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17.光と嵐
さて、と。
俺は軽く首を回して(これはオペに入る前に必ずやる)、手を組んで回した(これもオペ前に必須だ)。何をやってるんだ、俺は。オペに入るんじゃないぞ。名札を確認しながら研究室を探した。丁度真ん中あたりにあった。中から電話での話し声がもれ聞こえてくる。とても久しぶりに聞く声。聞きたくて仕方がなかった声だ。俺はノックをした。
「あ、ちょっと待ってくださいね。はーい、どうぞー。」
ノブを回して部屋に入った。竹林先生が受話器をとり落とすのが見える。近づいて電話のフックを押した。そのまま胸に抱き寄せて唇を吸う。柔らかくて溶けてしまいそうな唇を何度も強く吸う。驚いて俺の胸を押し返そうとした手もすぐに力を失って、逆に抱きしめられた。
「君が必要なんだ。そばにいてくれ。」
耳元で囁いて抱きしめ返す。
夢にまで見た温かな大きな身体。ファーレンハイトの微かな香り。今起きていることが信じられない。本当に若林先生なのだろうか。これが夢だったら、覚めたら絶望してしまう。今よりもっと深く傷つく。だから覚めないでほしい、ずっと。
「遅いよ。」
「ごめん。」
「ずっと、ほんとにずっと待ってたのに。」
「戻ったよ、あの日。あゆみと一緒に食事に行った後、君の元へ急いだ。でももう君はいなくて、それからずっといなかった。」
「来てくれたの、あの時?」
「うん。」
突然とても愛おしくなって、もっと抱きしめた。なのに、急に体を離された。
「どうしていなくなったんだ。俺はその後も君の大学で待った。自分の気持ちがやっとわかったのに。あの後も病院で会ったじゃないか。俺は行くなとずっと思っていたのに。君も確かに俺を見ただろう、なのに出て行った。立ち去るなと言ったのは、始めに言ったのは、君だろう。」
何だろう、知らなかったことで嬉しいことをいっぱい言われてるのに、切ない。この人が切ない。
「あなたの本気がわかったの?」
「君に初めて会った時にはもう気付いてたよ。でも本当に怖かったんだ、このまま君に惹かれていくのは。また同じ間違いを犯すんじゃないかとね。」
「私はあなたを絶対離さないのに。」
「いつだって最初はみんなそう思う。でも時間が経てば、少しづつ距離が生まれれば、いつのまにか気持ちは離れる。」
「怖いの?」
「怖いよ、心底。君がいなくなるのが。」
「じゃあ、これで解決するのかどうか、はっきりとはわからないけど。でも、あなたは私と結婚するべきだと思う。」
「け、結婚?」
「あなた、私がどんなにあなたを離さない、って言っても信じられないみたいだから。ともかく結婚しよう、若林先生。」
「君はそれでいいのか!」
「私は最初からあなたしか見てなかったじゃない。知ってるでしょ?物心ついてから探していた人にやっと会えたんだよ?あなた以外にいないもの、一生一緒に過ごしたい人なんて。結婚したい人なんて。それとも、あなたにとっては急すぎる?嵐の若林先生。」
「そこで嵐を出されるとはね。スピード感だっけ?誰もついてこられない、迷惑千万な。」
「私はついて行くよ。あなたを愛しているもの。」
溜息が頭の上から降ってくる。
「…何もかも先を越されている。嵐の俺が。」
「そう?なら私は何だろう?嵐より先に行くもの。」
「光、じゃないか。」
「うん、それいいね。私は光で先を照らすよ。それであなたが嵐で、その光を見て後から来るの。」
「後ねえ、新鮮だな。でも確かに今はそうだな。俺は君を愛してるし、結婚したい。でも全部先に言われたしな。」
信じられない言葉が聞こえた。だから確認してみる。
「あなた、私のこと愛してるの?」
「うん。」
「傷つくのが怖いのに?」
「うん。」
「結婚は?」
「したい。君以外には誰にもそばにいてほしくないから。」
私は微笑んだ。
「始めに言ったじゃない。私たちは似ているって。だから断らないで、立ち去らないでって。私は私の全てであなたを愛すよ、死ぬまで。」
「君は俺より勇敢だよ。ずっと年下なのに。」
「ふふん。」
「ふふんって。」
そうしてまた抱きすくめられた。私はキスをした。この切なくも愛しい人に。心から深いキスを。
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