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マフラーに鼻までつっこんでいたが、秋の匂いはしっかりと感じられる午後。車を降りて見上げる空は、まるで真夏のように濃い青が澄み渡っていた。駐車場の周囲の木々は赤や黄色と賑やかに色づいていたが、不思議と過ぎ去った時を憂うかのような哀愁を覚えさせる。
入り口の自動ドアが開き、僕は病院の中に入った。何度ここにやってきても、あのバイク事故が起きた日のことを鮮明に思い出す。
あの日。報せを受けて急いでやってきた僕だったが、律はすでに、息絶えた後だった。病室前のベンチに腰掛け、目を真っ赤にしながら一点を見つめたまま微動だにしない静香の母親を見つけると、僕は彼女の容体を恐る恐る聞いた。母親は、魂が抜けたような表情でポツリと、下半身がバイクの下敷きになってーー静香の足は、もう……と、それだけこぼして黙り込んだ。二人の結婚式まで、あとたった三ヶ月を切った日のことだった。
ナースステーションで面会の許可を貰い、僕は静香のいる病室に足を踏み入れた。
彼女は車椅子に腰掛け、いつものようにカーテンを全開にして、じっと窓の外を眺めている。
「やあ。……これ、シュークリーム。カスタードと、チョコがひとつずつ」
僕の声に振り返ると、彼女は青ざめた表情で無言のままゆっくり頷いた。
「ちゃんと、ご飯食べてる?」
再び、黙って頷く静香。
「……最後の手術、再来週だっけ」
そう言いながら、ベッドの脇の丸椅子に腰掛ける。
「……うん。水曜日」
ようやく口を開いた彼女だったが、いつにも増して元気がないように見えた。胸まで伸びた髪から覗かせる唇も、不健康にカサついている。
「散歩、行かない?今日は天気もいいし。紅葉も、綺麗だよ」
静香はそれを聞いてゆっくり窓の外に視線を戻すと、少し間をおいてから、コクリ、とまた無言で頷いた。
外出許可を貰って病院を出ると、近くの公園を目指して、車通りの無い鮮やかな銀杏並木をひた歩く。芸術の秋、とはよく言うが、この時期独特の風情が色濃く感じられて、なんだか胸が一杯になるような気がした。
車椅子の上の静香は真っ直ぐに前を見つめたままで、紅葉を楽しもうという気配は無かった。それでも、この気持ち良い日和に外へ出ることで、少しでも気分転換になれば。僕は、そう思った。
ふと、若い夫婦が腰をおろして手を広げているのが目に入る。その視線の先には、熊の耳がついた可愛らしいパーカーのフードを被った小さな女の子が、覚束ない足取りで笑顔いっぱいに二人に向かってきていた。まだ、歩き始めたばかりなのだろうか。微笑ましい光景に頬を弛めていると、彼女もその様子をじっと見ているのに気付く。自然と車椅子を押す手を止めて、僕らはそこに立ち止まった。女の子が両親の元にたどり着くと、父親が軽々と女の子抱き上げ、愛おしそうに頬を寄せる。母親は、優しい眼差しでその姿を見つめていた。
「……いこ、陽太」
静香はそう言うと、向き直って自ら車椅子を漕いで進みだした。僕はゆっくりとそれを追いかけたが、かける言葉が見つかるはずも無かった。舞い散るイチョウの葉を背に懸命に漕ぎ続ける彼女の後ろ姿が、僕には、たまらなく寂しく映った。
公園にはボール遊びをする小学生や、原っぱにシートを敷いてお弁当を食べる親子連れなどが散見し、にわかに活気を見せていた。
それらを横目に石造りの噴水の側までくると、僕はカバンからホットミルクティーを取り出しながら、腰を下ろして静香にそれを渡した。
「ありがとう」
お礼を言う彼女は、相変わらず無表情だった。
「……あの日、ね」
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