1 灰色の結婚式 1

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 1 灰色の結婚式 1

傭兵(ようへい)エルランド・キーフェル。こたびの南の国境騒乱でのそなたの働き見事」  居並ぶ重臣、将官たちを前に、ミッドラーン国王ヴェセルの声が響く。  かん高くて耳障りな声だ、とエルランドは思った。  ミッドラーン国王都ミディアの王宮。  広い王宮内の中央に立つ宮殿は白蘭宮(びゃくらんきゅう)と呼ばれ、その名の通り優美な姿をしている。  その中央のホールで、三年に及んだ南方国境戦役功労者への褒賞式が行われていた。最初に呼ばれたのが傭兵、エルランド・キーフェルである。  彼は膝をついて顔を伏せ、王の言葉を待った。  いよいよ自分に待ち望んだ領地が与えられるのである。彼の家はかつて南の地方に領地を持っていたが、当主だった祖父が不名誉な死を遂げ、先祖代々の領地を失った。  キーフェル家は武門の家柄である。  他家に仕えることを嫌った父と共に、二代にわたって傭兵となって王家のために戦い、古くからの臣下を養ってきたが、ようやくその苦労が報われる時が来たのだ。 「南の平原での決戦では、南方民族の首魁(しゅかい)を見事討ち取った。また、その後の迅速な戦後処理により、南方領土と街道の安全は守られた。その戦功により、そなたを騎士に序列し、東の王領イストラーダ州を与える。それにより、これからはエルランド・ヴァン・キーフェルと名乗るがよい。これは国家からの恩賞である。謹んで拝受せよ。亡くなられたそなたの父上も、これで安心されることだろう」 「……ありがたき幸せにございまする」  滑らかに続く王の言葉に、エルランドは平坦に応えた。  玉座を前に、深く(ひざまず)いているので、その表情は王からは見えないが、彼の眼は少しも喜んではいなかった。  エルランドは、その光の強い緑の目を(たぎ)らせ、唇を噛みしめて怒っているのだった。  安心だと? 親父殿は墓の下でさぞ怒り狂っているだろうよ。  負け戦で死んだ爺さんの汚名を晴らすために、命をかけて戦ったのに、先祖代々の領地を返すどころか、どうでもいい土地をお情けで払い下げられるなんてな!  この国の極東の地イストラーダは、ミッドラーン建国の際に国土となって以来、ほとんど整備がされていない領地だ。  古い時代に東の民族の侵入を防ぐため建てられた砦は現存してはいるが、東の領土は広いわりに人口は希薄である。  人がなかなか踏み込めない深い森や山が多く、もともとそれが天然の国境となっていた。土地は痩せて基幹産業もない。いわば代々捨て地のような場所だったのである。  すぐ南に位置するノルトーダは資源も多い豊かな土地で、こちらには先祖代々続く領主、ナント侯爵が統治している。  イストラーダは長い間、誰も望まない土地だったのだ。  なんの利も産まぬ捨て地を俺に与え、重臣達の前で形だけでも気前のいいところを見せようと言う魂胆か。噂には聞いていたが小狡(こずる)い王様だ。  (ちまた)で小心王と呼ばれているのも(うなず)ける。  エルランドは自分の領地が欲しかった。  父の代からの傭兵暮らしで、貧しさも危険も、そして仲間を失う悲しみも、嫌というほど味わった。彼は、何十年も自分に付き従ってくれた者達のために、安定した生活を与えてやりたかったのだ。  それには領地を持つしかない。かつて祖父のものだった土地は、戦で奪われて今は他の貴族のものとなっている。  この度の戦では、武力で北上しようとする南方の一部族を押し返し、その族長を討ち取った。そして、破壊された南の砦を復旧し、その褒賞として、かつて失ったキーフェル家の領地の一部でも返還としてもらう算段だったのに。  王家は天然資源や毛織物など、豊かな利益を生み出す南方の領土を、一片もエルランドに与えようとはしなかったのである。    このしぶちんの王めが! これで俺に恩を売ったつもりか。くそでも喰ってろ!  憤懣(ふんまん)を表に出せなかったが故に、いっそう彼の怒りは深くなった。 「うむ。そなたの才覚で如何様(いかよう)にもできる土地である。良きにはからうがいい」  周囲には主だった貴族や役人が並んでいる。それでなくとも、嫌だと言える案件ではない。エルランドは苦々しくなる顔を隠すために、ますます深く体を折った。 「その上にまた」  意外にも王の言葉はまだ終わってはいなかった。エルランドが思わず顔を上げると、豪華な金髪を美しく巻き上げた細面の王と目が合った。 「これは格別の計らいなのだが……」  ヴェセルは勿体(もったい)をつけて言葉を切った。 「キーフェル家の長年の功績に報いるため、王家からの特別の感謝の証として、そなたに我が末の妹、リゼを与える」 「……は?」  エルランドの光の強い緑の目と、王の金色の目がぶつかった。 「言った通りだ。そなたに我が妹を(めと)らせる!」  王の言葉に随身たちの間に静かな驚きが広がってゆく。 「王家の姫を妻に迎えられることを、身に余る名誉と心得よ」  王は自分の言葉に酔ったように、呆然とするエルランドを見下ろした。この場の空気を支配する事を心から楽しんでいるようだ。 「……王女を我が妻に?」  エルランドの声はすっかり冷え切っている。 「そうだ。よいな? 騎士エルランド・ヴァン・キーフェル。結婚の儀はすぐにもとり行う。準備をしておくように」  ヴェセル王は晴れやかなほほえみを見せて、広いホールを見渡した。それでこれで用はすんだとばかりに、侍従に視線を流す。次の功労者が名を呼ばれるのを待っているのだ。 「……仰せのとおりに。我が……陛下」  エルランドは低く応え、それから立ち上がった。  彼の怒りに気が付いた者は誰もいなかった。
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