喝采よ、今一度

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 写真の中で生きているのは今や俺とケントとその子どもたちだけだ。シルヴィアとクララとエイミーは50年前に銃乱射事件の犠牲者になった。シルヴィアは俺が初主演を務めた『私には貴方がある』の監督の娘で我が儘な女だったのを俺の演技が改心させた。それからというもの、彼女はケンジ・マエダの1番のファンであり、クララとエイミーにとって俺は永遠にスーパー・ヒーローだった。 『風と共に去りぬ』を演った朝ヶ谷高校1年4組はもう俺独りだけになってしまった。妻と娘を失った翌年に担任だった小山内先生の訃報が届いた。そして先日、俳優70周年祝賀パーティーの前日に楢島の訃報を受け取った。90まで生きたのは俺と楢島の2人だけだった。半年前どちらが最後まで生き残れるかなとオンライン通話して笑ったのが今生の別れだった。もう誰も居ない。思い出も語られない。それがこんなに寂しいと俺は93歳まで知らなかった。  この回顧録を遺さないと彼らは永遠に忘れられてしまうと危惧した。彼ら無しにケンジ・マエダという1人の俳優の誕生は有り得なかった。俺に「演じるは」と教えてくれた1年4組と、アメリカで出逢った同業の友人、妻と子どもたち、そしてたった1度だけ出逢った"ウィリアム"・クラーク・ゲーブルが忘れられることはやがて俺を忘れることに繋がった。  俺はパソコンをスリープさせると今度出演する映画の台本を取り出した。……これが最後の作品だ。この映画が終わったら俺は引退しようと決めた。俳優になりたての頃は舞台の上で死にたいと常々目標のように崇めていたが、今はしゃんと胸を張って花道を飾ろうと心が変わった。舞台の上で死んだらケンジ・マエダという俳優の生き様はそれだけになってしまう。きちんと一線を退くことで俺が演じた役と作品全てを思い出して貰いたかった。そうすれば俺はいつでも観た誰かの明日になれる。俺の演じた役の今日が、明日の誰かの心になりますように、といつまでもいつまでも祈り続けられる。
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