけるだろう」
何がいけるのか、リザは聞かなかった。
小さい頃からほとんど会うこともなかった、会えば蔑まれ、虫でも払うように追い払われた記憶しかない長兄。
この兄がミッドラーン国王なのだ。
「先日聞いたであろう。そなたはこの国一番の働きをした戦士に嫁ぐことになる」
「……」
「聞かれたら返事をしろ! そのくらいの礼儀も弁えぬか、このカラスが!」
「は、はい」
リザはなんとか返事を絞り出した。
「その戦士は一応貴族の出だが、今は爵位はない。ずっと傭兵をしていたが、このほど領地と騎士の称号を与えた。お前はその男に嫁ぐのだ。だから、お前は領主夫人となる。あの古ぼけた離宮で暮らすよりよほどいい身分、いい生活となるだろう」
「……はい」
騎士エルランド・ヴァン・キーフェル。
あれから何度この名を呟いたことか。そして、リザは戦士というものを見たことがなかった。
どんな人なのだろう? 戦士というからには怖い顔なのだろうか?
今までずっと戦ってきたのかしら?
名前と地位以外、顔も過去も知らない男が今日、自分の夫となる。しかし、不思議なことに、ヴェセルがその名前を口にすることはなかった。
「言っておくが、お前の母のことや、育ちはあやつに言ってはならんぞ。もし、言えば軽くみられるだろうからな。今のようにひたすら大人しくして、敬ってやることだ。そうすれば田舎者の野蛮人のことだ、王家の血くらい尊重してくれるだろう」
「はい」
素直な返事にヴェセルは満足したようだった。この年の離れた妹が、知的に遅れているとでも思っている様子だ。
「もう少ししたら迎えを寄こすから、しばらくこの部屋で待て。その者に付いて拝堂に向かうがよい。結婚の儀式はそこで行われる。詳しくはその者から聞け、よいな? おっとそうだ、忘れていた。そら、これを顔にかけておけ。そんな陰気な顔では男は喜ばぬ」
そう言って、ヴェセルは脇のテーブルからヴェールを取り上げた。
「お前の髪は王家にあらざるカラス色だからな。せめてこれを被っておけ。ナタリーからの贈り物だぞありがたく思うがよい」
「……」
リザは細い糸で編まれたヴェールを受け取って頭に被った。目立たないが、一部糸が切れて破れている。姉のナタリーもまた、いらないものをよこしたのだ。
花嫁衣装はあまり好きになれなかったリザだが、このヴェールは繊細で羽のように軽くリザの好みに合った。頭に被るとすっぽりと顔と髪が隠れる。襞が重なるので破れ目もわかりにくい。
「それでいい。外すでないぞ」
立ち去りかけたヴェセルは、ふと思いついたように振り返った。
「そういえばお前、名はなんだった?」
「な?」
「名前だよ、この愚図! 名を言えなくては、儀式の格好がつかぬではないか」
「リザです」
リザは小さく、だがはっきりと答えた。
「リザ? それだけか? そんなようだった気もするな。まぁ覚えやすくてよい。では、くれぐれも花婿の前でヘマをするなよ。これはお前にとってもよい話なのだからな、カラス。花婿はすでに待っている」
そう言ってヴェセルは部屋を出て行った。
再びリザは一人きりになった。体が震えるのは寒さのためか、これから起きる事のためか。
「……エルランド・ヴァン・キーフェル」
リザは小さく呟いた。
その名を持つ男はすぐそこにいるのだ。
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