一、少女A

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佐取交番は畑と住宅地の間のような所にある。 道路を境目に、交番側は家々が並び、反対側は田園風景が霞むほど広がる。 昼間は滅多に聞くことのない車の音が佐取交番の前で止まった。 交番の中からいち早く合地巡査が飛び出してきた。 「お疲れ様です、大瀬先輩」 はつらつとした声で挨拶をすると、合地は運転席のドアを開けた。 「お疲れ様、ありがとう合地君」 大瀬はゆっくりと車から降りると、交番を見つめながら大きく深呼吸した。 「合地さん、班長は?」 「奥で報告書を書いてるよ」 大瀬の心情を察して、少し意地悪のつもりで山田が合地に声をかけた。 「失礼します」 大瀬が一声かけた後に交番に入ると、奥から田所が姿を表した。 「おお、久しぶりだな、大瀬」 「ご無沙汰してます、田所班長」 大瀬にとって約一年ぶりに再会した田所は、白髪も目立つようになり、少し瘦せたように見える。 「どうだ、調子の方は、徳利も元気か?」 「はい、徳利さんも元気です、おかげさまで」 「同じ署に勤務しているが、案外会わないもんだな、元気そうで何よりだ」 「はい、防犯課の花井課長にもよくしてもらってます」 「そうか・・・ところで、例の身元不明の子はどうだ?」 「はい、特に外傷はありませんでしたが、何も話してくれませんね、今頃、カウンセリングを受けてるはずです」 「無事に、親元に戻れればいいがな・・・合地が連れてきた時も、何も話さなかったんだよ」 「そうですか・・・じゃあ私、勤務に戻ります」 「おい、久ぶりなんだからお茶でも飲んでけよ」 「そうしたいんですけど、花井課長にもすぐに戻ると言ったので・・・それに早く彼女の身元も調べたいですし・・・」 「うん、実直でよろしい、また遊びに来なさい」 「はい、失礼します」 大瀬は姿勢を正し、田所に対し敬礼をした。 「それじゃ、山田さん、合地君、また」 「お疲れ様です」 大瀬は二人の敬礼を受けた後、足早に車に乗り込む。 車のエンジン音が合図のように、山田が田所に問いかけた。 「大瀬さん、班長とどれくらい一緒だったんですか?」 「ん?確か、三年位になるかな」 「確か、徳利さんも同期で配属になったんですよね」 「ああ、二人共よくここで働いてくれたよ、近所からも評判が良くてな、特に徳利が」 「徳利さんが?信じられないです・・・」 「どうして?彼は好青年だぞ、礼儀正しくて、どんな勤務でも誠実に、真摯に対応していたよ」 「でも、今日一緒にいましたけど、とてもそんな風には・・・」 良い奴だったんだよ、あの日までは。 一年前、佐取交番六月十七日 この日も、天気の良い日であった。 昼下がり、交番の通りには下校途中の児童達が大声を出しながら歩いている。そして交番の前では皆、立番をしている徳利に挨拶をしていた。 (おまわりさん、さようならー) (おう、さようなら、車に気を付けて帰るんだよ) 連なって挨拶する児童を、机で書類を書いている大瀬は呆れた様子で見つめていた。 (徳利さん、徳利さん) 大瀬に呼ばれた徳利は、児童に向けた笑顔そのままに振り返った。 (どうした、大瀬?) (早く今朝の報告書まとめてくださいよ、それにしても随分、楽しそうじゃないですか) (子供が楽しそうにしているんだから、俺達も笑顔で返さなきゃな) (良い御身分ですね、よかったら代わってくれません?) (駄目だ、後二十分は下校時間帯だからな) (はいはい、子供達の挨拶はお任せしますよ) 二人の会話を遮るように、交番内に電子音が鳴り響いた。 (はい、佐取交番・・・はい・・・・ホームセンターサカイ、了解しました) 着信音は外まで響いていた、大瀬の様子を見て、徳利は頭一つ入って覗き込んでいた。 (どうした?) (ホームセンターで窃盗の連絡です、現行犯みたいですけど、被疑者が暴れているみたいです) 徳利は一つ、深い溜息をついた。 (わかった、行こう) この日以降、徳利が再び児童と挨拶することがなくなるとは、二人は思ってもいなかっただろう。
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