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私たちは上機嫌で川沿いまで歩いた。蝉しぐれの昼下がり。川面が太陽の光を浴びて銀色にきらめいている。
「ああ、気持ちいいね。」
伸びをしながら麻が言う。
「うん、やっぱり外はいい。」
私も冷房で凝り固まった身体を伸ばす。続いて深呼吸をして、夏草の香りを胸いっぱい吸い込む。注文したアイスカフェオレと、同じくアイスハニーを持って(何だか甘いもの飲みたくて、と麻)テラス席に座る。
「で、咲夜は職業的な部分はよく知ってるよね、男だから。」
「いや、男っていうか、部下だしね。」
「ああ、うん、そうだ。部下部下。でね、こっちは私が聞きかじってることなんだけど、」
「うん。」
私たちはなぜか顔を寄せてヒソヒソ話す。
「不落。あとT-Rex 。」
「T-Rex?」
「うん、ティラノザウルス。激しいんだって。肉食獣、全開らしい。ああ、赤面しちゃう。昼間っから。」
「…それは照れるね。聞いてるだけでも。でも不落の方は、ああ、やっぱり、かな。」
「なに、美紗知ってたの?」
「ちょっと前に林先生にも言われた。」
「あんた、上司にそんなこと聞いたの?」
「いや、倫理委員会の話して、林先生同期でしたよねー、みたいな流れからだよ。」
「ああ。」
「でもバレてた、完バレ。」
「マジ?」
「うん。最後に“高嶺対不落の闘い”って言われた。」
「うまいっ。さすが林先生、最高。ますますファンになっちゃうな。」
麻はニコニコしながらアイスハニーをすする。
「これ美味しい。疲れが吹っ飛ぶ。」
「麻母さんだもんね。お疲れだよね、そりゃあ。」
「でも幸せだからな、今は頑張るのみ。」
私は麻のこういう明るい強さが大好きだ。前進あるのみ。
「で、不落なの、やっぱり?」
「うん、らしいよ。浮名は山ほど。でも、」
「本気にはならない、でしょ?」
「うん、そうらしいね。付き合いはするらしいんだけど。」
「男の本気って何なんだろうね。」
「ああ、それね、うん、考えちゃうよね、大阪城みたいな人が相手だと。」
「あんたはどうだったの、伝説の咲夜さん。それこそ話はすごかったじゃない。」
「うん、咲夜に関する話は天井知らずだったよね、そういえば。でもあの人はあまりにもモテ過ぎて、自分の気持ちを見つめる前に相手の希望を満たしてあげてた、って感じかな。それと似てる、大阪城?」
「いや、何か違うような気がする。」
「だよね。大阪城の場合は、平気で最初に『俺は本気にはならないよ』って言ってそう。」
「麻もそう思う?私もそれすぐ思ったんだ。で、それでもいいんならついてくれば?みたいな感じじゃないかなって。」
「ああ、そう言ってる姿がリアルに想像できる。」
「最悪だよね。でもそれでも女が切れないって、参るわ。」
「うーむ。アク強し。」
「根菜?もはや。」
「うん、大阪城で根菜ってどうよ?」
また笑った。麻といるとよく笑える。嬉しい。
「でさ、それでも美紗はいいの?俺は本気にならないよって。」
麻が身を乗り出した。
「良くない。私は本気じゃなきゃ嫌。」
言い切って、アイスオレを飲み干した。
「ああ、しまった、美紗が本気モードになっちゃった。何年ぶりって言うか、あんたもしかして初めて?自分からとか。」
「記憶にある限り。」
「ああ、あんたもあっちのグループか。はいはい、どうぞ伝説さんたちの所へ行ってくださいまし。」
麻が手でシッシッとやっている。
「でも、だからやり方がわからない。」
「ああ。」
「どうやって振り向かせたらいいか。」
「そうだよね、今まで美紗の場合、そこは相手の仕事だったもんね。」
「うん、まあ。」
「伝説同士の闘いだから、凡人な私にはわからないけど。でも、本気で行くしかないだろうな、とはうすうす思う。小手先勝負、とか、最初はそうだけど絶対最後には彼も変わってくれる、とかは通用しないよね、きっと。そうじゃなくて、もっと魂と魂のぶつかり合いっていうか、そのレベルでの闘いになるよね。ああ、激しいものが見えるよ、凡人が裸足で逃げ出すような。」
そう言って麻は身震いをしてみせる。
「魂と魂って。私だって相当経験積んでるけど、あっちはずっと年上なうえに、百戦錬磨だからなあ。どんな闘いをしたら良いかじっくり考えなきゃいけないな。」
「うーん、やっぱりどう見ても闘いだよね、恋愛じゃなくて。」
「うん、なんでだろうね?」
「美紗も相当アクが強いからじゃない?」
「私?」
「ええ、あなた。大阪城といい勝負だと思いますことよ。」
私たちは笑いながら立ち上がった。Time’s up。さあ、仕事だ仕事。病院まで一緒に戻ってきて、図書館に行くという麻と別れた。私は、林先生にカフェの特大ソイオレを買って行こうと思いついて、玄関に入った。エレベーター脇にあるカフェまで歩く。その時、エレベーターのドアが開いて、大阪城、いや若林先生が降りてきた。ビュンと音がしそうな勢いで大股で歩き去る。オペ着、初めて見た。これからも見続けたいけど、そんなこと出来るかな。そんなことを思いながら、その広い背中を見送った。
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