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 翌日の休みは、家に戻ると既に蓮は出かけた後で、一人きりの部屋で倒れるように眠り込んだ。それを起こしたのが、航生からの電話だった。 『飯、付き合えよ』  そんな雑な一言に風吹は笑って起きだした。なんてタイミングで連れ出すのだと、十余年来の親友の勘の鋭さに感服する。その電話に、了解の返事をして、風吹は昼少し前に家を出た。 「お疲れさん」  学生の頃からよく使っていた定食屋に入ると、既に航生が待っていた。 「お疲れ。航生、会社近いの?」 「徒歩圏内ではある。あ、おばちゃん俺、生姜焼き定食」 「俺は、鯖味噌」  慣れた顔に注文を済ませると、久しぶりじゃないの、と懐かしがられた。確かに大学を卒業して以来、ここには来ていない。そんなに時間は経っていないと思っていたが、二年というのはやっぱり長いらしい。航生がスーツでこの定食屋にいるくらいなのだ、やっぱりそれだけの時間が経っているということなのだろう。 「航生、仕事は?」 「いつもと変わらん。営業行って頭下げて、上司に嫌味言われて、見積もり作って」  毎日そのルーティンだよ、と航生が笑う。 「楽しい? それ」 「まあな。なにくそって、思う時はある……っていうかしょっちゅうだけど、契約取れた時の達成感で帳消しになるな」  グラスに水を注ぎながら航生が笑う。風吹はその言葉に、そうか、と呟いた。 「お前こそ、どうなの? 仕事」 「俺? んー、まあ環境には恵まれたし、順調だよ」  風吹が笑うと、航生は、なるほどね、と微笑む。 「でも楽しくないんだ」  航生の言葉に風吹は一瞬で表情を失くした。あまりにど真ん中な図星を突かれて、風吹は返す言葉も見つけられなかった。 「後悔してんのか? やっぱり」  航生が聞くと、そこに注文していた定食が運ばれてきた。 「ほら、久しぶりだからデザートサービスしといたよ」  トレイに乗った懐かしいミルク寒天を見て、風吹は素直に、ありがとう、と言う。 「しんどいこともあるかもしれないけど、頑張るんだよ」  店のおばちゃんは、それだけ言うとまた仕事へと戻っていった。航生が向かいで笑い出す。 「俺、そんなひどい顔してるか?」 「まあな。夜勤明けとは違う顔だ」  航生は箸を手に取りながら答えた。鏡がないのが残念なところで、今自分がどんな顔をしているかわからない。ただ、周りを心配させてしまうような顔はしてるらしい。 「……してるよ、やっぱり」 「何が?」 「さっきの答え。後悔してる。多分、いつまで経っても、もう無理だっていう歳になってもするんだと思う」 「夢だったもんな」  食事をしながら航生は相槌を打つ。風吹は、鯖を突きながら、でも、と口を開いた。 「その道を選んでも、同じくらい後悔したと思う――アイツと離れたら」 「やっぱり理由はそこなんだ。心配? 姫のこと」 「心配……というわけではない。多分、俺が辛いんだよ。俺が、アイツのいないところで生きていけるかわかんない」  風吹が答えると、夏はまだだぞ、と航生が眉根を寄せる。 「別に頭沸いてるわけじゃねえよ。本気でそう思うの! 航生だって、紅音に同じこと思ってるだろ? だから、結婚するんだろうし」 「まあ、傍に置いときたいと思ったから法律で縛るんだけどな。でも、もし俺が転勤になって、紅音が今の仕事を続けたいって言ったら、迷わず置いてくよ。そこはお互いの価値観だ」  そういうとこは不可侵だよ、と航生が言う。それはわかる気がした。確かにお互いに不満のない状態でいられるのなら、時に離れて暮らすのもいいのだろう。けれど、そこに蓮の存在がないことに風吹が耐えられるか、自信はなかった。 「お前らは、少し傍に居過ぎたんじゃないか? だから、どうしても傍に必要なものだって思っちゃってるんじゃねえの? 好きな人のために働くって有意義だけど、自分も楽しくなきゃ続かないよ、風吹」  少し考えな、と航生は言って、もくもくと食事を続けた。そうだな、と答えた風吹も少しずつ箸を付けるが、一向に食欲は湧いてこなかった。
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