雨に濡れた女

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雨に濡れた女

 日暮れ時。  降りしきる雨の中、みすぼらしく濡れそぼった小柄な女を馬車の窓から見かけたのは、この国で「害獣」認定されている有翼人亜種討伐を終えた帰り道。  首都から外れた寂れた町の一角で、傭兵を集団移送する乗り合い馬車が通りすぎる一瞬の出来事だった。 (・・・あれは、)  コダは、どんどん小さくなっていく窓の外の女が見えなくなるまで、その黒い瞳でずっと追っていた。  身長が190cmあって体躯もよく、ボサボサの黒髪のコダは、大国コロル領にあっても珍しい風貌であった。そのため、乗り合い馬車の中においても肩身は狭く、座席に座ることさえできない。馬車のてっぺんに頭が付かないよう少し屈んで手すりに掴まっていた。  やがて女が完全に見えなくなると、コダは御者に向けて比較的大きめの声で声をかけた。 「すまんが、ここで降ろしてくれ」  御者は一瞬振り返ったが、忌々しそうに舌打ち、わりと走らせた後にようやく馬の手綱を引いた。 「今度から決められた所で降りろよ」  御者が苦々しく言うのを頭を下げることで応え、コダは馬車を降りた。  だがコダに続いて数名の傭兵もここで下車していく。  御者はますます機嫌を悪くしながら手綱を弾き、馬車は水しぶきを上げて、少々乱暴に走り去っていった。  去っていく馬車に一瞥くれることもなく、コダは歩き始める。  しばらく馬車に走られたおかげで、わりと歩いて戻らないといけない。  それでもコダは、全財産の入った大きめの鞄を肩にかけ、マントのフードを深く被り、雨の中、来た道を戻っていく。  パシャリパシャリと濡れた足音のみが響く静かな片田舎の町にあっても、ここは異様な匂いが漂っていた。 (ここは、女郎の宿場町か、)  静寂の中、独特な艶が漂い、それが匂いとなって町全体を覆っている。コダはすぐさま下車したことを悔いたが、後の祭りだと嘆息し、雨の降りしきる中を大股で歩いた。 (・・・いた。)  雨は一段と強く降る。  だがその女は未だに軒下に立ち尽くし、髪の色も服の色も、本来何色だったのかわからないほどに濡れていた。  コダは迷うことなくその女の立っている女郎屋の、開け放たれた門をくぐった。 「あらいらっしゃい。」  女郎屋の女将らしき小太りの中年女が、張り付いたような笑顔でコダを出迎える。その女将は、上等な深紅のベルベットのガウンを羽織っていた。コダの眉根が寄った。 「お食事かい?宿泊かい?」  女将は気だるそうにコダの全身を舐めるように見ながら言う。見定められているのは一目瞭然だった。 「あぁ、あんたは『お食事』だね」  そしてコダは「野暮」だと判断されたらしく、女将の態度は途端にぞんざいとなった。  そんなことは重々承知しているコダは意に介する素振りも見せず、外の女を指差し、 「あの娘はどうしてあそこに立っているんだ?」  聞きたいことを単刀直入に聞いた。  「野暮」な男の野暮な質問に、侮辱されたととったのか、女将は顔を赤らめ声を荒らげた。 「あんたには関係のない話だ。客じゃないなら出ていきな!」  女将の動きと共にベルベットのガウンが激しく揺れる。門の中と外の対比のように、そのガウンは仄かな光をも拾って高級感を漂わせた。  コダは息を一つ吐いた。 「金ならある」  女将の感情に無頓着なコダは、ポケットからなけなしの銀貨を取り出し、女将に見せつける。  女将は小馬鹿にしように鼻で笑った。 「これっぽっちで客面するとは恐れ入るね。こんな端金じゃ、あんたの相手ができるのは、あの馬鹿娘ぐらいしかいないねぇ」 「構わねぇよ。」  意に介さずコダは女将に銀貨を手渡す。  女将が口を歪ませ苦々しく奥へ声をかけると、奥の方から背の丸まった若衆が現れた。その男に案内され、コダはこの店で一番粗末な部屋へと通された。 「旦那様、初回は遊女に手出しなさりませぬよう、くれぐれもよろしくお願いいたします。」  部屋に入るなり、若衆に念を押され、コダは苦笑が漏れる。 「そこまで女旱してねぇよ。」 「それならよいのですが。」  若衆の含みを帯びた言い方に、コダは訝しげに目を細めた。 「何が言いたいんだ。」 「いえね、そうですね。・・・まず最初に申し上げておきますがね、旦那様。あの娘は普通のおなごではございません。」  若衆はきっぱり言いきった後、声を潜めて尚も言う。 「・・・あの娘は、化け物にございます。」  若衆の言葉にコダは、その黒い瞳を丸くした。 「は?なんだって?」  理解できずに聞き返す。 「あの娘は、有翼人の作りしただの傀儡。ホムンクルスでございます。人間ではございません。」 「『有翼人が作った』って?・・・ならあの娘は、有翼人亜種か?」 「はい。」  一概には信じられない話に、コダは言葉を失った。  傭兵であるコダの仕事は、このコロルという大国において、突然現れては人間を襲撃する「有翼人」とその使い魔「有翼人亜種」を駆逐することにあった。  ゆえに有翼人亜種など、嫌と言うほどほぼ毎日見ている生物だったのだ。 「いや、しかし、」  だがそもそも有翼人亜種が、人と変わらない風貌で存在することに驚きを隠せなかった。  コダが今日まさに駆逐してきた有翼人亜種どもは、生き物としては不完全な様態をしており、知能もなく、感情もなく、痛覚もない。ただ人間を噛み殺すことしかできない愚鈍な生き物だと、今の今まで思ってきた。  それでも、この若衆はあの女も『有翼人亜種』だと言う。 「意味がわからん」  訝るコダは目を細めて若衆を見遣る。  若衆は、理解しようとしないコダを少々見下し笑った。 「お認めになられないとしても、しかしこれは事実にございます。」 「・・・」 「お客様の中には、人外を好む奇特な方もありますゆえ、くれぐれも、手出しなさりませぬよう、重ねてお願いいたしますよ。」  小柄な男はニヤリと薄気味悪く微笑み、部屋の扉を強めにピシャリと閉めていった。  コダは吐き気に近い嫌悪感を覚え、安くて不味い酒を一気に煽った。      ・・・  降りしきる雨の中、小さなコダは泣いていた。  小さな手のひらに乗せられたのは一切れのパン。  「決して追いかけてきてはいけないよ」と、母親とおぼしき女に念を押され、そしてその場に置いていかれた。  小さなコダは泣くことしかできなかった。  小さな手に収まるパンは雨に濡れて、少し齧るととても不味かった。 「くそ、嫌なことを思い出しちまった。」  忘れたいほど嫌な思い出が頭を過るのは警告だ。  関わらない方がいいに決まっている。  それでもコダは、その黒い瞳で、若衆によって閉じられた扉をじっと見据えた。
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