喝采よ、今一度

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 この仕事をするようになってから、俺は沢山のインタビューを受け、沢山の質問をされるようになった。平時の俺はそんなに口が上手いわけでは無いが、気持ちよく応えるようにして来た。しかしとある質問だけは、口から飛び出すのを見ると俺は愛想笑いしか出来なくなる。心中では底からうんざりしていたからだ。  この仕事が肩書きになるようになってからの時間の方が、その仕事に出逢うまでの時間よりも遥かに長くなったと言うのにまだ世間はそのような質問を重ねたがる。余程俺の前身が現在とそぐわないと見える。しかし高校時代に野球部に属して、退部したという事実が無ければメジャーリーガーを目指す少年を鍛える齢69歳の老監督を演じることは出来なかっただろう。彼がチーム優勝を決めたストライクを思い出す場面で映し出される俺は正真正銘の俺が投げた一球だ。  俺は子役を演じたことは一度も無いし、王立演劇学校(RADA)に入学するまでに英才教育はおろか演劇の経験も皆無に等しい。高校3年生時にその筋の予備校に入ったが、そこでは「練習するには遅過ぎる」か「今から俳優を目指すなんて無理に決まっている」しか言われず、絶えず嘲笑の的だった。しかし現実は本命筋だった生徒が全てのオーディションに落ちて、終ぞスクリーンやプログラムで名前が載ることが無かったのに対し、代わりに1番出来損ないだった俺が王立演劇学校に合格し、今日まで俳優を務めている。  先日、俺は俳優生活70周年を迎えた。祝いのパーティーでもやはり例のお決まりの質問をされた。その時、俺はクランクアップされた時に決まって感じる「今までしなかったことをしたい、更に新しい役を演じたい」欲に取り憑かれて「その質問は今、書いている回顧録を読んで頂ければ分かる」と口走ってしまった。後悔した時にはもう既に時遅し。米国から世界中にそのニュースが発信されてしまった。こうして俺は何の黒文字もない真っ白な液晶画面と向き合っている。  後悔したことは確かだが、回顧録という形であの質問に答えるというのは良い案だったかもしれないと思い始めた。回顧録を読めばあの質問をする人間はいなくなるし、しつこいようだが俺は演技以外で話すのが得意では無い。私生活では殆ど口を開かない。誰も信じてくれないがーーー息子のケントが唯一だーーー本当だ。回顧録という形に遺さないともうケンジ・マエダに関わる凡ゆる事実を知る人間はやがて誰もいなくなってしまう。俺も5年、いや3年後には皆の後に続くだろうから。  俺はキーボードを打ち込んだ。 『どうして俳優を志したのですか?』
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