一、少女A

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女はただ一点を見つめていた。表情も固く、壁にもたれ掛かったまま微動だにしない。 女の視界を遮るかのように、大瀬が腰を降ろして声をかけた。 「こんにちは、わかりますか?」 女は、一向に反応しない。 「私は、香原署の大瀬といいます、あなたのお名前を、教えてくれますか?」 徳利が吐き出すように溜息をついた。 「尋問なら交番でもやっただろ、何も答えなかったのか?」 「はい、合地巡査が保護した後に自分が質疑をしました。しかし、何も反応はありませんでした」 すみません、という声が突然割り込み、三人は姿勢を正した。 「外科の沢井です、彼女の診察をしました」 「香原署の徳利です。こっちは大瀬巡査」 大瀬は小さく会釈をした。 「彼女の様態はどうですか?」 「特に、外傷はありませんでした。怪我はしていません」 「え、じゃあ、あの血は?」 「彼女のものではありません」 「じゃあ、誰の血?」 「いや、そこまでは・・・そもそも人間かどうかもわかりませんよ、それは警察の方で調べて頂きたいんですがね」 「あ、失礼しました」 大瀬が小さくお辞儀をする。 「彼女、うちで引き取っていいですか?」 大瀬とは対照的に、徳利がぶしつけに沢井に聞いた。 「大丈夫ですよ、血圧も心音も問題ありませんでしたから、後は・・・」 「心の部分、ですか」 沢井は、椅子に座っていた女から少し距離を置いた。徳利と大瀬もまた、沢井の後を追うように詰め寄った。 「そういうことです、一応問診はしたのですが、返事はおろか、反応がありません」 「反応、ですか」 「ええ、声の応答もないですし、表情も一切変えない、恐らく、発見されるまでの間、大きなショックを受ける出来事があったのではないかと・・・」 「そうか、あの、精神科の先生はなんと・・・」 沢井は、目を大きく見開いた。 「精神科、特に要請は受けてませんけど・・・」 その言葉を聞いて、大瀬の表情が変わった。 「うちの山田からお願いしていませんか?」 「いえ、何も・・・外傷だけ診察してくれと頼まれただけで・・・」 「はあ・・・山田巡査」 大瀬は大きく溜息をついて山田に歩み寄った。 入れ替わるように、徳利が沢井の横についた。 「あの、彼女・・・暴行の跡とかは」 「一応、検査はしました、痕跡はありません、大丈夫でしたよ」 「そうですか、後はうちで調べるので、引き渡しお願いします」 「じゃあ、受付の方で書類を書いてください、後、着ていた衣類があるので、それもお渡ししますね」 沢井が会釈をして立ち去った後、徳利は大瀬のもとに歩み寄った。 大瀬の目の前には直立した山田が、大瀬の叱責を受けていた。 「どういうこと?彼女の様子見たらわかるでしょ?なんで要請しなかったの?」 「はい、とにかく、怪我をしている可能性があったので、とにかく先生に見てもらおうと思って・・・」 「何度も同じ言葉を言わない」 「はい、すみません」 「彼女が診察受けてる間に要請したらいいでしょ?診察中何してたの?」 「はいあの、署に連絡を・・・」 「連絡はすぐ済むでしょ?」 「はい、すみません・・・」 「どうしたんだよ」 「いえ、ちょっと段取りが悪かったので、山田さんを指導しただけです」 「連れて行くぞ、山田巡査、彼女頼む」 「はい・・・さあ立って」 女は、山田に腕を引っ張られるように立ち上がった。それはまるで操り人形が動き始めるような様子であった。その様子に、大瀬も思わず反対に周り、二人で女の両腕を支えた。 「徳利さん」 途切れそうな声で、大瀬が呼びかける。 「どうした?」 「この子、何て呼びます?」 「そうだな、Aさんでいいんじゃないか?」 「Aさん?」 大瀬が思わず噴き出した。 「そうだ、少女Aだ」
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