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地獄の釜の蓋
「怖いのかよ、まさか」
「こ?」
怖いっていうか、びっくりした。そりゃびっくりするだろ、だっておまえ尻尾があるじゃんっ。
「怖いわけあるかよ、ばっかじゃねえ」
「バカとはなんだよ」
俺のハリボテの虚勢の言葉を聞いて、急に自称美少女の瞳孔が小さくなって口が耳まで裂けていく。おまけに頭に三角の耳が生えてきた。
「ぎゃあああ」
「バカだと言ったよなあっ」
鮮やかなカウンターパンチが決まり、俺は吹っ飛んだ。殴られたのなんて人生初で、別に嬉しくなんかない。ああ、一人になるんじゃなかったよ、やっぱり。
おかしいことに化け物が本物であると俺はあっさりと認めていた。それになぜか暗闇ほど怖くない。
「いっ痛っ、おまえ化け猫……なの?」
「ボケ」
「え? 違うの?」
自称美少女はだんっと足を踏み鳴らして俺を睨むと一気に話し出す。
「俺サマは猫又だ。そんじょそこらの化け猫と一緒にするんじゃないっ」
どうだと言う顔で猫又は俺を見るが、そんじょそこらの化け猫と猫又の格の違いなんて分からん。知ってたら変だろ、逆に。
「あのさ、どう違うの?」
ここは素直に俺は仁王立ちしている猫又に尋ねた。しゃあないなあと言いながら猫又は大胆に自分のスカートをめくった。そして何かを手前に持ってくる。そして、ほれと言いながら両手で一本づつ持った。
ゆらゆらと意志があるみたいに握られた先が揺れている尻尾が確かに二本。
「尻尾が二本……?」
「そういうこと。これで分かったろ」
自慢げに両手で持った尻尾を振る猫又を前に「何で尻尾が二本ならすごいのかが分らん」という根本的な質問をできないでいた。
とりあえず、すごいのだ。それでいいか。こいつ狂暴だし、化け物だし。格好いいよ、それ。じゃあ、俺は忙しいのでこれで……。
この作戦はどうだ。いやこれしかない。
「すごいな、格好良いよ、うん。じゃあ俺、忙しいから先行くね」
そうだ、こんなとこで足止めされてる場合じゃない。起き上った俺に猫又が聞く。
「おい、おまえあの左の祠に行くつもりなんだろ?」
「え? ああそうだけど」
だってナスビ取りに行かなきゃ。すると肩を猫又の手が引き戻す。
「今日行くなら絶対俺サマを連れて行け」
なんでだよ、冗談じゃないと手を振り払おうとするが猫又の手はがっしりと肩に食い込んで離れない。
「放せよっ」
「おまえ、死ぬぞ」
肩越しに耳元で囁かれた言葉に俺は即死――はしなかったが、心臓が止まるくらいびっくりしたのは本当だ。
死ぬって? ナスビ取りに行くだけでなんで死ななきゃならないんだよ。
「今晩はおまえどんな日か知ってるのか?」
猫又が手を腰にやってこっちを窺う。
「お盆っていやあ、仏様が帰ってくるんだろ?」
猫又がばしっと小気味の良い音をさせたが、その音源は俺の頭だ。俺の頭はさっきから木魚みたいにこいつに叩かれている。今まで覚えてた英語の単語が頭から出て行ったのは絶対このせいだ。
「これだから最近のガキは」
どこのおっさんの言葉だよと思うような呟きを漏らして猫又が天を仰ぐ。
「もう釜蓋朔日は過ぎてる。とっくに地獄の釜の蓋は開いておまえの先祖さまはお前ん家に帰って来てるんだよ、この不孝行者がっ」
「オカマで豚でイタチって何?」
ああ言わなきゃ良かったと瞬時に分かることがある。それが今だってもう猫又の顔を見ただけで分かった。じりと猫又が踏み出す。同じだけ俺が後ろに後退する。
「……い、今のは冗談だからっ。おカマなんとかってなんでしょうか?」
今のは丁寧語になってる? とりあえず「お」か「ご」を頭につけて、ですます言っとけばいいんじゃなかったっけ? まさか自分があれだけ言葉づかい荒いんだから俺の言葉づかいにこだわらないよな。
そう心配しながら俺は猫又の目……は怖いので口元付近を見る。
「このあんぽんたんっ」
一喝されたが、意味が分らないのでこれは怖くない。
「地獄の釜の蓋って意味の釜蓋、盆が始まるのは本来は一日からだ。その朔日で釜蓋朔日というんだ」
ここまではついて来てるんだろうなとさっそく先生気どりの猫又が俺を見る。
「今日は先祖が帰る日だ。釜の蓋が閉まる日なんだぞ。ここらで蓋が空いてるのは今年はあの祠なんだ。ただの人間がひょこひょこそこに行ってみろ。巻き込まれておまえも一緒にあの世行きだ」
俺は知らないこととはいえ、命をかけた肝試しをしていたことになる。
「止める、止めるよ。教えてくれてサンキュー。俺家に帰るわ」
ナスビ一本と命を秤にかけられるかっていうんだ。踵を返した俺に「待てよ」と厳しい声が俺の足を止めた。
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