美香の章その6 激怒の美香

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美香の章その6 激怒の美香

 私がもし誰かに 「美香ってどんな人?」  って聞かれたら、私は迷わず 「北海道みたいな人」  と答えるだろう。  おおらかで優しくて、小さい事は気にしない。  でも時には厳しく、それでもみんなを受け入れる。  そんな北海道のイメージそのものの様な人だ。  私はそう思っている。  だから、普段の彼女を見ていると「怒り」という感情はどっかに忘れてきてしまったのではないだろうかと錯覚してしまう程だった。  ……あの事があるまでは。  私は彼女が怒った所を一度だけ見た事がある。  後にも先にもその一度だけだが。  それは大学三年の冬だった。  年末も近づき、お互い何かと忙しくなり、いつもの学食でも顔を会わせる機会が減っていた時の事だった。  美香から一通のメールが入った。 『時間が出来たから会わない?』  私もたまたまその日は時間があったので、すぐに返事を出した。 『いいね。会おう。いつものファミレスでいい?』  私は意気揚々、大学の近くのファミレスに行った。  すると、美香が奥の席で手を振っているのが見えた。  私は真っ直ぐ美香の所に行った。 「美香、何か久しぶりだね」 「そうだね。って言っても一昨日会ったっしょ」  美香の独特のイントネーションが心地良く感じた。  これが北海道弁だと言う事は、夏休みに彼女の実家に遊びに行った時に知った。  私はぜんざいとコーヒーを頼んだが、美香はステーキセットをガッツリ注文していた。 「相変わらず食べるね、美香」 「うん。実は今日の夜、また研究室に行かなきゃならないんだ」 「へえ、そうなの。大変だね」 「ほんと、嫌になる。自分の時間が全然無いんだもん」  そんな会話をしているとき、仕切りを隔てた隣りの男子学生の話し声が聞こえて来た。  別に興味のある話をしている訳ではないが、男性の甲高い声は嫌でも耳につく。  男子学生はこんな事を言っていた。 「これからは新しいメディアの時代なんだよ」 「新しいメディア?」 「そう、映像と音声を組み合わせて、それを見たいときにいつでもどこでも見られる。もうほとんどそんな時代になってるよね」 「確かにね」 「これからはテレビとネットの垣根はなくだろう」 「うん」 「そうなると、もうラジオは必要なくなるのさ」 「そうか?」 「そうだよ。あんな、音声だけで情報量の少ないメディアなんて自然と淘汰されて然るべきだと思うよ」  それを聞いた時、美香の口数が急に減った。 「美香、どうしたの」  と私が聞くと、美香は突然立ち上がり、その男子学生に言った。 「ちょっと、ラジオが淘汰されるなんて、そんな事ある訳ないじゃない。ちゃんと聞いても居ないのに、偉そうな事言わないで」  その声は普段の温厚な美香の口調からはかけ離れた物だった。  私は驚いて何も言えなかった。  美香は続けた。 「ラジオは生活に密着してるのよ。映像のない音だけのラジオは、生活の邪魔をしないの。それでも、情報は充分に伝える事はできるわ」  すると男子学生は呆れた表情で言い返して来た。 「音だけで伝えられる情報なんて、映像のそれと比べると一割にも満たないんだ。つまりラジオを十分聞く位なら一分映像を見た方が効率的なんだよ。分かるかい」 「分かんないわ。私の実家は農家よ」 「それがどうしたんだい」 「私は小さい時から、作業場に流れるラジオを聞いていたの。みんな作業をしながらラジオを聞いて、ニュースや天気予報を聞いて、面白いパーソナリティの話しをして楽しんでいたの。もし、あの作業場にラジオが無かったらって考えたらゾッとするわ。仕事や生活の邪魔をしないメディアはラジオだけなのよ。あの作業場に必要なのはテレビやネットじゃなくてラジオなの。ラジオを必要としている人はたくさんいるのよ」 「それはほんの一部のヤツらだろ。僕はもっと大きな時代の流れの話をしているんだ。君の実家の話をしているんじゃない」 「一部?何を言ってるの。私のいた町の人達の共通の話題はラジオだったわ。それを一部なんて切り捨てられる訳ないじゃない。それに、ラジオは災害時には最も有効な情報手段になるのよ」 「はいはい。田舎娘のご意見、拝聴しましたよ」  男子学生は完全に美香を小馬鹿にしている。  美香は怯まなかった。 「私から見れば、むしろあなた達の方が一部よ。年がら年中パソコンとテレビにかじりついているだけじゃない。自分の周りの情報だけを信じて外を見ようとしない。あなた達の方がはるかに田舎者よ」  美香が他人を非難する事は珍しい。  男子学生は 「今日は気分が悪りいや。帰ろ」  と言い残してファミレスから出て行った。  美香はゆっくりと席についた。 「ごめんね真理。気分悪かったでしょ」 「う、うん。まあ。でも、びっくりしたよ。美香があんなに熱くなるなんて」 「私、ずっとラジオを聞いて育ってきたの。実家の人達も町の人達もみんなラジオが大好きなの。それを否定されると、なんだかそれら全部が否定されてる様な気がして、つい」  美香がラジオ好きなのは私も知っていた。  アプリの『タイムフリー機能』をつかって好きなラジオ番組を聞いていたし、夏休みに美香の実家を訪ねた時も、作業場ではラジオが大音量で流れていて、彼女はそれを懐かしそうに楽しんでいた。  美香の大らかで気さくな性格は、そんな中で育まれたのだ。  美香が怒ったという話は、それ以外では聞いた事がない。  おそらくそれも、私だけが知っている美香なのだろう。
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