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 二度目の夜勤は、国際線でトラブルがあったとかで忙しなかったため、警備も深夜まで借り出されていた。お陰で仮眠もろくに取れず、へとへとになって家へとたどり着いた。 その時間、午前七時。この時間なら、もしかしたら蓮の顔を見られるかもしれないと、淡い期待を抱いていた。そして、あの日の弁明も聞けるかもしれない、と。  あれから二人は顔を合わせていなかった。慣れない仕事で、帰ったらすぐに眠ってしまっていた風吹と、朝早く夜遅い蓮は、みごとにすれ違っていて、電話もメールもしていない。  唯一、この部屋に蓮が帰っているのだと分かるのは、テーブルに置かれた走り書きの、『お帰りなさい』と『行って来ます』の文字だけだった。  なので、どうしても、せめてコーヒー一杯くらいの時間を蓮と持ちたかったのだ。風吹は部屋の前でポケットから鍵を取り出した。ちょうどその時だった。 「わっ、びっくりしたー」  その声と共にドアが開いて、驚いた顔の蓮が立っていた。 「蓮……おはよう」 「おはよ。おかえり」  にっこりと華やかな笑みを浮かべ、蓮が言う。その笑顔に頷いてから、風吹は口を開いた。 「もう、行くのか?」 「うん、ごめんね。朝一番でシミュレーター借りるから。復習しとかなきゃ」  蓮はそう言うと、風吹の顔を見上げた。 「風吹は、ちゃんと休んでね。いってきます」  じゃあね、と手を振って蓮は元気に廊下を駆けていった。風吹は、玄関に一人取り残される。ため息と共にドアを閉め、とろとろと部屋の中へ入ると、沈むようにソファに横たわった。しんと静まり返る部屋に、時計の秒針の音だけが響く。1LDKの部屋は、一人で過ごすには少し広すぎる。 「……蓮……」  蓮の趣味で買ったぬいぐるみのようなクッションを引き寄せて風吹はそれを抱きしめた。 こんな気持ちは初めてだった。寂しいなんて、これまで思ったこともない。幸いにも、風吹の周りには必ず誰かがいてくれた。辛いことがあっても誰かが傍で励ましてくれた。今だって電話一本掛ければ、航生や紅音がきっと傍で話を聞いてくれる。けれど、それじゃ足りなかった。  蓮が足りない。比類なく愛しい存在が足りない。それだけでこんな寂寞を抱くとは、風吹自身思ってもいなかった。  それでもこれが現実なのだ。 「あ、消えちゃったな……痕」  クッションを掴んだ腕に、もう蓮の唇の痕は残っていなかった。 「お疲れ、遠藤。久々の日勤、楽だっただろ」  午後六時を回り、本日のシフトが終了した藤波と共に更衣室に入る。風吹は、はい、と素直に答えた。 「やっぱり人間は昼間起きてる生き物なんだなって実感します」  答えると、藤波が、俺もそう思うよ、と笑った。 「今日は久々に家族で食事が出来るしな」  いつもはバラバラだからな、という藤波の言葉に風吹も、そうだ、と思い立つ。こんな日は蓮と食事が出来るはずだ。もう二週間以上まともに顔を見ていないのだから、蓮だって会いたいに決まっているはずだ。  風吹は手早く着替えを済ませると更衣室を出て、スマホを手に取った。そこで、メッセージの着信があることに気づく。相手は蓮だった。 『お疲れ様。今日、俺、少し遅くなる。研修生で飲み会なんだ。ごめん』  その内容に、軽かった足取りは自然と重くなっていく。スマホをポケットにしまう頃には、風吹の足はすっかり止まっていた。そこで長く深いため息を零す。  ――こんなはずじゃ、なかったのに……  傍にいたいと思った。毎日顔を見たい。話がしたい。ただそれだけなのに、それが叶わない。  ――じゃあ、俺、どうしてここに居るんだろう……?  離れて暮らしているみたいだ。だったら、離れてもよかったんじゃないか。同じなら、自分の夢を貫いてもよかったんじゃないか――風吹はそこまで考えて、強引に頭を振った。 「これは俺が選んだ道だ」  口の中で小さく呟いて風吹は歩き出した。とぼとぼと駐車場へと向かうと、そこへ騒がしい一団が近づいて来た。いつか見た、研修生たちだ。きっとこの中に蓮がいる。そこで風吹は、いつかのことを思い出した。後にも先にもないほど悲しかったこと――蓮に視線を外され他人のふりをされてしまったこと。風吹はそれが怖くて、その一団から逃げるように足早に車へと向かった。  遠くから談笑する声が聞こえる。自分の名前を呼ばれ、笑われたような被害妄想まで出てきて、風吹は運転席へと乗り込むとすぐに車を出した。
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