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6.
グラスをきれいに空けて、暫くは呆然としてしまった。
伯爵はそんなぼくの様子を満足そうにご覧になっていた。
しかし、いつまでもこうしてはいられない。取材をしなくちゃ。
ぼくはなけなしの職業意識を奮い立たせて、インタビューを始めた。
「この、素晴らしい品質を生み出すのが、伯爵の新たなビジネスモデルである訳ですが、そもそもどういうきっかけでこのお仕事を始めようと思われたのですか?」
「そう、きっかけは、十二年前に遡る。さっき、初めに木の上から飛び降りてきた女の子を覚えているかね?」
「はい、もちろん。とても印象的、いえ、衝撃的でした」
「まだ赤ん坊だったあの子との出会いは、ロンドンだった。雨がそぼ降る深夜、わたしはとある孤児院の前を通りかかったのだ。すると、一人の若い母親が、たまたま赤子を捨てるのを目撃してね。すぐにその場でいただいてしまってもよかったんだが、その時は近くの路上で娼婦を捕まえて、食事を済ませたばかりだった。それで気まぐれに連れて帰ることにしたのだ。屋敷に戻って、さて、この子をどうするかと考えた時に、ペットとして飼ってみるのも一興ではないかと思いついた」
「なるほど、人間のペットですか。それは面白い着想です」
「わたしは兼ねて、ある実験をしてみたいと思っていた。それは言語というものに関する実験だ。言語は人間の、最大の特徴と言っていいが、いつ、どうやって人間だけが言語を獲得したのかは未だ謎に包まれている。もしこの赤ん坊を、生まれた時から一切言葉を教えずに育てれば、この子はかつてのような一個の獣となるはずだね。それから何世代にもわたって飼育すれば、どこかの時点で言語が発明されるかも知れない。それをつぶさに研究すれば、この大いなる謎が解けると思ったのだよ」
「素晴らしい! まさに、われわれだからこそ可能な研究ですね」
「そうだ、永遠の生命に呪われたわれわれ吸血鬼だから出来る、気の長い話だね。まあ、そんなことでもしていないと、時間を持て余すばかりだしな。まあ、それはともかく、わたしはその子を隔離して、一切言葉を使わずに育て始めた。さらに、同じような条件で男の子も育てなければならない。つまり、子どもを産ませるためにね。それで赤子のみなしごを探して手に入れた。どうせなら、何組かいた方がいいだろうと、数も増やした。すると、連中を収容するスペースが必要になる。そこで、ちょうど売りに出ていた、このサリー州の城館を買い取ったのさ」
「そうでしたか。あの温室は?」
「この城館をリフォームする時、同時につくらせた。なるべく広々とした空間で伸び伸び育てようと思ってね。子どもたちは既に十歳前後になっていた。彼らが喜んで草原を駆け、樹上を飛び跳ねるのを見るのは、実に心温まるものだよ。だが、その内、ふと別の着想が湧いた訳だ」
「そうだったんですね。それでこの……」
「そう、人間牧場というアイデアだ」
伯爵は微笑まれた。ご自身でも、この着想に大きな自信を持たれているのがわかった。
「どうせ人間を飼うのなら、彼らの血を採ればいいではないかと思いついた訳だ。食事や運動を適正に管理すれば、健康で野生的で、この上なく美味な血がつくれるんじゃないかとね。きみだって、中性脂肪やコレステロールにまみれた、現代人の血のまずさには辟易しているだろう?」
伯爵はイタズラっぽく、ウインクなさった。
「そこでわたしの研究は、大きく方針を変えたのだよ。もはや言語の誕生はどこかへ行ってしまったがね。一番重要なのは、採血の方法だ。われわれが直に喉に牙を立てて血を吸ってしまうと、あの子たちも吸血鬼になってしまう。それではあまり何度も血を提供させられず、効率が悪い。そこで、さっききみも見た、機械で血を集める方法を開発したのだ」
「あの銀色のワゴンですね!」
「われわれはこれまでずっと、生きている人間を捕え、その血を吸うことしか知らなかった。これは経済の段階で言えば、採集狩猟経済だよ。古代人の方法だ。われわれはそんな古い経済に、21世紀のいまもなお留まっている。このままでいいはずはない。それに、人間もどんどん力をつけて、人間狩りにリスクが伴うようになったからね。かつてのわがライバル、ヴァン・ヘルシング教授どころではなく、もっとずっと強力な連中が増えてしまって、おいそれと血が手に入らなくなった」
「人工血液を開発して代替しようという動きもありますが……」
「はっ! 人工血液! わたしも試してはみたが、やはりどうにも味が落ちるね。わたしなどには到底耐え難い。粗悪品だよ、まだまだ」
「おっしゃる通りです」
「もちろん、わたしはテクノロジーを軽んじている訳ではない。例えば、いまわたしもきみも皮膚を覆っている透明なバリアー。これがあるから日の光を浴びても大丈夫になった。われわれの弱点が紫外線にあることが科学の力で解明され、それを選択的に跳ね返す技術が生まれたからだ。人工血液も、今後は飛躍的に味を改善される可能性は充分にある。だが、一足飛びに採集狩猟経済からテクノロジーに飛ぶ前に、人間を養殖するという手があったんだな。人間牧場なら、天然自然の、むしろ現代人のそれより遥かに純粋な、本物の生き血が生産できるのだ。このことに、いままで誰も気づかなったのが不思議なくらいだよ」
「優れたアイデアというものは、往々にしてそういうものです」
「そうなると、これを自分一人のものにしておくのも惜しい。なるべくたくさんの人間を飼い、たくさんの血を採取して、広く販売しようと考えた。率直に言って、わたしも長い間生きてきて、かなり財産を食いつぶしてきているしね。ここらで金融資産の運用以外に、何か利益を生み出すことを考えるべきだということもあった。お恥ずかしい話だがね」
「恥ずかしいだなんて! まさにそれこそ、現代吸血鬼共通の課題です。人間も最近は人生百年時代などと、長生きリスクにうろたえておりますが、われわれは百年どころではありません。特に、ぼくのように、ただの平民でありながら、伯爵のような方に血を捧げて吸血鬼になったものは、財産もなく、食べていくのが大変で」
「しかし、きみたちは旺盛な意欲を持っている。われわれ時代遅れの貴族とは違ってね。さまざまな起業家が登場しているし、きみだって、このビジネスモデル・ジャーナルを立ち上げた。むしろわたしなど、きみたちの後輩と言う訳さ」
「そ、そんな、恐れ多いことです」
「まあ、これが時代の趨勢というものなんだろう。もう、ゴシック・ロマンの時代ではないからね」
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