4 灰色の結婚式 4

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 4 灰色の結婚式 4

 薄暗い拝堂(はいどう)の中、エルランドは不機嫌だった。  不機嫌の極みと言ってもいいだろう。  金緑の瞳に獰猛(どうもう)な光が点っている。  今回の南方国境戦では、自分が一番の功労者だと自負していた。彼の捨て身の攻撃で、持ち直しかかっていた敵の戦列は大いに崩れ、全軍撤退した二日後に降伏した。  おかげでその後の協定を有利に運べたし、南の国境線をはっきりと地図に示すことができたのだ。この(のち)南方国境に関しては、少なくとも数十年は安泰だろう。  その功労者の褒賞が東の捨て地と、誰にも知られていない末の王女の降嫁だという。  理由はわかりすぎるほどだった。  王は密かにエルランドを恐れている。  一人の戦士としても、指揮官としても、エルランドは王の兵士達から絶大な指示を得た。兵士だけではない。叩き上げの士官や、由緒ある軍家出身の将官からも、その人物を認められたのだ。  なのに、彼が一生懸命に鍛えて育てた三千の部隊は、その殆どを解体され、国軍に組み込まれた。そして彼の元には、わずか二百名程度の部下しか残されなかったのである。  たった二百人で広い辺境を守れというのか。  エルランドはぐっと背を伸ばした。  均整の取れた長身に、鍛え抜かれた身のこなし、野性味を帯びた端正で男らしい風貌は、凱旋(がいせん)の式典でも大いに目立ち、若い貴婦人の視線を一身に集めた。一部では騎士の位だけでなく、爵位を与えてはどうかという声も上がっている。  目ざわりな俺を追っ払おうという魂胆なんだろうよ。王女というおまけをつけて恩を売る事によって。  その手には乗らない。エルランドはそう決めている。  調べてみれば、降嫁する末の王女というのが、非常に曖昧な立場だった。何しろ王宮内でも知っている者はほとんどいないと言う有様なのだ。  情報源は主に下級の召使だった。  リザという名のその王女は、先王が晩年に身分の低い使用人に手をつけて産ませた娘らしい。  母親は身分が低いため、王宮で暮らせず離宮に追いやられた。父王の死後はほとんど世話をするものもないという。  つまりイストラーダと同じく、こちらも捨てられた王女なのだ。歳はわずかに十四歳。二十二歳の自分から見れば、子どもと言ってもいいくらいだ。  褒賞にかこつけて、要らないものを二つも押し付けようと言うのだろう。  よくせき嫌われたものだ。  つい最近まで血みどろで前線を駆け回っていた俺が、こんな茶番に引っ張り出されて見せ物になって。    エルランドは礼装の自分を嘲笑(あざわら)った。  王宮内にいくつかある儀式用の拝堂。その中でも一番規模の小さい堂で、馬鹿馬鹿しい結婚の儀が行われようとしていた。  そこは薄暗い灰色の空間で、壇上には王と数人の随身が立っている。王家の威信を示そうという言うのか、空々しいほど豪華な身なりだ。両側の壁際にはエルランドが信頼する古くからの仲間達がしかめつらしい顔で並んでいる。こちらは歴戦の勇士らしく、黒を基調とした礼服である。  花嫁が入って来るはずの扉は中庭に面している。  高いところにある窓から差し込む明るいの日差しだけが、この茶番劇、唯一の慰めだった。  ふと、王の目がエルランドの背後に向けられた。  視線を追うと、いつの間にか開かれた扉の真ん中に立つ小さな影がある。 「……」  影は入り口付近に棒のように突っ立ったまま、彫像のように動かなかった。動けなかったのかもしれない。  なぜなら、エルランドの目前の人物が、いささか投げやりに「入るがよい」と言い放った途端、びくりと肩が竦み、それからゆっくりと動き出したからである。  その歩みは実に覚束(おぼつか)ないないものだった。  部屋中の視線を集めているためか、明るい屋外から薄暗い拝堂に入ったためか。