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プルウィウス
あれは本当に人間なのかと、第二大隊情報部隊所属のウィリデ少佐は部下のサンディークス少尉に問った。
「たぶん人間でしょう。少なくとも、有翼人と人間とのハーフではないですよ。」
サンディークスは、ウィリデから渡された双眼鏡で戦地を眺めながら、赤い髪をバリバリ掻いた。
「あー、でもちょっと常軌を逸してますね。あんなにデカイ図体で、しかもあんなに細い剣で、よくあれだけ有翼人亜種の首を落とせますねぇ。動きに無駄が多いけど。」
そして発達した犬歯を覗かせて、サンディークスは赤い瞳をニヤリと歪めた。
「あの人、うちの隊に欲しいなぁ」
独りごちたサンディークスに、ウィリデは銀縁の眼鏡を光らせ鼻で笑う。
「アホ言うな。これ以上化け物を抱えてたまるか」「優秀な人材ってのは往々にして個性が強いもんですよ。たぶん」
「自分で優秀だと宣うやつが他人にとっても優秀であった試しはない」
冷笑を漏らし、ウィリデは深い緑色の瞳でサンディークスを見下した。ですよね、とサンディークスは自嘲気味に笑う。
食えない部下にウィリデは軽く嘆息し、再び視線を戦場に投げた。
その視線の先には、数多の有翼人亜種の襲撃を阻止しようと奮闘する豆粒ほどの傭兵たちが蠢いていた。
「ともかく、カエルラの奴が過剰に心配しやがるから、警戒だけはしておけよ。これ以上、あの黒髪が『プルウィウス』に接触しないようにな。」
「え?でもあいつの接触してるのって『デーフォルミス』の方ですよね?」
「『デーフォルミス』も『プルウィウス』も人格が二つあるだけで肉体は一つだろうが。ならどっちの人格の時に接触しようがようは同じだ。」
「まあ、そうですけど。でも何で駄目なんですか?メトゥスは接触OKなのに。」
「利用価値の問題だ。政府高官のメトゥスは懐柔するに値するが、あの傭兵は害にしかならん。そもそもあの傀儡はあくまで『プルウィウス』だ。もう一つの人格なんぞに意思なんかいらねぇよ。そもそも人格がいらねえ。」
ウィルデは素をちらつかせて事も無げに言いきる。
サンディークスは少し視線を宙に泳がした後に、そうですね、と含んだように口角をもたげた。見逃さなかったウィルデが先の尖った革靴でサンディークスの尻を蹴った。
「くだらんことを企むんじゃねえぞ。これは忠告ではない、命令だ。」
サンディークスは肩を竦めて「了解しました」と不服そうに返事をした。
・・・
ここ数日、帰りの乗り合い馬車の中から、コダは外を見ることをやめていた。手すりに掴まったまま、じっと固く目を閉じる。
しかし、その日は何故か馬車が悪路に填まってガタンと大きく傾き、コダは不意にその黒い瞳を開いた。
一体何の導きなのか。
目を開いた一瞬で、コダは遠くかすかに、見覚えのある金色の髪を見つけてしまった。
「・・・くそ」
通りすぎる景色の中で、ほうきで店の表を掃いていた女は、いつかのような薄汚れた身形をしていた。そしてどんどん遠ざかる。
コダはこの偶然に小さく悪態つき、そして、
「馬車を止めてくれ!」
気がつけば、思いの外大きな声で叫んでいた。
車内の傭兵たちの視線が刺さる。だが意に介することなく、コダは止まるのを待たずして馬車から飛び降りた。そしてそのまま走り出した。
・・・
「・・・あ、」
薄汚れた女は、遠くより駆けてくる黒い男に一瞬ぎょっとしたが、次の瞬間には小さな胸をぎゅっと押さえた。
それは見知った男だった。そしてもう一度会えればと、仄かに望んでいた男でもあった。
その男が目の前で止まり、荒い息を整えるように膝に手をおいて肩を揺らす。ボサボサの黒い髪が目の前にあり、女は無意識のまま白い手を伸ばした。
そしてそっとその髪に触れた。
「・・・!」
驚き、顔を上げたコダの眼前で女は慌てて手をひっこめる。
「あ、すみません、勝手に触ってしまって、」
「いや、かまわん。ただ戦地帰りで汚れてる。お前の手が汚れたんじゃねぇのか?」
「え?あ、でも、私の手は、いつも汚れてますから」
女は戸惑いつつも柔らかく笑った。
膝から手を離したコダもつられてぎこちなく笑う。
そして沈黙が流れた。
「あ!あ、あの、今日もお食事に来てくださったんですか?どうぞ!中にご案内しますね!」
不意に自分の仕事を思い出したのか、少し慌てた様子で接客を始めた女に、コダは思わず吹き出した。
「いや。少し、お前と話がしたかったんだ。今日も相手をしてもらえねぇか?」
コダは薄く微笑んだまま、一切の蟠りを捨て去って、自然と女に問っていた。
女は途端に顔を赤らめ、髪を手で整えながら、なぜか一旦周りをキョロキョロ見回したのち、勢いよく頭を下げた。
「あ、ありがとうございます!すごく、嬉しいです。」
そして顔をあげた時、女の黄金色の瞳は少し充血していて確かに涙で潤んでいた。
・・・
求められることなど、望んだこともない。
自分はただの『器』だから。
ただ、それでも、あの人は自分を見つけてくれた。
もう一度話がしたいと言ってくれた。
だから、
「お願いします。お願いします。今日だけ、今だけ、『私』でいさせてください。」
コダへの料理を運びながら、女は何度も何度も小さな声で祈り続けた。
目を閉じることさえ怖かった。
目を閉じて開いたときには、自分はまた記憶をなくしているかもしれない。
「お願いします。『プルウィウス様』」
女は初めてその名を口にした。
初めて口にして、そして初めて疑問に思った。
配膳していた足が止まる。
「・・・プルウィウス、様?」
女は、その『プルウィウス』が何者なのか知らなかった。
しかし、脳裏にしっかりと刻まれていたのは、『プルウィウス』には逆らってはいけないという事実。
女にとっては『プルウィウス』は神であり親であり、絶対的な権力者。
『プルウィウス』のために自分は存在していることも、何となく知っている。
だが、それがいったい誰なのかは、女はまるでわかっていなかったのだ。
それでも、
「お願いします、お願いします、どうか今日だけは私で居させてください。」
願うための祈りの言葉を繰り返し紡ぐ。
何者かわからない『プルウィウス』に、女は何度も何度も願い続けた。
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