地獄の端で償うべき罪

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地獄の端で償うべき罪

 腹を割って話そう。  そう言い出したのは目の前の男だ。男が話すまで話してやるもんか。  女の子はツンとした表情であぐらをかいている。 「……えっと、」  男は何かを言おうと口を開くのに、えっと、うんと、そんな意味のない言葉ばかり出てきてしまう。 「あんたが言い出したことなんだから、あんたが話し始めるまで私は話さない」  あまりにも進まないものだから、痺れを切らした女の子はばんっとちゃぶ台を強く叩いて自分の意見を言う。そうだよね、うん、そうだよね、うん、わかってる。男はまたしても同じ言葉を繰り返す。 「……あのですね、えっと、」  男は深い深呼吸を何度かして自分を落ち着かせる。 「……ごほん」  男はわざとらしく咳払いをすると、改めてましてと言葉を始める。 「き、気分は……いかがですか?」  ぼふん。  鈍い音が響く。 「あんた、ふざけてんの?」  音の正体は女の子が投げた座布団が男の顔に命中したものらしい。男は落ちた座布団を部屋の端に寄せつつ痛た、と顔を赤くしている。 「ふ、ざけてなんか……ないです」 「ふざけてないんだったら、今の私に質問しないよね?」 「……そうなんですか、ね?」 「だから、あんたが質問してんじゃねぇよ!」  女の子はどすんと音を立てながら立ち上がり玄関に向かう。  男は家から出ようとする女の子を慌てて止めようとするが、女の子の体に触れてしまっては何を言われるか怖くて何も出来ない。 「あ、あの……! あなたは外に出てはいけません!」 「……なんで?」  女の子に睨まれた男は怯みながらもぼそぼそと話す。 「閻魔様が……そう決めたんです」 「えんま……さま?」  男の言葉に女の子はぽかんとしてしまう。 「僕、は……閻魔様に君とここで暮らすように命じられました」 「……そんな話信じると思うの?」 「三木(みき)……美國(みくに)さん」  女の子は名乗ったはずのない自分の名前に驚く。 「高平東高校の二年生で……えっと、二月八日生まれ、あ、クラスは七組で……」  男はもじもじとしながらも美國の個人情報をつらつらと並べる。美國は驚きと恐怖で目をまんまるにして固まってしまう。 「あの……とりあえず……戻ってくれませんか? お茶でも飲んで……落ち着いてください」  男に言われるがまま美國はさっきまであぐらをかいていたちゃぶ台に座ると、男がぶるぶると震える手で美國にお茶と羊羹を差し出す。 「私、やっぱり死んだの?」 「……はい。先日亡くなっています」  さっきまで美國の心の中にあった不安と焦りがすとん、とどこかに落ちてなくなる。 「それで? 死んだはずの私がなんでこんな所にいるの?」  男はびくり、と肩を震わせながら美國を申し訳なさそうに見つめる。 「親、より先に亡くなるというのは……昔から親不孝とされていて……特に自殺は罪が重くなってしまいます……」  男の歯切れの悪い物言いに美國はイライラとしながらも話を続ける。 「それで?」 「あなたは橋から飛び降り自殺を……して、しまいました。ですから、ここで罪を償って頂かなくてはいけないん……です」 「閻魔様ってことはここは地獄なんでしょ?」 「そ、うです……ここは地獄の端です」 「なら、舌を抜くとか苦しい拷問を受けるとか、そういうことで罪を償わせるんじゃないの?」  美國は地獄のことなんてわからない。  小さい頃に母親から嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれるよ、とそんなことを言われた覚えしかない。けれど、自分がいるここが地獄だとか閻魔様に言われただとか、あまりにも美國が想像する地獄とかけ離れすぎている。 「地獄も……その、色々あって……いろんな改革が、あったんです?」 「なんで疑問形なのよ。私は何にもわかんないんだから聞かないで」 「……すみません」  美國は羊羹を食べようと手を伸ばしたが、楊枝がどこにも見当たらず男にどうやって食べろっていうの!? と怒ると男は小さくなりながら、何度もすみませんすみません謝りながらと箸を持ってきた。  羊羹って箸で食べるものか? と美國は思いつつ箸で羊羹を食べる。 「あんた、名前は?」 「……えっ?」 「疑問に疑問で返すな! あと、もっとはっきり自信を持って喋れ!」 