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第6話 予兆 一
乾いた葉擦れの音が、深く静まった山合を密かに渡っていく。
牛若丸は、淡い微睡みに揺蕩いながら、ぴくりと身を震わせた。
「いかがした?」
傍らに臥していた慧順が、低い艶のある声で、ひそ---と牛若丸の耳許に囁いた。山の僧達の中でも声明上手の慧順の声音は、いつもじんわりと胸に沁みて、牛若丸を切なくさせる。
「遮那王さまが------」
牛若丸は、慧順の胸元に顔を埋めたまま呟いた。
「お出掛けになったか------。」
慧順は逞しい腕のうちに、牛若丸の背を抱き寄せた。
遮那王は、僧侶達が寝静まったあと、山が静謐に閉ざされると、堂を出でて何処へか出掛けていく。
鞍馬の僧侶達は夜更けると坊から出でることはまず、無い。鞍馬の山は異界と繋がっており、殊に奥の院はその扉が開き、異界の者達が出入りする------とまことしやかに言われている。
年に一度、清明のウエサクの満月の時のみ、浄土と繋がり、その浄化の力をもって清浄を保っているが、平素の奥の院は、闇深く、魔界と繋がると言われている。
その境に、遮那王は座している。
そして、月明かりのもと、何かに導かれるように何処かに出掛けていくのだ。
牛若丸は、夜更けには遮那王の堂から退出して、この慧順の坊に身を置いている。
ー来てはならぬ。ー
と遮那王に強く止められている。
僧侶達にも行くな------と言われている。
一度だけ、慧順と共に、密かに遮那王の堂に近づいたことがあったが、そのおりに牛若丸が見たものは、確かにこの世ならぬものであった。
堂の蔀戸は開け放たれ、縁に座すのは身の丈の七尺はあろうという巨躯に、真っ赤な爛と光る鬼灯のような眼、銀白色の髪-----その異様な姿をした者の膝に凭れて、遮那王がうっとりと夜半の月を眺めていた。
ー太郎坊どの------ー
と、遮那王は甘い声で囁き、その胸に顔を埋めていた。
周囲には、やはり、爛々と光る瞳で辺りを伺う異形の者達。古えより、この鞍馬の山に棲まうという大天狗である-------と慧順が教えてくれた。
ー儂とて、まことにおるとは思わなんだが----ー
気付かれぬよう、急いで坊に帰った後も二人とも震えが止まらず、日が昇るまで、慧順は必死に経を詠み続けていた。
「遮那王さまは、何処へ参られているのでしょうか---。」
牛若丸は、言い知れぬ不安に身を竦ませた。
慧順は天井をじっと見詰めたまま、ぼそり---と呟いた。
「分からぬ---。が、昨今、都に鬼が出る------という噂がある。」
「鬼?」
「五条大橋に、の。武士を襲い、刀を奪って、暴れおるという噂だ。」
「刀を------ですか。」
「うむ。見た者の話では、巨体での、荒法師の姿をしていたと申しておった。」
遮那王ではない---。
牛若丸は、ほっ、と胸を撫で下ろした。ならば、何処へ行かれているのだろう---。
「内裏の中はともかく、都の洛外は荒れておるゆえ、どのような魔物や鬼が棲んでいてもおかしゅうはないが---。」
慧順の口から重い溜め息が漏れた。
「遮那王さまは、何をお考えになっておるのか---。」
深い底闇の奥深く、牛若丸と慧順は遮那王の金色の瞳が煌然と輝く様を思い、畏れた。
湿り気のある風が一陣、彼らの不安を一層、掻き立てた。
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