喝采よ、今一度

4/8
前へ
/8ページ
次へ
 俺は目を瞬かせた。「み、源川?」名前を呼びながら俺は教室のドアを開けてやった。遅刻した自覚のない、無邪気な顔付きの源川が立っている。 「あら、ありがとう。前田くん」と源川が礼を言いながら教室に入る。俺はドアを閉めながら自分が従者になったような滑稽さを味わった。 「待たせてごめんなさいね」  そう言う源川は平時の彼女の佇まいでは無かった。彼女から醸し出されるのは桜や撫子のような控えめな美しさでは無く、まるで白薔薇や蘭のような「そうよ、私を見なさい」と宣言するような大胆な華やかさだった。そして今の口ぶりも「自分を待つのは当然」と言わんばかりの、我儘を言い慣れている女のそれだ。源川は富井たちを一瞥するとふん、と気にかける資格も無いと言う風に顔を背けた。それを見て俺は目の前の源川は、源川の身体を借りたスカーレット・オハラであると気が付いた。彼女の演劇はすでに始まっている。 「高橋、俺たち始めるぞ」と俺は(ぼう)っと立っている高橋を我に帰らせた。  真の役者。それは周囲をもその世界に引き摺り込み、その住人にしてしまう役者だ。源川がそれであった。彼女の演じるスカーレット・オハラは1年4組全員を1860年の南部アメリカに導いた。彼女を前に全員が南部人に変身した。皆、源川=スカーレット・オハラを前に朝ヶ谷高校の1年生であることが場違いに思えて嫌でも顔を変えたくなったのだ。果たして練習時間が終わった時、源川をミス・キャストだと陰口を叩く人間は1人も居なかった。 「富井の奴、却って源川さんの株をあげちまったんじゃないか?」楢島の言葉に俺たち男子生徒は噴き出した。  そこで俺は忘れ物に気が付いた。「悪い、先に帰ってくれ」  俺は楢島たちに断ると慌てて校門を潜った。教室に入ろうとしてドアに手をかけた瞬間、机の上に座って脚を組む、源川の背中を見た。  と俺は思った。リスクはあるが、俺は前田賢二の顔で教室に入った。その途端、源川がはっと振り返って立ち上がる。顔に浮かんだ色は狼狽。それはアシュレに振られ、レット・バトラーに口笛を吹かれて失恋場面を見られたと悟る、初めての屈辱を覚える場面の顔だ。  俺を前田賢二だと認識するとさっ、とスカーレットから源川清花の表情に戻った。「まぁ、前田くん!」
/8ページ

最初のコメントを投稿しよう!

11人が本棚に入れています
本棚に追加