「はっ、はい……!」 「返事は一回」 「……はい!」 「……返事はもういいから、名前は?」 「あっ、えっと……」  男がもじもじとしていると美國の冷たい視線が突き刺さりびくり、としながらも答える。 「牧石(まきいし)(しょう)……です」 「おっけー尚ね。私のことは美國って呼ぶこと。ちゃん付けとか嫌いだから呼び捨てにしてよね」 「女子高生を……呼び捨てに……?」 「あんたがそうやって言うと変態っぽいからやめて」  美國の強い言葉に尚はすっかり小さくなってしまっているが、美國はそんなことお構いなしに話を続ける。 「私はこの状況がよくわかってないからたくさん質問します。余すことなく全部答えてよね」 「ぜ、善処します……」  美國は尚の歯切れの悪い物言いにイライラし続けている。これはどうにかしないといつか私が爆発する、なんて思ったが今することではない。  美國が優先するべきは自分の置かれているこの状況を把握すること。 「私の罪は親より先に死んだこと、あと自殺。合ってる?」 「合ってます……」 「私はここで尚と暮らせばその罪を償えるの?」 「そ、うです……」 「私がここで尚と暮らすのはなんの意味があるの?」 「だ、からですね……ここで罪を」 「そうじゃなくて。ここで一緒に暮らすのは罪を償うためっていうのはわかるけど、それはなんに繋がるの? 地獄って今世の罪を償って来世に行くための場所でしょ?」  美國の質問に尚はたじたじとしてしまう。  ああ、えっと、どうしよう。僕が適当な嘘を言ってしまったからこんなことに……!  尚の心の中は後悔と罪悪感がぐるぐると渦巻いている。 「自殺をした人は……来世では同じことを繰り返さないために……えっと、その、この地獄の端で訓練をします」 「訓練?」  嘘に嘘を重ねる。  尚はそれが得意なはずなのに、美國の目を見ると調子が狂う。自分の嘘をこんなにも真面目に聞いてくれて、信じてくれる子にこれ以上嘘なんてつきたくない。そんな風に思ってはいるが、尚の口は嘘をつくことをやめない。 「訓練内容は……普通の生活をすること、です」  尚の頭の中にはどうしようどうしようどうすればいいんだろう、同じ言葉が何度も浮かんでは消えていく。 「閻魔様は、若い世代の自殺を大層嘆いていまして……その、えっと……」 「若い世代の自殺を減らすためにこんなことを始めたってこと?」 「そうです……そのとおりです……」  ああ、自分がここに来たのは自分の罪を償うためなのに。もう人と関わらないと決めていたのに。  尚は美國と関わってしまったことに後悔を覚える。けれど、時間は戻せない。後悔なんてしてもこの状況は変わらない。あぁ、でも僕は一体どうすればいいんだ……! 頑張って前向きなことを考えても、すぐにいつもどおりの尚に戻ってしまう。 「私のことはわかった。じゃあ尚はなんでここにいるの?」 「……ぼ、く?」 「そう。私と暮らすってことは尚は地獄の人なの? 尚は人間? それとも違う生物?」  美國はどう見ても人間だよね? なんて言いながら尚をまじまじと見つめる。  尚は美國の視線に怯えながら、頭の中で一生懸命考える。 「僕、も……君と同じです……死んでから地獄に来ました。生前は普通に生活していた、死者です……」 「へぇ、人間なんだ」 「そ、うです」  尚の頭の中はもうどうしようなんてことは浮かんでこない。浮かんでくるのは女子高生怖い、そんな言葉に変わっていた。 「じゃあ、ただの死者の尚は、どうして閻魔様に私と暮らせって言われたの?」  美國の質問は至極当然のもの。尚が美國の立場でも絶対に気になることだが、尚の頭の中はそんなことを考える余裕がない。女子高生怖い、それしか浮かんでこない。 「……ボランティア、です」 「ボランティア?」  何も考えられなかった尚は自分が何を言ったのか把握できていないが、動かすつもりのない口は勝手に言葉を続ける。 「僕も地獄で罪を償うべき人間……です。ですが、自殺した人と暮らしたらそれが償いになると閻魔様が……言っていて……それで僕は志願して、ここにいます」 「……つまり、尚も私もここで罪を償うってわけね」 「……はい」  罪を償うべきは自分だけなのに。尚は美國の言葉を肯定したことに酷く罪悪感を覚える。  美國がなぜ死のうとしたか、理由はわからないけどこの子は悪い子じゃない。こんなに真っ直ぐに自分を信じてくれる子が悪い子なわけがない。