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病院玄関で待ち合わせた。つい呼吸器外来のある三階を見上げてしまう。この間まで何でもなかった場所なのに。
「今日は朝イチからオペだって。進行性、ステージIIIa。」
後ろから肩をポンと叩かれる。
「麻。」
もう何年も見てきたこの親友の笑顔。温かくて心強い笑顔だ。
「事前学習すでにバッチリみたいね。」
「あはは、そうだね。さあ、行こうよ。」
「うん、どこにする?」
「私お腹すいちゃって、ぶうちゃんはどう?」
「あんた、私が恋愛話するって知っててのチョイス、それ。」
「あはは。いや大阪城には案外似合わない、とんかつ?」
「…似合う。よし、とんかつ行こう。」
麻といるとまるで大学時代みたいだ。私たちは違うグループだったけど、麻とは妙にウマが合った。すっきりとして意志の強い綺麗な麻。彼女といると、まるで自分がアクの強い食虫花にでもなった気がしたものだ。ジャングルの奥深くにひっそり咲く毒々しい花。
ぶうちゃんは空いていて、隅の席が取れた。ここなら落ち着いて話が出来る。早速麻が口火を切った。
「さてと、咲夜がまず言ったことは、若林の三訓。新人研修で一発目に叩き込まれるんだってさ。」
「三訓?武将か。」
「だよねえ。笑える。でもさすがなこと言ってるよ。いい、行くよ。『患者さんを尊重しろ、命を救え、自分の腕で勝負しろ』だって。惚れない?」
「惚れる。」
「で、恐ろしいのは一年目からガンガンORに放り込んで、実践積ませるらしい。しかも第一助手とかでだよ。」
「ええっ、それは一年目にとっては酷なんじゃ。」
「うん。それで二年目がぐっと減るんだって、呼吸器外科。なかなか人数が増えないって咲夜が嘆いてた。」
「それはお気の毒に。」
「でもね、咲夜はすごく嬉しかったみたいだよ。一年目から色々経験積ませてもらえて。ORで『やってみろ。一生逃げ回るつもりか?何かあったら俺がリカバーしてやる、俺を信じろ。』って言ってもらえて。これまたいちいちカッコよくない?」
「うん、すごく。やっぱり惚れるなあ。」
「でも、ほんとに、美紗?それで三人衆切ったの?」
「うん。」
「美沙と大阪城って、どこかに接点あったっけ?」
私は倫理委員会での出来事を話した。
「ああ、それはまた大阪城らしい…」
「麻、大阪城ってもはや符丁?」
「うん、いいでしょ、我ながら。」
そしてちょっと得意げに鼻先を上げて見せる、我が親友は。
「城っていうのが、また似合ってるような。どうなんだろう?」
「合ってる合ってる。天守閣から顔のぞかせてそうだもん。」
私たちは大笑いした。
ヒレカツ定食が二人前届いた。ぶうちゃんの箸袋が相変わらず可愛い。バックにはぶうちゃんソングが途切れもせず流れ続けている。二人とも早速大盛のキャベツに特製ドレッシングをかける。揃いも揃ってベジタブルファーストだ。笑える。
「で、次に咲夜が言ったことは、」
「うん。」
「アクが強い。」
盛大に笑った。そうだろう、その通りだ。
「だから、呼吸器外科はバランスがとれてるらしいよ。アクの強い大阪城と清流のような君島くんで。」
「ああ、君島先生にも会ったよ。ほんと端正だった。」
私は君島先生の見事なバックアップのことも話した。
「ああ、良いよね、彼は。本当にそういう人だもの。」
「麻、なんだかよく知ってるみたいだね、君島先生のこと。」
「ああ、うんちょっとね。昔一緒に患児を診てたから。」
「ふうん…」
「でも話は大阪城のことでしょ?清流のことじゃなくて。」
「それはそうなんだけど。」
おかしいな、麻の感じが少し揺らいだような気がしたんだけど。何だろう?
「それから、大阪城について行ける腕前は君島くんだけらしい。あのスピードにまず皆さじを投げるらしいよ。咲夜も指名されて何度か第一助手をやるんだけど、その前の晩はいつもより更に念入りにシミュレーションやってるもの。」
「オペもアクが強いのか。」
「あはは。美しいらしいけどね、でも残念ながら速すぎて、それを感じる時間があまり無いっていう。」
「上から見学したいなあ。」
「そうだね。バリバリだよね。統括部長になった今でも、当直最低週一は入るらしいし。緊急オペとかもガンガンやるらしいし。」
「ああ、やってそうだよね。でも現場はもう少し大人しくしといて欲しそう。」
「まさに。落ち着け、大阪城、みたいなね。」
また私たちは笑った。食事もほぼ終わりかけで、時計を見た。
「麻、ヤバいよ、私たち30分も経ってない。」
「げっ、まずいよねえ、この職業病的な。」
「うん、45分は最低でも経ったかと思ったけど。」
「だよね、あ、でもさ、じゃあカフェ行けそうじゃない?」
「うん、行こう行こう。院内のは避けて、川沿いのテラスでどう?」
「良いねえ。」
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