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そこで俺はキーボードを打つ手を止めた。固くなった身体をうーん、と伸ばす。痛い。
文化祭当日に感じたあの高揚感と作品とレットとの一体感を忘れたことは無い。今でもはっきり覚えている。「前田賢二」という概念が消え去り、自分のものでは無い思考と感情が満ちてそれが火花のように爆ぜる瞬間、それに圧倒されては次々に役にすり替わっていくクラスメートたち。そしてその後の喝采。あの拍手と歓声は俺の身体と精神の両方を揺さぶった。誰もが1年4組の「風と共に去りぬ」と「レット・バトラー」を絶賛した。レットを「再来」と評した人間も居たが、ある人が口にした「私もあんな風に生きて、人を愛して、誰かの人生を変えてみたいと思った」の言葉はそれのみならず声も空気も言った表情も全て刻まれたように忘れられない。
俺が心底から「俳優になろう」と決めたのはその時だ。俺が演じる様々な役を誰かの心の琴線に触れて、記憶に残りたかった。その人のように「あんな風になりたい」、「そんな風に考えられるようになりたい」は勿論のこと、その逆に「あんな極悪人にはなりたくない」、「そんな悲しい目には遭いたくない」でも良かった。誰かの記憶に残ってその人生の指針になりたかった。
俺はパソコンで疲れた目を休めようと窓の外を見た。星の無い深い夜から白い雪が小麦粉を篩うように降っている。雪から目を逸らすと机の上には写真立てが複数。永遠の目標でスターであるクラーク・ゲーブルの写真の切り抜きと成人になったケントとその家族に囲まれた自分の写真と妻シルヴィアのポートレート、シルヴィアと息子のケント、双子の娘のクララとエイミーとの家族写真。後者の写真はもうかなり色褪せて古い。撮ったのが50年以上も前のことなんだから当たり前だ。
次いで本棚からアルバムを取り出して開けると公演終了後、1年4組全員で撮った集合写真が目に入った。俺も源川も楢島も高橋も小川もーーー富井たちですらーーー衣装を着て満面の笑みだ。もうセピア色。記憶も曖昧で細かいところは思い出せない。しかし写真を見ると個人との思い出が断片的に蘇ってくる。
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