この子に償うべき罪なんてあるわけがないんだ。 「尚の償うべき罪って何?」 「……たくさん嘘をつきました。本当にたくさんの嘘です。数え切れないほどの嘘をついて人を……騙していました」 「こんなに弱々しいのに人を騙してたんだ。人は見かけによらないね」  尚の罪を聞いても美國は何もなかったかのように話を流す。 「それよりさ、地獄ってご飯食べなくても「ちょ、ちょっと待ってください……僕と暮らすのは嫌じゃないんですか……? 嘘つきな僕と一緒に暮らさないといけないんですよ?」 「別になんとも。ってか、閻魔様が決めたなら私に拒否権ないじゃん?」 「それ、は……そうかもしれないですけど……」 「別に尚のこと嫌いじゃないし、ムカつくけどね」  美國はお茶をすずっと飲み干すと、頬杖をついて尚に意地悪な笑顔を向ける。 「私に手を出そうとしたのに出さなかった。出て行こうとした私を止めようと伸ばした手を引っ込めた。以上の二つのことから、私は尚のことを信用していいって思ってる」 「……えっ!?」  尚の素っ頓狂な大声が美國の耳に突き刺さる。 「私が起きた時、布団は変な具合にめくれてて、制服のボタンがズレて留まってた」  気づかれていない。尚はそう思っていたが美國はとっくに気がついていた。 「腹を割って話そうって言ったのは尚でしょ? そんなに小さくならないでよ」 「あ、の……その、えっと、それは……その」  バレてた。バレちゃいけないことがバレてた。  尚は焦りでだらだらと汗が滲み出る。 「まず、私に謝って」  美國の一言はとても冷たい。 「ごめんなさい。本当にごめんなさい」  尚は美國に誠心誠意頭を下げた。  下を向いてるから美國がどんな表情か見ることができないが、何度も何度も謝る。 「はぁ……もういいから、そんなに謝られると私が悪者みたいじゃん」  美國の言葉で尚は恐る恐る顔をあげると、目の前に美國の手が伸びている。 「この、手は……?」 「よろしくの握手。これから一緒に暮らすんだからまずは挨拶。尚は私より年上に見えるのにこんなこともできないの?」 「で、でも……僕なんかが触っちゃったら……」 「その変態みたいな言い方やめてよね! 私から手を出してるんだから、何にも考えずに尚も同じことすればいいの。別に触られたぐらいじゃ何にも思わないよ。まぁ、また変な意味で触ろうとするならぶん殴って閻魔様に言いつけるけどね」  美國はさっきとは違い、意地悪ではなく楽しそうな笑顔を向けている。 「……本当にいいの? ここで、僕で、本当に後悔しないの? もしかしたら外に出れるかもしれないし、僕が嘘をついてるかもしれないのに……僕のことなんか信じていいの?」  尚は言葉にしてからはっとした。  ここが地獄じゃないとバレてしまったら、美國も尚も死んでないと気づかれてしまったら、ここがただの山奥だと知られてしまったら、自分は美國を誘拐監禁したことになってしまうのではないか。今になって焦りを感じる。 「しつこい」  尚はその言葉にびくりとしてしまう。 「さっき信用していいと思ってるって言ったでしょ? 何回も言わせないで」  尚がいつまで経っても手を伸ばさないものだから、美國は自分から尚の手を握る。  尚の口からはひっ、と情けない声が漏れる。 「私は尚を信じてここで一緒に暮らす。これは私が決めたことだから」 「……わかりました」  美國の意思は固いのだろう。尚は諦めて弱々しい声で返事をする。  この後のことはどうにでもなれ。半ばやけくそだ。 「これからよろしくね、尚」 「よろしくお願いします……美國、さん」 「呼び捨てにしてって言ったじゃん!」 「ちょっとそれは……僕には無理かも、です」 「なら、暮らしていくうちに慣れてよね!」  美國は気づいている。  ここが地獄じゃないこと、美國も尚も生きてること、尚が嘘をついてること。全部全部気づいている。  それでも死のうとした自分を助けてくれて、家に置いてくれて、一緒に暮らすなんて言ってる尚の嘘にもう少しだけつき合ってやろう。そんな風に思ってる。  焦りから適当についた嘘かもしれないけど、美國は尚がついた嘘がとても優しいものだと感じている。だから、この嘘つき男にもう少しだけ騙されてあげよう。  美國はこれからの生活を想像すると心が温かくなった。
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