律のしらべ

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律のしらべ

 深まる秋。悲しみは時間が解決してくれると人は言う。  しかし、冬の気配を感じさせるほどに寒さが増すたび、心は締め付けられていくばかりだった。  きっと、静香も同じ……いや、それ以上の痛みに、今も尚耐え続けているに違いない。  自分に何ができるだろうか。いや、何もするべきではないのだろうか。  そんなやり場のない感情を抱えたまま、事故からもう半年が過ぎようとしていた。 「うん、しっかり形になってきたな」  本番に向けたリハーサルも大詰め。時刻は午後九時を回り、ようやく指揮者の先生から太鼓判が押されるに至った。 「特にトランペットは見違えるように良くなった。……今日はこれまでにしよう」  先生はあえて僕に視線は送らず、楽譜に目を落としながら呟く。  律がこの世を去ってからしばらく、演奏にもなかなか身が入らなかった。練習すればするほど、違和感が生まれた。心を込めようとすればするほど、空虚な音色になった。それでも、吹くしかなかった。吹き続けるしかなかった。悲しみ。怒り。寂しさ。どこにも叩きつけようのない胸の淀みを、吹き飛ばしてしまいたかった。 「よう。いよいよだな」  譜面台を片付けようとすると、コントラバスの先輩が声をかけてきた。 「はい。心配でしたが、間に合ってよかったです」 「あんなことがあったんだ、無理もないさ。……例の彼女には?」 「明日、また病院に寄ろうと思ってるので。その時、誘ってみます」 「そう、か」先輩は続きを言いづらそうに頭をポリポリとかいた。「周りの助けがいくらあったとしても、結局、立ち上がるのは自分の心持ち次第だ。だから、その……」 「ええ。わかってます。僕自身がそうでしたから。でも、きっかけになることは多い方がいいと思うので」 「うん。そうだな。いや、余計なことを言ったよ」 「余計なことだなんて。わざわざ声をかけてくださって、ありがとうございます」  そう言うとペコリと頭を下げて、僕は譜面台を手に倉庫へ向かった。    先輩の言いたいことはなんとなくわかった。本当はそっとしておく事が、彼女のためになるかもしれないと、僕も何度も考えたから。  でも、何か逃げているようで。何か見て見ぬふりをするのが嫌で……そう。結局僕は、自分の心の平穏のために、彼女に会いに行っているのかもしれないのだ。彼女のためだなんて、彼女を救いたいだなんて、僕の傲慢でしかないのかもしれないのだ。  それでも。  それでも、僕だからこそ。律のことも、静香のことも。高校時代、オーケストラ部の頃からよく知っている僕だからこそ。今の彼女にしてあげられることが、何かあるんじゃないか。ずっとそう考えながら、この半年を過ごしてきた。  僕は、二人が羨ましかった。感情が剥き出しになったかのような、律のダイナミックなヴァイオリン。名前通りに静けさを伴いながらも、その奥にしっかりとした芯の強さを感じさせる、静香のピアノ。演奏も性格も好対照な二人は、誰から見てもお似合いだった。結婚の話を聞いた時はとても嬉しかったし、でも、一方で悔しさもあった。自分も恋人ができたら、二人のようなカップルになりたいだなんて、思っていたから。親友だった律を通して見る彼女は、とても可憐で、でもどこか儚さもあって、不思議な輝きを放っていたのだ。……今の彼女とは、まるで別人のように。
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