共に歩む明日を夢に見て

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共に歩む明日を夢に見て

   森の中へ逃げるために軍馬を逃がした。  森へ分け入ると木々は生い茂り、満月の光は届かない。  眼前は、静寂を抱く深い闇が続くが、コダの歩は止まらなかった。ガサガサと枯れ葉を踏み荒らしながら、コダはセイレーンを肩に担いだまま、獣道をずんずんと登っていく。  その道中で、セイレーンは目を覚ました。  目が開いているのかもわからないほどの暗い闇。しかし地面にはオレンジ色の灯りがゆらゆらと揺れる。  しばらく何が起こっているのかもわからずぼんやりしていたが、どうにもデジャブ感がある。 「え?え?」  担がれたままのセイレーンは戸惑いの声を漏らし、その声に、コダはふふっと笑った。 「え?」  聞き覚えのある笑い声。セイレーンの黄金色の瞳は大きく見開かれた。 「え?え!?・・・コダさん!?」  セイレーンは慌てすぎて、無理に起き上がろうとコダの背に手を当てた。するとバランスが崩れ、足が意図せずコダの腹を蹴ってしまった。 「え、わっ!ごめんなさい!」  困惑しすぎてセイレーンはコダに担がれたまま大暴れする。  コダは含み笑いに肩を揺らしながら、そっとセイレーンを下ろした。  そしてコダは腰のカンテラを外すと、セイレーンに手渡した。そのままセイレーンを覗き込む。 「大丈夫か?」 「え?あ、はい。・・・あ、すみません。何度もお腹蹴ってしまって、」  暗がりでもわかるほどに真っ赤になったセイレーンを見るコダの目が優しい。  コダは穏やかに微笑み、そのごつごつとした手を差し出した。 「行くぞ。追手がこっちにも来るかもしれねぇ。」  セイレーンはおずおずと白い手を出して、しかしすぐさま引っ込める。その手をコダは強引に掴むと、 「行くぞ」  そのまま無理矢理引っ張って行った。      ・・・  コダに手を引かれ、逃げているはずなのに、セイレーンの心は暖かい想いに満たされていた。  コダの手はごつごつとして固く、だが嬉しくてたまらない。  涙がいくつも溢れた。  この瞬間に死ねたらいいのになと、心の底から願った。  しかし、そんなことが許されないことも、セイレーンにはわかっていた。 「コダさん、」  どれくらい歩いた頃か。  セイレーンは少し弾んだ息の隙間から、コダを呼んだ。 「なんだ。」  コダは歩を止めずに背を向けたまま応える。 「やっぱり、私は行けません。」  そしてセイレーンはコダの手をそっと引き剥がし、歩を止めた。 「・・・何を言っている。」  振り返ったコダは、カンテラを片手に俯くセイレーンを見て、眉間に深いシワを刻んだ。 「なぜだ。」 「やっぱり、私はこのまま生きていてはいけないと思います。少し、わかったんです。あの黒い翼の人を助けようとした女性を見てて、私の中にいるプルウィウス様の怒り?みたいなのが、ぐるぐるぐるぐるずっと渦を巻いてて、それで、」 「・・・いい、話すな。」 「あの人たちの邪魔をしてはいけないんです。でも、私の中にはずっと怖い言葉が谺してて、『死ねばいい』『死ねばいい』って、呪っているんです。」 「もういい!」  コダの怒号にセイレーンはビクンと怯えて顔を上げた。顔を上げて、コダを見て、刹那セイレーンは溢れる涙を止めることができなかった。  コダは、ひどく泣きそうな顔をしていた。  しかし、 「俺は、お前を拐うと約束した。」  顔とは裏腹に、芯を持った強い声音でコダは言う。 「それは今も変わらん。行くぞ。そのうちにお前の中の呪いを取り除く方法を探そう。」  セイレーンは口を抑え、必死で嗚咽を堪えた。    「お前がプルウィウスだとしても、プルウィウスが呪いに飲まれることでお前にどんな影響を与えても、俺はそれも含めてお前を拐う。」    これを幸せというのだろうかと、暖かい涙が止まらなかった。セイレーンはその場に泣き崩れた。両手で顔を覆い、小さな肩を揺らす。 「さあ、行くぞ。」  そんなセイレーンに、コダは再びその手を伸ばした。しかし、コダの手を取ったのは、セイレーンではなかった。 『呪いを解く方法など、ありはしません。』  とても静かで、しかし同時にとても痛々しいほど小さな声だった。それでも握った手は熱い。 「・・・プルウィウス、」 『死ななければいけないのは、一度死んでしまった私だと言うことは、重々わかっていました。