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5日目 午後
ああ、愛徳くん。申し訳ないんだが、僕をベットごと窓際に連れて行く事は出来るかな?外の景色が見たいんだ。
ありがとう。ワガママを言ってすまないね。
随分降っているね。
僕はね、雨は好きなんだよ。
僕にとって、忘れられない人との出会いを思い出すんだ。
いやいや。妻ではないよ。僕は独身だからね。
謝る事はないよ。気にしないでくれ。
…うん。そうだね。少し昔話をしようか。愛徳くん、時間はあるかな?
そうか。じゃぁそこに座りなさい。大丈夫だ。誰かに何か言われても気にしなくて良い。話を聞く事も看護師の大切な仕事だ。
僕が形成外科医になって8年目の時だった。
救急当番をしていた夜、放火による殺人事件があった。町医者の老夫婦が暮らしていた家が全焼し、老夫婦は焼死。まだ4歳だった息子は全身熱傷で僕の所に運ばれて来たんだ。
癒生(イオ)と言う珍しい名前の少年だった。
上半身の熱傷が酷く、特に顔面が最も重症だった。何とか一命を取り留めたけど、治療はかなり辛いものだった。君も看護した事があるだろう?
熱傷の基本は洗浄と軟膏処置だ。焼け爛れた皮膚をシャワーで洗わなければならない。大人でも泣く程の痛みだ。
もちろん、鎮静をかけてはいたよ。痛み止めも持続で投与していた。それでも痛いものは痛いんだね。洗浄中、処置中に痛みで意識が戻って、悲鳴を上げるんだ。泣き喚く彼を押さえ付けて、洗浄して、軟膏を塗って、包帯を巻く。汚れたらまた取り替える。拷問のような時間だったよ。
連日の洗浄、軟膏処置と、数え切れないデブリードマン手術と皮膚移植を繰り返して、彼はだんだん回復していった。
皮膚移植の時に問題になったのが、元の顔を誰も知らない事だった。写真は焼けてしまったし、老夫婦以外の身内も居なかったからね。どうする事も出来なかった。
ああ。そうだよ。僕はそのまま癒生の担当医になったんだ。でも、全く懐かなくてね。
うーん…確かに、辛い事、嫌な事を治療の為と無理矢理していたから、僕の事は好きじゃなかっただろうね。
少なからず、懐かなかった理由の1つだとは思うよ。それに、上手く喋れない事が辛かったみたいだよ。ケロイドの影響でね。自分の思いを伝えられなくて、初めはしょっちゅう癇癪を起こして泣いていたよ。
特に、初めて自分の顔を鏡で見た時の彼は酷かった。悲鳴を上げて、持っていた鏡を投げ捨てて、布団に顔を埋めて泣き叫んでいた。
まるで化け物でも見たような反応だった。
その日以来、治療はおろか、食事も受け付けなくなった。それにまるで人形のように何の反応も見せなくなったんだ。泣く事も癇癪を起こす事もなくなった。鏡を見ても、興味なさ気に目を逸らすだけ。食事を摂れない期間が長くなって、一時は点滴を投与したけど、それにも全く抵抗しなかったね。心が壊れてしまったんだろうね。4歳の彼にはあまりにも色々なショックが大きかったはずだ。
それから1ヶ月程して、彼は時折病室から出る様になった。初めはドアの外まで。次は廊下の半分まで、突き当たりまで、ナースステーションまで、その先の階段まで、と日に日に散歩をする距離は長くなった。
そう。それまでは1度も出た事はなかったんだ。何故か急に、散歩に出掛けるようになってね。
もちろん。他にも患者はいたよ。彼の顔を見てみんな驚いていたが、彼は気にしていなかった。声をかけられても無視していたしね。
とうとう、彼は病院の中庭に散歩に行くようになった。その理由を僕は後で知る事になるんだけど、今日の話はここまでにしよう。久し振りにこんなに話したから疲れてしまった。
いや。愛徳くんが謝る事はないんだ。僕が話したいんだ。また君が担当になった日に続きを聞かせるよ。
時間を取らせて悪かったね。またよろしく。僕は少し休むよ。
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