おそらくその両方だろうとエルランドは思った。  薄いベールをかけられて、その表情は見えない。しかし、足が震えているのがここからでもわかる。彼女は非常に怯えているのだ。  無理もない、とエルランドは思った。  たった十四歳の娘が、ある日突然、名も知らぬ男に嫁げと言われたら誰でもそうだろう。見れば、娘には付き添いが一人もついていない。  ようやくエルランドの手前までやってきた娘は、エルランドの胸にやっと届くくらいに背が低かった。  古めかしいごてごてした花嫁衣装は寸法があっておらず、明らかにこの娘のために(あつら)えられたものではない。おまけに白いはずの花嫁衣装なのに、どう言う訳か灰色にくすんでいるのだ。  どこの衣装箪笥(いしょうだんす)から引っ張り出してきた年代ものやら。気の毒な王女様だ。  エルランドは苦く笑った。 「リザ、よくきた。こちらがお前の嫁ぐ相手、キーフェル卿である」 「……」  得意そうな王の声に、娘の頭は小さく動いた。(うなず)いたのだろう。 「エルランド・ヴァン・キーフェル。この娘が余の末の妹、リザである。大人しく素直なよい娘だ」 「……」  エルランドも娘に倣い、黙って頭を下げた。 「これが婚姻の承認書である。我が署名の下に名を書くがよい」  すぐに随身(ずいしん)が進み出て小さな書見台の上に、立派な書紙を広げる。そこには形式的な約定が認められ、その下に凝った書体の王の署名があった。長ったらしくて読む気にもならない。  渡されたペンを手にエルランドは筆圧も高く自分の名前を書き込み、その手で娘にペンを差し出す。  娘は黙ってペンを見つめていたようだが、ベールの下から手袋に包まれた手を出すと、震える指先で自分の名を書いた。  リザ──と、それだけ。  庶子とはいえ、王女にしては簡単すぎる名前。文字は丁寧だが幼く、まるで幼い子どもの字のようだ。署名することに慣れていないのだ、とエルランドは思った。  しかし王は満足そうだった。両手に持った書紙を一同に向けて見せ、「ここに二人の婚姻を承認する!」と宣言し、参列者は厳かに礼をする。 「騎士エルランド。そなたの妻となった我が妹の顔を見てやってくれ」  そう言われてエルランドは仕方なく、初めて娘に正面から向き合った。 「……姫、ご無礼を」  手を差し伸べ、そっとベールを上げ──エルランドは喉の奥であっと声を漏らした。  見えたのは、細い顎、小さな唇。  そして驚くほど透き通った(あい)だ。それは高い窓から差し込む光を正面から受けた娘の瞳だった。  灰色にくすんだ空間で、その藍だけが鮮やかに浮き上がる。  なんと言う目の色だ。こんな瞳は見たことがない。    王家の人間は金色に近い瞳を持っているはずなのに。  エルランドはしばし、少女に見惚れた。  小さな顔に似合わない濃い化粧を施された顔からは、ほとんど表情は(うかが)えない。まっ白い顔は、まるで人形のようだ。  そしてエルランドが引き込まれた藍の瞳は、彼を素通りして背後の壁を見ている。  この瞳に自分を写してみたい。    つい最近まで戦場を生きていた男の胸に、気狂いじみた考えが浮かんだ。  薄汚れて誰にも(かえり)みられない、哀れな王女──。  ついさっきまでそう思っていたはずなのに。 「……姫?」  エルランドが思わずその名を呼んだ瞬間、人形のようだったその瞳に、確かな意思のある光が宿った。何も写していなかった瞳に突然自分が映り込む。  敵の首魁と対峙した時のように、エルランドの心臓が暴れ、汗が背中を流れた。 「……あなたがリザ姫か?」  娘は小さく頷いた。それは小さな所作ではあったが、はっきりとした首肯(しゅこう)だった。 「はい」  こうして騎士エルランドと、ミッドラーン国第五王女リザは夫婦となったのである。
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