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今日は一段と冷え込む寒さだった。
空は澱んで厚い雲に覆われ、今にも雨が降ってきそう。
手紙の指定された時間は午後三時。放課後に入ってすぐの時間だった。
慌てて昨日と同じ校舎裏の桜の下に駆け付けると、そこに男の人がいた。
艶のある長い茶色の髪をなびかせ、キリッとした目鼻。モデルに遜色しない長身と細身の体型。
間違いなく、あの冴島亮君だった。
本当に、手紙をくれたのは彼自身だったんだ。
もらった時は疑いもあったけど、今こうして目の前にいる。
冴島君は私に背を向けた格好で待っている。
「あ、あの!」
緊張して声が上手く出ない。
声に気づいてくれて、冴島君はゆっくりとこちらに向き直る。
私を見るなり、気さくな笑顔を見せてくれる。
「二宮さん! よかった来てくれたんですね」
「は、はい! も、もちろんです!」
「手紙、見てくれましたか?」
頷く。
「良かった。それで、返事の方は?」
「は、はい・・・・・・その、私なんかでよければ是非お付き合いさせてください」
夢みたい。
今まで数えきれないぐらい手紙を書いて、振られ。無視されてきた私が学校のアイドル的な存在の冴島君と付き合えることになるなんて。
「そうですか。それじゃあ僕と――付き合えると思ってた?」
「・・・・・・え?」
さっきまでの気さくな笑顔はぐずぐずに消え去り、目の前には醜悪な顔を浮かべた冴島君がいた。
「ばっっかじゃねぇの? お前みたいな手紙女子に、俺と付き合う権利なんてあるわけないだろ」
「手紙・・・・・女子?」
「あ? お前ひょっとして自分の立場知らないの? マジ受ける!」
お腹を抱えてヒー、ヒーと笑い出した。
何が起こってるのか全く理解できなかった。
「お前、噂になってるの。男に手当たり次第に手紙出して、男に媚びうる安い尻軽女がいるって」
「! 違います! そんなつもりで出したわけじゃありません!」
「じゃあさ、これ、何?」
冴島君が出したのは昨日、片岡君に対して出した手紙だった。
それが何を意味しているのか理解は難しくなかった。
私はハメられたんだと。
「お前は、片岡と付き合って、俺とも付き合うつもりだったんだろ?」
「違います! 片岡君の事が上手くいけば冴島君の事は丁重に――」
「俺を振る? お断りしますって? 口では何とでも言えるな」
「どうして・・・・・・こんな、ひどい」
私が行ってきた事は全部意味がなかった。
それ以上に、周囲からそんな偏見に見られていたなんて。
もう、耐えられなかった。
足に力が入らず、その場でうずくまる。喉元から噴き出す声がとまらない。手で顔を覆っても、壊れた蛇口のように涙が止まらない。
「なんだよ、泣いたらなんでも許されるって? やっぱり尻の軽い女は考えることも軽いわ」
目の前が真っ暗だった。
もう見るのが怖い。傷つくのが嫌だ。
顔を覆った手を外す勇気がもう、私にはない。
「まぁ、ストレスの解消にはなったわ。せいぜいこれからも男に手紙でも書いて尻でも振ってろよ」
あー、だる。そんな言葉が聞こえて足音が遠ざかっていく。
急に、その足音が止まった。
「あ? お前誰?」
冴島君の声が聞こえる。誰かがいる?
震える手を外して、後ろを振り返るとそこにアイツがいた。
「けい・・・・・・すけ?」
圭介は冴島君の前に立ってその進路を邪魔していた。
明らかに苛立っている冴島君は圭介に対して力ずくでどかせようとした時、圭介の右拳が冴島君の顔面に入った。
衝撃がすさまじかったのか、冴島君の足が地面から離れて大の字になって倒れこんだ。
横になった冴島君の胸倉をつかむと、冴島君も反抗して取っ組み合いの喧嘩に発展していた。
「圭介! 何してるのよ!」
「止めんな!」
信じられないぐらいの怒声に体が震える。
普段から優しい性格の圭介から出たとは到底思えない声だった。
怖い人相ではあったけど、今の顔は何時もの比じゃなかった。
喧嘩は圧倒的に圭介が強かった。
圭介に散々痛めつけられ、鼻や口から血を流し、艶のある整った髪はぐしゃぐしゃになって見る影もない。
恥も外聞もなく、犬のような四つん這いで圭介から逃げると、桜の木にすがりつく。
「な、何なんだよお前! いきなり殴りやがって! 俺が何をしたって言うんだよ!」
威勢がいいのは声だけで、冴島君は完全に腰がひけてしまっていた。
未だ怒りが収まらない様子の圭介。
「何をした? 散々、綾音の事を傷つけておいて、自分は何もしてないって言うのかよ」
「事実を言ったまでだろ。手紙出しまくって、男に媚び売る女だろ」
「・・・・・・あんたさ、告白した奴何人いるんだ? 相手に告白する事がどれだけ勇気がいることか分かるか?」
鬼のような形相で圭介が一歩、冴島君に近づく。
「手紙を送った相手に無視されたことがあるか? 手紙を目の前で破り捨てられた事があるか? 約束の時間を三時間、四時間過ぎてもずっと待ち続けた事があんたにあるか?」
逃げようとする冴島君の胸倉をつかむ。
ぐい、と自分に寄せて鋭い目つきで冴島君を睨みつけ、拳を大きく振り上げる。
「アイツは全部本気だった。それを、あんたは軽々しく踏みにじったんだ! 到底許せるわけがないんだよ!」
止めないといけない。
圭介の拳が冴島君の顔に当たる前に、圭介の背後から抱きついた。
「もう良いよ、もう良いから・・・・・・それ以上は」
「綾音・・・・・・」
ゆっくりと拳を下ろしてくれた。
圭介が胸倉を離すと、冴島君は余程ショックだったのか、その場で頭を抱えるようにうずくまる。そして、ごめんなさい、を念仏のように唱え続けていた。
それを見て、圭介も何もしない、という意図を示すように両手を上げる。私も圭介から離れる。
「圭介、どうしてこんな事したの」
「こんな事?」
「冴島君を殴った事。私なんかの為に、圭介が傷つく必要なんて、なかったじゃない」
ところどころ痣ができて、制服もほつれている部分がある。手は皮が破れて血が出ていた。持っていたハンカチを取り出して、圭介の手を簡単ではあるけど、包帯の代わりに巻く。
「綾音、お前間違ってるぞ」
「え、何が?」
「私なんかじゃなくて、お前だからだよ」
「それ、どういう意味?」
「さぁな。まぁ、今回も振られたのなら、ラーメン奢り決まりか。連日食うのはしんどいぞ」
あーあ、と残念そうに圭介は言う。
けど、どこか嬉しそうにも私には見えた。
あの時、圭介が行動を起こしてくれなければ、私はもう立ち直れなかった。決して褒められた行動ではないけれど、純粋に私を想ってくれている気持ちが伝わった。
「圭介」
「何だよ?」
「ありがとう。すごく、嬉しかった」
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