三十三間堂

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 一旦私の暗い過去は置いといて、学校行事なので誰かと一緒に行動しなさいというものなのだが、友達いないので一人で行動することが許された。よく許されたものだ。まあ、先生も私という人間がどんなものなのかわかったのだろう。    個人行動をとることになり、日帰りのたった数時間の滞在。どこに行こうかと迷った私は三十三間堂に行くことにした。  三十三間堂には今まで修学旅行や家族旅行で行ったことがない。自分と顔が似た仏像があるらしいという噂を聞いて私は興味を持ったのだ。会ってみたいと。  三十三間堂は京都駅からバスで10分ほどの近く、歩きだと20分くらいのところ。  鴨川にかかる七条橋を渡ったところにある。  駅からアクセスしやすいところを見て私は早速三十三間堂に行くことにした。  三十三間堂について私はあまり何も知らなかったので、一旦調べてみる。  ざっくりと調べてみると、三十三間堂は元々後白河法皇の住むところとして作られたんものであり、長寛2年に完成したという。その建設には平清盛が関わっていた、当時は三十三間堂と後に呼ばれる本堂のほかに様々な建物があったとか。しかし80年後に焼失したという。  のちに後讃岐天皇によって再建されて、後々様々な人によって大切にされていたということ。  また、三十三間堂には豊臣秀吉が後白河法皇や平清盛も天下にあやかろうと三十三間堂の近くに大仏殿を立てたり、お堂や仏像の修理をやったりと関わっていたそう。  何かと調べてみれば歴史上の人物が深くかかわりをもつすごい建物であることがわかった。
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