ニグレドが私を拒否するずっと前から。・・・だから、』  プルウィウスは言い淀み、俯いたが、刹那顔を上げて、凛とした黄金色の光を潤ませた。 『何度も、人間に堕ちてこの身体をこの子に返したかったのに、人間になることなど叶わず、ただ、穢れていくばかりで、私は、・・・私は、』 「もういい。わかった。お前の願いも。」  そしてコダはゆっくりとプルウィウスを抱き寄せた。プルウィウスはコダの腕の中でたださめざめと泣いていた。セイレーンとは違う。だがセイレーンと同じ熱い涙で胸が濡れる。  コダは静かにプルウィウスの顎に手を添え、上向かせるとその小さな唇に自身のそれを重ねた。  プルウィウスは驚き目を見開いたが、やがて甘い痺れに何度も涙を流しながら、緩やかに瞳を閉じた。 「コダさん、・・・あの、」    唇を離すと、セイレーンに戻っていた。  セイレーンは顔を赤らめてはいたが、黄金色の瞳はプルウィウスを思わせる凛とした輝きを保ったまま、二の句を継ぐことを躊躇っていた。  察したコダは穏やかに笑う。 「お前を抱かせてくれ、セイレーン。お前を、お前たちを、愛したいんだ。」 「・・・っ」  セイレーンは驚き目を丸くしたが、途端に黄金色の瞳が溶けるほどの涙を流し、震えるように頷いた。      ・・・  傍に置いたカンテラに照らされたセイレーンの裸体は美しい。  背に手を回せば、小さな羽根に触れる。この色は、とても美麗な七色に輝く。陽の光の元で見なくてもわかった。  セイレーンは小さく怯えていた。その背を何度も撫でながら、もう片方の手で小さな胸に触れる。それだけで、セイレーンの身体はビクンと震えた。 「セイレーン、いいんだな?」 「・・・はい。」  セイレーンの小さな手が、恐る恐るコダの背に回る。  コダは一つ息を吐き捨てると、少し強引にセイレーンの顎を掴み、唇を奪った。熱い舌を絡ませる。応えるセイレーンの甘い舌を軽く噛むと、再びセイレーンは身体を震わせた。  コダは抑止が利かなくなり、セイレーンの腰に手を当て強く引き寄せた。      ・・・  セイレーンの芯を穿つ度に、七色の光が舞い踊る。  七色の羽根は一枚ずつ剥がれ落ちては消えていった。辛うじて保てる理性の欠片がそれを見送る。 『・・・』  何度も人間と肌を合わせ、穢れながらも人間に堕ちることを願ったプルウィウスは、ただ歓喜の涙に暮れていた。  そして最後の一枚の羽根がセイレーンの背から抜け落ちる一瞬、プルウィウスに入れ替わった。  それがプルウィウスだとわかっていたから、コダは唇を合わせた。 『・・・』  プルウィウスは何も言わず、静かに穏やかな笑みをたたえ、ゆっくりとセイレーンから離れていった。      ・・・  微睡むセイレーンに服を掛け、自分の服に袖を通し終えると、コダは夜営の準備を始めた。  薪を燃やし、暖をとる。  すると不意に、煌々と揺れる炎を見るでもなく見ていたセイレーンのお腹がグゥと鳴った。 「え?」  セイレーンは驚いたように飛び起き、お腹を押さえて頬を赤らめる。 「え?今の音は何ですか?」  コダも黒い目を丸くしたが、次第に見る見る破顔した。 「そりゃ、腹が減ってんだよ。」  そして可笑しそうに笑う。笑いながら、コダは自身の手で目を覆い、肩を揺らした。 「そんなに笑わなくてもいいじゃないですか。」  少し拗ねた声音のセイレーンは、急いで服を着ているらしく、衣擦れの音がする。 「・・・」  その全てが愛おしい。  これが人を愛するということなのだろうと、コダは目を覆ったまま、しばらく動けなかった。  オレンジ色の炎が揺れる。   「大丈夫ですか、コダさん、」  うずくまる大きなコダの肩に手を置くと、コダは震えていた。  驚き、手を離そうとするセイレーンの腕を掴み、コダは自身の胸に抱く。そして回した腕に力を込めた。  その時初めて、セイレーンはコダの震えの意味を知った。  セイレーンは愛おしそうに微笑み、コダの肩に顔を埋めた。  東の空が白み始めていた。  森の木々の隙間からその空を見上げ、今日は晴れるといいなと、セイレーンは笑った。  そうだなと、コダも笑う。  森を抜けると見知らぬ道が続く。  二人は強く手を握り、一歩一歩着実に前へと向かって歩き続けた。               ~了~
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