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家に着いたのはまだ夕日が沈んでいない頃。珍しく早く帰れた俺は1人分の夕飯を調理する。
しばらくして、家のインターホンが鳴った。丁度夕飯が出来たので皿に盛り付けてから玄関へ向かう。
「はい、咲間です」
「初めまして、今日隣に引っ越して来ました」
男は深く頭を下げた。そして顔をあげると、そこにはどこか見覚えのある顔があった。
「俺の顔に、何かついてますか…?」
「いや…えっと……」
頭をフル回転させる。なんだっけ、なんだっけな。
「皇逸喜です」
男の方から名乗った。男は少しほころんだ表情をしていた。そう、あの昼間に同僚から見せてもらったあの皇逸喜、テレビに出ている皇逸喜、駅の広告にもいた皇逸喜、その皇逸喜が、なんで俺の前に……
「隣に引っ越してきたのか?」
「はい、なのでご挨拶を」
かの有名なアイドルが今俺の目の前にいて、俺の隣に越してきたらしい。信じらんねぇよ。
「えっと…初めまして、俺は咲間(さくま)千晃(ちあき)です」
現実感が全くわかない俺は、しどろもどろに話をした。
「千晃さんは一人暮らしですか?」
「え、まぁ…君は?高校生なんでしょ?」
そう言うと皇逸喜は驚いたように目を開いたが、すぐに先程の笑顔に戻った。
「はい。諸事情あって一人暮らしです」
売れっ子アイドルは大変だなと彼の顔を見ながら思う。彼の顔を見ていると、彼の後ろにあるダンボールの山が目に入った。
「あれは?」
「1人なもので全然作業が進まなくて…」
もう夕方だと言うのにダンボールは山積みになっている。日が暮れたら作業は大変だろうなと思った俺はつい言葉を発した。
「俺で良ければ、手伝おうか?」
「へ?」
言った後に後悔した。俺はなんてことを言ってしまったんだ。案の定彼の顔も固まっている。
「……い、いいんですか?」
「まぁ…手空いてるし」
高校生にこんな大荷物1人で片付けさせるなんて鬼畜かよ業者……これはもう手伝うしかないな。
「ありがとうございます、千晃さん」
「お、おう」
ただでさえ千晃さんなんて呼ばれたことないのに、こんなイケメンに千晃さんなんて呼ばれるなんてな。
「それはリビングにお願いします」
ダンボールを持ちながら一緒に彼の家へと入る。リビングにはまだ何もなく、ダンボールだけが置いてあった。
その作業を何度も繰り返し、やっと外にあるダンボールは全部中へと運べた。運び終わると、皇逸喜は俺に茶を出すとキッチンへ行ってしまった。
それにしても、この多すぎる荷物はなんなんだろう。彼は今テレビに引っ張りだこで家にいる時間も少ないだろうに。
「皇逸喜だっけ、この荷物も部屋に片すの手伝おうか?大変じゃないか?」
「えっ……じゃあ、お願いしてもいいですか?」
茶を持った皇逸喜は俺の向かい側に座る。俺が茶を飲んでいるのをじっと見ている。
「あんま見られんのなれてないんだけど」
「え、あ、ごめんなさい、つい」
ついってなんだよ……。茶を飲み干してそう言うと皇逸喜はあわてたように目を離した。
「あの、写真撮ってもいいですか?」
「は?」
「すみませんなんでもないです…」
あたふたする皇逸喜は実に新鮮だった。こんな皇逸喜、テレビでも見たことがない。
「俺なんかより、君の方が写真を撮るにはピッタリだよ」
「え、はい…そうですかね…」
俺は言うことを間違えたらしい、皇逸喜は苦笑していた。なんとなく俺は察してしまった。
何度も、こう言われてきたんだろうな。
「撮りたいのか?」
「え?」
「写真、撮りたいのか?」
ポカンとしていた皇逸喜だったが、言い直すと皇逸喜は嬉しそうににやけ出す。
「はい!」
初めて年相応な笑顔を見た俺はなんとなく嬉しくなったのを覚えている。
「じゃあ、1枚だけなら」
そう言うと皇逸喜は部屋からカメラを撮ってくると言って去っていった。
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